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ニューヨーク、久しぶりだ
5〜6年住んだ、この国に
帰らなかったってのが正しい表現だ
まだ何も知らない夢しかないタダのくそ生意気なガキだった
定まらない夢のハシゴをしてた
この外国で見た知識を自分の力と勘違いした
結果結構痛い目にあった、それでも前を向いていた
不安だとか絶望だとかネガティブな感情も全てここで舐めた
ほんとバカなガキだった、そんな昔を思い出す
オレには写真の師匠とカメラの師匠がいる、二人とも年齢的に親父くらいの年の日本人だ
ここには写真の師匠が住んでいる、現在は彫刻家なのだが
オレに写真という息を吹いた人だ
その師匠が展覧会をする
今回その設置の手伝いをしたかった
搬入組み立てに1週間、展示が5週間、搬出再組み立てに1週間、計7週間
アメリカ国内で旅もしたかったので3ヶ月の滞在予定を組んだ
他日本からもかつての弟子達がやってくる
1月。雪が降ってた。南国出身のオレは雪がいまだにめずらしく
じっとしてられなくなる、寒さは気にならなかった
NY、ここは昔とあまり変わらない、建物の中身は変わっていても
ちらほらと新しいビルがたってても、ツインタワーはなくなってしまったけど
街の表情はあまり変わらない
ここでこの彫刻家の背中を見ながら又あの頃と同じ作業をこれからするのだ
フローリングの歪んだ暗いボロアパートで仲間と過ごした
みんなカネなんてなかった、みんなそれぞれの夢を見ていた
チャイナタウンで買う29セントのサンマ、50セントの大根、1ドル50セントの牛肉に米
働く日は師匠の家に招かれ奥さんの手料理をたらふく戴いた、食うには困らなかった
写真や絵画、彫刻、アート、ポップアートはいつでも世界レベルをギャラリーでタダで見れた
そして何より彫刻の手伝いをする事が一番のしあわせだった
今オレが手伝ってる作品がギャラリーに飾られる、そしていつかはオレも、、、それでよかった
現在のニューヨークのアートシーン、ギャラリーは大多数がチェルシ−に移動した
以前のギャラリー街ソーホーは今、一流ブランドが軒を並べるファッションの街になった
このアートシーンの移り変わりはおもしろい
アーティストを目指す金のないドリーマーが制作の場を求め安い部屋代の地区に次々に移り住む
そこから次々とアーティストが生まれる
そのアーティストの後を次々とギャラリーが追いかけ、ギャラリー街ができる
そしてその人だかりのなかにファッション街が生まれる
まるで活きているかの様に街が形成されていく
文化が文化を追いかけ街が発展していく
今を誇るチェルシ−は元は肉屋の倉庫の町だった、今もそうだ
ソーホーはその前本当に危ないスラム街だったそうだ
今のNYの地価高騰は又別な問題だけど
ギャラリーは展示が目的ではない。販売が目的だ。
ギャラリーはアーティストを抱えコレクターへのコネクションをもつ美術品の不動産の役割を果たす。
基本的にアーティストは創ることに専念すればいい。
展示の為ににアーティストがカネを払う事はない。
逆にいえばいいものを創らないといくらカネを積もうと展示は出来ないって事だ。
中にはカネを払えば展示できるギャラリーもあるらしいが、、、
そこが「画廊」と"gallaly"の違いだ。
だから作品というものが更になまめかしい生き物の様になってくるのだ。
美術館という存在もコレクターに属する。
懐かしさを横目に次の日から作業が始まった
雪はちょうど搬入の日はやんでくれた
レンガで作られた高さ3.5メートルの彫刻が2コ
重さはあわせて4トン弱にも及ぶ
そのでかいオブジェは約100個のピ−スに分解されている
一日目、二日目はピースの運び込みで終わった
三日目から高所作業の為の作業台作りと本題に入る
ばらばらになった彫刻のピースをフロアに並べる
これから3次元ジグゾ−パズルの始まりだ
これだこれ、、この感覚、、この瞬間、、よみがえって来る
テンションが上がり独特の気が入る
最後にやったのは5年前
東京で作品が売れた時の設置以来だ
床にピースがばら撒かれている、それぞれのピースに番号がついてて図面と照らし合わせて並べていく
バラけた彫刻を土台から組み上げていく、面子は5人。
一つのピースが30〜50kgある、上にいくにつれ重力を感じ始める
並べる役と組立てる役に分かれ作業を進めていく
図面通りでもピースがうまく噛み合わず数回バラしなおした
途中オレの作品でもないのにオレがやり方に口を挟み
師匠の機嫌を損ねたりした。師匠はやさしいが結構短気だ。
張り詰めた時間があったり、それぞれが自分の仕事に熱中し、和みの時間があったり…
そんなこんなで6日目設置は終了し、オープニングを迎える
オープニングの日は大雪だったけど人がいっぱい来た
オレはシャイで初対面の人はどうも苦手だ
人のハナシを聞いて、防戦一方だった
その後スタッフ達と食事をし、オレは爆睡した
次の日から展示が始まったが後はギャラリーに任せるという師匠の一声で
マンハッタンから車で3時間、
ペンシルバニアとNYの州境にある山村にある師匠の制作スタジオ兼、家
で過ごすことにした
NYの弟子達は日々の暮らしに戻っていき
日本から来てた俺以外の弟子達は徐々に帰国していった
師匠と二人になった
おれはこれからあるアーティストの苦悶を目のあたりにすることになる
それはいずれ自分が叶える夢の後に、当然通る苦悶でもあると思われる
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