『ファン・ジニ』(早川書房)訳者あとがき
本書『ファン・ジニ』の主人公、黄真伊【ファンジニ】は、いまから約五百年前の朝鮮に実在した女性である。生没年は不詳だが、韓国での研究によれば一五〇〇年代初めに生まれたというから、朝鮮王朝第十一代王、中宗【チュンジョン】(在位一五〇六〜一五四四)の代にあたる。テレビドラマ《宮廷女官チャングムの誓い》(NHKで放映)や小説『チャングム』(ハヤカワ文庫、キム・サンホン著、拙訳)で日本でも有名となった医女大長今【テジャングム】と同時代の人といえば、おおよその歴史的背景がおわかりだろうか。当時の日本は戦国時代、中国では明が最盛期を迎えていた。
黄真伊は両班【ヤンバン】〔特権階級〕の父親と盲目の妓生【キーセン】の母親のあいだに生まれたが、当時の慣習のために母親の身分を受け継いで妓生となった。そして、その美貌と詩才はたちまち朝鮮全土にとどろき、ひと目でも黄真伊に会いたいという文人や豪商たちがひっきりなしに彼女のもとへ詰めかけるようになった。
だが、いかに教養と芸術的才能にあふれた女性でも、正史である『朝鮮王朝実録』に妓生の名が載ることはない。黄真伊が実在したという証拠は、彼女が詠んだ情緒あふれる時調【シジョ】〔ハングルで書かれた朝鮮独自の定型詩〕や漢詩、そしてスキャンダラスなエピソードとして伝わるだけだ。
黄真伊にまつわるスキャンダルの一端を紹介しておこう。
「真伊に一目惚れした良家の息子が、恋の病で死んだ。その葬儀の際、喪輿【もこし】が真伊の家の前まで来ると重くなり、びくとも動かなくなった。真伊が自分のチマ(スカート)を棺桶にかけてやると、喪輿は嘘のように軽くなり、墓へと向かった」
「漢陽(ソウル)から来た李士宗【イサジョン】という歌のうまい役人と出会い、恋仲になったが、真伊は“六年間だけいっしょに暮らしましょう”と期限を決めて同棲した」
「高僧の知足【チジョク】禅師と儒学者の徐敬徳【ソギョンドク】というふたりの名士を色仕掛けで誘惑した。知足禅師は真伊の色香に負けて身を滅ぼしたが、徐敬徳は決して彼女の誘惑に乗らず、真伊はついに徐敬徳に頭を下げ、弟子となった」
男を破滅に追い込む毒婦のような黄真伊のイメージに疑問を投げかけたのが、本書の著者、金琸桓【キムタクファン】だった。これらのエピソードはすべて、李朝期の朝鮮を支配した両班の男の目で書かれたものだ。したがって、そこには女性が一個の人間として生きようとする試みを許さず、儒教的な男尊女卑の枠に閉じこめてしまおうとする意図が反映されているに違いない――。そう考えた著者は、数多くの文献に目を通し、緻密な考証を通じて、まったく新しい黄真伊像を生み出したのだ。
黄真伊自身の口から語られる、美しくも悲しい物語を通じて、読者は彼女にまつわる「伝説」の「真相」を知るだろう。そして同時に、彼女が自由と自立を求めて戦った中世朝鮮社会の生々しい姿を目の当たりにすることだろう。
人間・黄真伊を現代によみがえらせようとする著者の情熱の跡は、本書の原書である『我【われ】、黄真伊』(二〇〇二年刊)と同時に出版された『我、黄真伊・注釈版』に再現されている。翻訳作業にあたっては、小説の本文より分量の多い注が付されたこの「注釈版」にも目を通し、参考とさせていただいた。各章末の注は、本書の理解に必要最小限と思われるものを「注釈版」から抜き出し、さらに日本の読者の便宜をはかって訳者が付け加えたものである。
李朝期の朝鮮を彩る数少ない女性として、黄真伊はこれまでにも多くの小説や映画の題材となり、韓国、朝鮮の人々に親しまれてきた。昨年(二〇〇六年)秋には、本書を原作としたテレビドラマ《黄真伊》がKBS(韓国放送公社)で放映された。《チェオクの剣》(NHKで放映)の女刑事役として日本でも人気のハ・ジウォンがあでやかな黄真伊に扮し、三〇%という高視聴率をマークした。また、今年六月には《秋の童話》のソン・ヘギョを黄真伊役に起用した映画も公開され、やはり話題を集めた。
黄真伊の故郷、開城【ケソン】についても簡単に説明しておきたい。
朝鮮半島の中央を横切る北緯三八度線のほぼ真上に位置する開城の街は、松岳山【ソンアクサン】のふもとにあり、古くは松岳、松都【ソンド】とも呼ばれてきた。九一九年に高麗王朝の都となって以来、約五百年にわたって朝鮮の政治・文化・商業の中心地として栄えた。だが、高麗を倒して朝鮮王朝を開いた李成桂【イソンゲ】が一三九四年にソウルに遷都すると、開城は都の華やかさを失ない、満月台【マノルテ】の王宮跡がかつての王都の面影を伝えるばかりとなってしまった。
一九四五年に日本の植民地支配から解放された当時は南側の支配地域だったが、朝鮮戦争を経て、現在は朝鮮民主主義人民共和国の開城市となっている。軍事停戦委員会のある板門店【パンムンジョム】からわずか十キロ、ソウルからも直線距離で六十キロと、韓国の人々にとっては目と鼻の先にありながら、容易に訪れることができない街であった。ところが、近年になって開城工業団地が造成されて多くの韓国企業が進出し、軍事境界線をまたいで道路や鉄道も連結され、分断の象徴から統一のさきがけへと変貌を遂げつつある。
こうした環境の変化が、韓国の人々の目を古都・開城へと向けさせ、いまの黄真伊ブームへとつながったのではないだろうか。
*
昨年の秋、開城の街を訪れる機会を得た。板門店を北側から見学した帰り道、「次の予定がありますから、早く平壌【ピョンヤン】に戻りましょう」と急かすガイドの李さんに、「せっかく開城まで来て、“松都【ソンド】三絶【さんぜつ】”(本書一六〇頁参照)も見ないで帰れない」とだだをこねて、開城郊外の朴淵【パギョン】の滝(上巻二一頁参照)へと足を伸ばしたのだった。開城市内からバスで三十分あまり、うねうねと曲がりくねった天摩山【チョンマサン】の山道を登っていく。まだ紅葉には少し早いが、山ひだに抱かれたのどかな田園には、稲穂が頭を垂れていた。
きれいに整備された公園の管理施設でバスを降りる。施設の屋上では農民たちが稲の脱穀作業に勤しんでいる。そこからさらに十五分ほど、森の中のハイキングコースを歩く。汗ばみ、息が上がりかけたころ、うっそうと茂る森のむこうに、崖の上から流れ落ちる朴淵の滝の白いしぶきと、碧【あお】い水をたたえた滝壺が姿を現した。ちょうど近くの町からピクニックに来た少年少女たちが河原を走り回り、歓声を上げていた。外国からの珍客を見つけた子どもたちに、私はたちまち取り囲まれてしまった。
滝壺には、十畳ほどはあろうかという大きな岩が、亀の甲のようにうずくまっている。竜岩【ヨンバウィ】と呼ばれるその岩の上で、子どもたちと記念撮影をした。岩には、草書でこんな漢詩が刻まれていた。
飛流直下三千尺 三千尺の滝の流れは
疑是銀河落九天 天から降る銀河のよう
李白が廬山【ろざん】の滝を詠った「望廬山瀑布」の一節だ。李さんに聞くと、黄真伊が自身の毛髪で書いた筆跡を写したものだという。
五百年前の秋の日、黄真伊もこの岩の上にたたずみ、美しい滝を見上げていたことだろう。そして詩を吟じながら、何を思っていたのだろうか。
(上巻・2007年8月刊/下巻・9月刊)
|
ファンジニは、ドラマが、事実、すべてだと思っていたので、
少し違うことに戸惑いますが、日本の歴史上の人物においても
その作者の考え一つで、『宮本武蔵』と『佐々木小次郎』のように
悪人になったり、善人になったりですから、本当の姿は、本人にしかわからないのでしょうね。
でも、少しだけでも、500年前の韓国の様子が、わかって勉強になりましたし、素敵な詩に感動しました。
是非、先生の作品をたくさん読んでみたいと思います。
2008/11/20(木) 午後 8:32
ソソノンさん、そうですね。「チャングム」もそうでしたが、女の人は資料がほとんど残らないので、作者によってかなりイメージが違います。
2008/11/21(金) 午後 1:59
やっぱり、
毛利元就の奥様(美伊の方)も、妙久という戒名しかわからないのだそうです。
だから、あのドラマの原作の作家の方が、名前を付けられ、小説に書かれたと聞きました。
日本も韓国も、同じように男尊女卑なのですね。
私は、まだ映画は見ていないのですが、恋愛については、
ドラマのファンジニのようであって欲しいです。
2008/11/21(金) 午後 5:04
ソソノンさん、どちらも女性にとっては大変な時代だったんでしょうね。映画「ファン・ジニ」の恋も熱い(!)です。
2008/11/21(金) 午後 6:05