訳者あとがき

朝鮮語翻訳家です。最新作は「愛の群像」のシナリオ作家ノ・ヒギョンの初エッセー集『いま愛していない人、全員有罪』です。

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   「人待ち」シン・ユンボク


今回は申潤福(シン・ユンボク)の「人待ち」を紹介します。

庶民の日常を描いた金弘道(キム・ホンド)のわかりやすい絵と比べて、シン・ユンボクの作品はつねにどこか謎めいています。

まず、この絵の技術的な特徴について、小説『風の絵師』のなかでキム・ホンドはこう説明しています。

「問題の絵には、三つの特徴があります。単純な線を使い、画面を絶妙に分割しています。これは絵の作者が、線、面、形の認識能力に優れていることを物語ります。また、木の枝と塀を画面の両端に配置し、上から伸びた柳の枝だけを描いたのは、絵が画面の外へと連なるように見せる工夫です。小さな画幅では表現し切れない多くの物語を、画面の外へと拡げて見せたのです。さらに、女が顔を背けて視線を後ろに送っているのは、鑑賞する者の視線を画面の後方へと立体的に拡げる効果を与えています」


この「人待ち」も、よくよく見ると不思議な絵です。
この女性は誰なのか。なぜ顔を背けた姿を描いたのか。塀はあるのに、なぜ家の中が描かれていないのか。

絵を読み解くヒントは、女性が手に持っている“ソンナク”という帽子です。このソンナクは、サルオガセという深い山の樹木の枝や幹からたれ下がって生える植物を編んでつくったもので、当時の僧侶がかぶるものでした。

小説『風の絵師』では、この絵が“春画”とみなされて、図画署は大騒ぎになります。
また、ドラマの方では、描かれた女性が実は貞純(チョンスン)王后だったために、やはりユンボクは画員生命の危機におちいります。

貞純王后とは、当時の李王朝22代王、正祖(チョンジョ、名はイ・サン)のお祖母さんです。お祖母さんといっても、正祖とは年齢が7歳しか違いません。というのも、貞純王后は、正祖のお祖父さんである英祖(21代王)が66歳のときの再婚相手だったからです。結婚したときの貞純王后の年齢は、わずか15歳。
“朝鮮開国以来一番の歳の差カップル”でした。

参考:〈続 朝鮮史を駆け抜けた女性たち-6〉 自ら「女君主」と称する−貞純王后金氏

それはさておき、最初この絵を見たとき、なぜ“春画”なのか、さっぱり理解できませんでした。
小説『風の絵師』から、絵について説明している場面を抜き出しましょう。

静かな屋敷の裏庭。こぎれいな石塀が続く。画面の上方からは、よく茂ったしだれ柳の枝が伸びる。中央には枯れた古木が立ち、一人の女が顔を背けて横顔を見せている。女が何を見ているのか、誰を待っているのか、判然としない。

「安定して、それでいて大胆な構図、強い古木の勢いと見事なしだれ柳との調和、誰かを待っているような女……。生徒の習作としては、非の打ち所がないように思われますが……」

元老画員のカン・アンソクが舌打ちをした。(中略)

「絵の中央に堂々と女を配するなど、話になると思うのか?」

確かに、図画署の絵に女の姿を描くのは禁忌中の禁忌だった。精密な記録画や儀軌【ぎき】〔国家的な出来事を、後世の参考のために詳しく記した書物〕でやむを得ず女を描く場合ですら、画面の隅に配するか、異常なほどに小さく描くのである。ところがその絵は女を、しかも画面の中央に堂々と描いているのだ。

画員たちは沸き返り、舌打ちの音が続いた。

「何をとぼけておる。それとも、本当にわからんのか? これは明らかに春画だ。低俗きわまりない、汚らわしい絵だ!」

春画といえば、ホンドも清国から流れてくる赤裸々な作品を、飽きるほど見てきた。若い画員たちがひそかに露骨な情事の場面を描き、市場で売ることもあった。赤裸々であればあるほど、絵は高値で売れた。秘密裏に春画の習作を売り、その金で遊郭に出入りする生徒までいた。

「私の目には……この絵から春画という感じは受けません」

首を傾げるホンドに、カン・アンソクは怒鳴り声を投げつけた。

「その女の足下から生えた古木を見てもわからぬか!」

細い春の草が生える柔らかな土から、黒く太い古木の株が上へと伸びている。瞬間、ホンドはカン・アンソクの言葉の意味がわかるような気がした。

「巷【ちまた】では、半裸の男女が交わる春画も珍しくありません。仮に春画だとしても、このように昇華された作品であれば……」

「何を言う! そなたの目は節穴か……。よく見るがよい、その女が何を手に持っているか」

後ろに組んだ女の手にあるのは、僧侶の編み笠だった。ホンドは生唾を呑み込んだ。
「わかったか。情を交わした坊主がずらかるときに落としていった編み笠を手に、街の女がそわそわしている光景だ。このような下品な絵が、民間の画室や市場をうろつく絵描きの懐からではなく、図画署から出てくるなど、話になるか!」

カン・アンソクが再び声を高めた。ホンドは何も言えなくなった。


つまり、この女性が手に持っている編み笠(ソンナク)が、僧侶との情事を象徴しているのだそうです。ドラマではこれをさらに脚色して、老年の夫(英祖)との結婚生活に不満を抱く貞純王后の不倫の場面を、ユンボクがそれと知らずに描いてしまった、という設定になっているわけです。

何気なく描かれた小道具ひとつで、ここまで見る者の想像をふくらませるユンボクの画才は、やはり並ではありません。謎めいた絵と、謎めいたユンボクの人物像。『風の絵師』は、それをうまく結びつけた作品だと思います。


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閉じる コメント(14)

先生こんにちは。
ブログ更新と聞き早速覗きに来ました。

またまた解りやすい解説ありがとぅございます。
この絵のモデル、
実際は誰なんでしょう、
どうやって書いたのでしょう…
ユンボクの絵は色んな事を想像させてくれますね。

次はどの絵でしょう。
楽しみにしてます。

2009/8/6(木) 午後 0:50 [ makiwaijai ]

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こんにちは。
ドラマを見終わったら是非小説も読ませて頂こう、と
目下忍耐の日々です(~_~;)
当たり前のことかもしれませんが、こうして文章で読むと、
ホンドの心情や他の絵師たちの考えとの違いなどがよく分かりますね。
ドラマでは想像しているだけの部分も、もっと明確になりそうです。
今はドラマの参考として拝見させていただいていますが、
こうした解説は大変有りがたいです。
次回を楽しみにお待ちしています。

2009/8/6(木) 午後 4:46 kiokio

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ちょうど「イ・サン」の放送が始まったばかりで、この絵!
ありがとうございます。リンク先の貞純王后の解説も、興味深いです。彼女は悪女なのか、犠牲者なのか……
それにしてもおもしろい絵ですね。ぱっと見た時には、私は単純に恋人を待つ絵だと思ったのですが。
ところで、図画署では、女性の絵は原則として描かないのですか。それでは、私の短い二次小説「正三品堂上官大長今の肖像」なんてのは、絶対に有り得ない……のですね。そう思うと、余計にもっと本格的に二次小説に取り上げたくなるのですが……

2009/8/6(木) 午後 9:18 [ saihikarunogo ]

私は、春画とは、どうしても思え無くて・・
大好きだった人が、お坊さんになって結ばれる事はないけど
この編み笠を隠し持っていたら、お屋敷から帰られる時に
少しだけでも、お話が出来るんじゃないかなと待っているんじゃないかな?と、今でも思っています。
だから、罪になるなんて考えられなくて・・
女性の絵を中心に書いたのも、いけなかったんですよね。
難しいです。大変な時代だったんですね。

2009/8/7(金) 午前 0:19 ソソノン

米津先生、こんばんは!
カメラのファインダーから覗いて書いたような「絵」ですね!。

少し前かがみになり、今か今かと想い人を待って木の向こうを覗いている「はやる気持ち」。浮足立った心が滲み出ているようです。

絵に雄々しい感じはないようですが、これを本当に「男性」が実物を見ずに描いたのなら、「こういう女性であってほしい」という、もしかしたら男性から見た「好ましい女性の姿・願望」なのかなぁ・・なんて、ユンボクの絵を見ると思ってしまいます。

図画署で「絵」に女性を書くことが禁忌だった時代。それでもユンボクの「絵」にはたくさんの女性が堂々と描かれています。

そう考えると、ユンボクは女性だった・・のではなく、もしかしたら、とても情熱的な男性だったのではないか・・そう思えてなりません(とすると小説は成り立たなくなってしまいますが^^・・)。私がユンボクの絵に惹かれる理由はそこにあります。

いつも丁寧な解説をありがとうございます。また次回を楽しみにしております。

2009/8/7(金) 午前 0:52 enagem

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makiwaijaiさん

シン・ユンボク自身がどんな人なのか、ほとんど史料がないので、誰を描いたものかもわかりません。見る者があれこれ想像してみるしかないですね。

2009/8/7(金) 午前 7:27 ynz98ynz

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kiokioさん

ドラマと小説、少し雰囲気は違いますが、どちらも楽しめる作品ですね。小説を先に読んだ人は、ユンボクの正体に驚くらしいです。

2009/8/7(金) 午前 7:31 ynz98ynz

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saihikarunogoさん

貞純王后は「イサン」にも登場して重要な役回りをしますね。
この人自身の人生もドラマチックなので、小説にしたら面白いかもしれません。

2009/8/7(金) 午前 7:50 ynz98ynz

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ソソノンさん

チャングムといい、ファン・ジニといい、当時の男性社会で、女性は大変な苦労をしたのだと思います。
考えてみたら、日本でも法律で男女平等が定められたのは戦後ですものね。

2009/8/7(金) 午前 7:50 ynz98ynz

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enagemさん

そう言われてみると、写真で一瞬を切り取ったような印象も受けますね。ここから何が起こるのか……。

ユンボクの「美人図」も誰を描いたのか、さまざまな解釈があるようです。また紹介できればと思います。

2009/8/7(金) 午前 7:55 ynz98ynz

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米津先生、こんにちは。初めて書き込みさせていただきます。
スマイルと申します。よろしくお願い致します。

謎めいたユンボクに、謎めいた作品。ご解説を読みより深く知ることが楽しいです。まるで図署画にいて傍にホンドがいるような気分で絵を読み解く面白さに浸っています。
ホンドの解説のとおり、大胆な構図で画紙をはみ出すような広がりを感じます。まったく違うかも知れませんが、中学の息子の美術のテストの2点透視図のことを思い出しました。女性を中心に立体的な奥行きが外へ広がります。これもユンボクの生まれ持っての才能なのでしょうか。
次回も楽しみにしております。

2009/8/8(土) 午前 11:30 [ スマイル ]

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たいへん勉強になります。
楽しく読ませていただきました。
傑作ポチです(^^)

2009/8/8(土) 午後 8:29 へばらぎ

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スマイルさん、はじめまして。

なるほど、二点透視図法ですか。
私は美術の成績は全然でしたので(*^_^*)勉強になります……。

2009/8/11(火) 午前 0:00 ynz98ynz

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へばらぎさん

楽しんでいただけてうれしいです。
なるべく続けていきたいと思います。

2009/8/11(火) 午前 0:02 ynz98ynz


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