訳者あとがき

朝鮮語翻訳家です。最新作は「愛の群像」のシナリオ作家ノ・ヒギョンの初エッセー集『いま愛していない人、全員有罪』です。

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あるメーリングリストに紹介されていた興味深い話です。

1948年といえば、日本では阪神教育事件で朝鮮学校が大弾圧されていた時期ですが、
それと同じ頃、朝鮮に残留していた日本人技術者の子どもたちのために、
公費で日本人学校が運営されていたそうです。

転載歓迎ということですので、こちらでご紹介します。

 1948年4月19日から23日にかけて、平壌で朝鮮統一政府樹立のための南北諸政党・社会団体連席会議が開かれた。
 そのとき南の代表として訪れていた金九の随行記者、金光斉が後に「北朝鮮紀行」という小冊子を発行したが、そこで「平壌日本人学校」という興味深い記事を載せている。
 連席会議を終えたある日、市内を散歩していると偶然目にした「平壌日本人学校」の表札。興味津々、校内に入った。
 校長は不在で副校長に話しを聞くと創立は1946年12月、学校の財政は北朝鮮人民委員会財政局で負担し、同年の予算は223万7000円。日本人教職員は10人、学生は中学生19人、小学生40人とのことである。
 生徒の父母はみな日本人技術者で、彼らは朝鮮人技術者の最高額である5000円が支給され、子供はもとよりみな朝鮮人から差別されることなどないと話した。
 ところで同じとき、日本政府は朝鮮学校閉鎖命令を出し、民族教育など認めないと国家権力をもって大々的な弾圧を繰り広げていた(4・24教育闘争)。
 「旗を降ろせ/写真を掲げるな/朝鮮語をしゃべるな!」と。
 高校無償化「適用除外」ですか、そもそも論で言うなら、日本政府は民族教育を積極的に保証すべき歴史的・道義的義務があるのですよ。(宣)
 ――「朝鮮商工新聞」(3月16・23日付)から

※敗戦後に中国から引き揚げられた方によると、当時、大連でも市政府が設立を許可した日本人学校があり、日本人教師によって日本語で教育が行われていたそうです。
当時の朝鮮、中国の日本人学校の事情にお詳しい方がいらっしゃったら、ぜひコメントをお寄せください。

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