訳者あとがき

朝鮮語翻訳家です。最新作は「愛の群像」のシナリオ作家ノ・ヒギョンの初エッセー集『いま愛していない人、全員有罪』です。

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朝鮮に入国

いよいよ朝鮮に入国です。
その前に、空港で入国審査を受けなくてはなりません。
というわけで、ちょっと長くなりますが、パスポートとビザの話を。
(引っぱってすいませんm(_ _)m)

イメージ 1
朝鮮のビザ(左)と高麗航空のチケットです。

日本と朝鮮民主主義人民共和国は国交がないため、
日本でビザを受け取ることができません。
事前に旅行社を通じて申請し、瀋陽の空港で
高麗航空の職員からビザを受け取ります。

高麗航空の職員は、ビザの写真と顔を見比べるだけで、
パスポートもチェックせずにビザをくれます。
なんだかアバウト……( ̄。 ̄)

ビザはパスポートに貼られず別紙になっており、
入国スタンプはビザに押されます。
そして出国時にはビザは回収されてしまいます。
パスポートには入出国を示すスタンプは残りません。

この事実はわりとよく知られていますが、
その理由について正しく書いてあるものを
見たことがありません。

現地の指導員(지도원、朝鮮ではガイドのことを
こう呼びます)に
「なぜパスポートに出入国のスタンプを押さないのか」
と訪ねると、こんな答えが返ってきました。

「私たちも日本に行くときは、パスポートではなく、
日本政府が発行する渡航証明書にビザをもらうんです。
わが国と国交を結べば、パスポートにスタンプを
押してあげますよ」

後日、日本の法務省の入国管理局に電話して、
朝鮮人の入国手続きについて確認しました。

「朝鮮とは国交がないので、朝鮮の旅券は有効なものとは
認めていません。北京の日本大使館か瀋陽の総領事館で
渡航証明書とビザを発給して、それで入国してもらう
ことになります。ただし、いまは制裁中なので、申請されても
特別な人道的理由がない限りは入国は認めません」

つまり、日本と朝鮮が両方で同じことをしてたって
ことですね(朝鮮側は日本人の入国を原則として
認めているところは違いますが)。

※ネットサーフィンをしていたら、入国スタンプをノートに
押してもらったという人がいて、びっくりしました。
私も今度行ったらお願いしてみよう。
http://www.d4.dion.ne.jp/~ji2txu/dpr/stamp/stamp.htm


イメージ 2
今回の訪朝に同行した朝鮮籍の友人の再入国許可証です。

日本政府は現在、朝鮮に制裁を科しており、日本国民に対して
朝鮮への渡航自粛を求めています(罰則はなし)。

在日朝鮮人の場合は、さらに再入国許可証にこの写真に
あるように、「北朝鮮への渡航自粛を要請します。」という
スタンプが押されます。

同行した友人は入国管理局の係官にこういったそうです。
「僕は自粛せん。この要請はこの場で却下する」


※用語解説 φ(。。)

【朝鮮籍】
1945年以前、朝鮮が日本の植民地にされていた時期に
日本に渡ってきた朝鮮人(いわゆる在日コリアン)は、
朝鮮解放後、外国人登録の対象とされましたが、その際に
国籍欄はすべて「朝鮮籍」として登録されました。

その後、大韓民国の成立や日韓条約による日韓国交回復
などにより、外国人登録の国籍欄を「韓国」に書き換える人が
しだいに増えていきました。

しかし、さまざまな思いや事情から、「韓国籍」への変更を
よしとしない人々が「朝鮮籍」として残りました。

つまり朝鮮籍というのは、日本の法律上、旧植民地朝鮮の
出身者という意味であって「国籍」ではありません。
したがって、朝鮮籍=朝鮮民主主義人民共和国籍ではありませんし、
故郷が南と北のどちらにあるかとも関係ありません。((-_-。)(。-_-))
(実際は在日朝鮮人のほとんどは南の出身)

「北朝鮮籍」という表記がたまに新聞や雑誌に見られますが、
これも誤りです。「北朝鮮籍」というものはありません。


【再入国許可】

日本に在留する外国人がいったん出国して、同じ資格のまま
日本に再び入国することを認める制度。

日本生まれで、日本語しかしゃべれない、家族が日本にしか
いない在日朝鮮人(韓国人)であっても、再入国許可を受けずに
出国したら、永住資格を失い、再び日本に入国できるか
どうかは保証されません( ̄□ ̄;)!!

実際、在日韓国人の知人が初めての海外旅行で再入国許可を
取らずに成田から出国しようとして出国審査の係員に止められ、
その場で特別に再入国許可を出してもらって難を免れた
ことがありました。(;´ДA

韓国籍で韓国のパスポートを持っている人の場合は、
再入国許可はパスポートに添付されます。
朝鮮籍の場合、朝鮮民主主義人民共和国のパスポートを
持っていても、日本政府は正式な旅券として認めていないため、
別途、再入国許可証の発給を受けます。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
お疲れ様〜( ^-^)_旦""

次回はいよいよ平壌の街並みです。
朝鮮半島ほぼ縦断旅行記の続きです。


イメージ 1
朝鮮と中国の国境を流れる鴨緑江(アムノッカン)の河口付近。
上空を飛んでいるとき、こんな機内アナウンスが朝鮮語と英語で流れる。
「82年前、金日成主席は日本帝国主義の植民地支配から祖国を解放するという
大きな望みを抱いて鴨緑江を渡りました……」


イメージ 2
降下が始まった。平壌に近い平安南道の穀倉地帯。
きれいな長方形に切り分けられた協同農場の水田に、青々と稲が茂る。
だが、山岳地帯が多い北朝鮮は、耕地面積が国土全体の20%しかない。
豪雨や旱魃で収穫の一部が失われると、それだけで食糧供給はピンチに陥る。


イメージ 3
ビデオを回しているうちに平壌順安(スナン)空港についてしまった。
電子機器の使用を止めるようにとのアナウンスもなかったと思う。
タラップを降り、バスで空港ターミナルへと向かう。
車体には高麗航空のロゴマークが描かれている。
以前は普通の座席バスだったが、最近、空港専用のランプバスに変わった。
訪問客が増えているためだろう。

イメージ 1

イメージ 2

韓国のyahoo.blogに、ドラマ「ファン・ジニ」の撮影場所一覧が紹介されていました。
http://kr.blog.yahoo.com/gugi_helper/37186.html?p=1&t=3

すべて朝鮮語ですが。手が空いたら順々に訳していきます。
というか、どなたか翻訳してくれるとうれしい。

とりあえず見出しだけ翻訳しておきます。
クリックすると地図と解説の載ったリンク先に飛びます。

ファン・ジニの宮中宴会撮影地、キョンヒ宮
倒れたチニを抱きかかえるキム・ジョンハンの心


ドラマ「ファン・ジニ」の撮影地、ソンギョジャン
ドラマ「ファン・ジニ」の美しい背景はどこ?

チニとウノのキスシーン撮影地、コチャンウプ城
初恋相手との突然のキスシーン



イメージ 1

映画原作『ファン・ジニ』訳者あとがき(その3)


 ところで、二〇〇二年という年に南北朝鮮で同時に黄真伊を主人公にした小説が登場し、大きな反響を巻き起こしたのは、決して偶然ではないだろう。

 本書の舞台、松都(ソンド)(開城)は、高麗時代に王都となり、朝鮮王朝がソウルに遷都するまでの約四百七十年にわたって政治経済の中心地だった。一九四五年八月、日本の植民地からの解放とともに朝鮮は南北に分断され、北緯三十八度線のすぐ南に位置する開城は、南の領域に組み込まれた。だが、朝鮮戦争を経て開城は軍事境界線の北側に入り、いまでは北の領域となっている。

 こうした経緯から、開城は離散家族が多く、南にも開城出身者は多い。ソウルからはわずか数十キロメートル、自動車なら一時間の距離である。にもかかわらず、南の人々にとっては、開城は禁断の街となっていた。

 その状況に劇的な変化をもたらしたのが、二〇〇〇年六月の南北首脳会談だった。歴史的な六・一五共同宣言では、分断された鉄道と道路を連結するとともに、開城に工業団地を建設することが合意された。〇二年十一月には北側で開城工業地区法が制定され、いまでは南側が建てた五十以上の工場で、約三万人の北側の労働者が働いている。〇七年十二月からはソウルから日帰りの開城観光も始まり、毎日数百人がバスでこの美しい高麗の古都を訪れるようになった。

 このような南北関係の大きな変化が、南の人々の間に開城への関心を呼び起こし、いまの黄真伊ブームへとつながったと言える。

 本書では、ノミを始めとする登場人物たちが、臨津江(リムジンガン)を渡って開城とソウルの間を自由に行き来している。分断以前は、これが当たり前の姿だった。そして近い将来、たとえ紆余曲折はあろうと、それが当たり前の姿になるだろう。

 不幸にも、現在の日本から見た「北朝鮮」は、そこに生きる人々の表情を想像することも難しくなってしまっている。こうしたなかで、本書翻訳の貴重な機会を与えてくださった朝日新聞出版の林るみさんに謝意と敬意を表したい。

 日本の読者が本書を通じて、隣国の人々とともに笑い、涙していただけたなら、翻訳者としてこれほどうれしいことはない。

    二〇〇八年八月
                                          訳者


http://www.amazon.co.jp/dp/4022504676
http://www.amazon.co.jp/dp/4022504722
http://www.amazon.co.jp/dp/4022504730

イメージ 1

映画原作『ファン・ジニ』訳者あとがき(その2)


 幸いにも、わたしはこの北と南の『ファン・ジニ』を翻訳する機会を得た(同タイトル、同一訳者名となると紛らわしいため、本書では筆名を使用した)。そのふたつの作品を読み比べてみることも、なかなか興味深い。両作品から、黄真伊の印象的な独白を抜き出してみよう。

最高になりたい。何を学ぶかよりも、学ぶこと自体が目的でした。限界をひとつずつ越えていくときの喜び。これまで見えなかったものを見つけたときの胸の高鳴り。(中略)何人かの童妓たちといっしょに、歌や舞、楽器を学びましたが、他の子のことはひとつも目に入りませんでした。
――キム・タクファン『ファン・ジニ』(早川書房、拙訳)上巻、一〇四ページ

仮に愛というものが本当にあるとしても、産神の目から見たら、それは子どもを作るためのひとつの過程にすぎません。(中略)ところが、わたしも考え方を変えなくてはならないようです。この世の中には嘘偽りのない、本物の愛があるばかりでなく、その愛こそは、このうえなく美しく神秘的なものだと。
――ホン・ソクチュン『ファン・ジニ』(朝日新聞出版、拙訳)中巻、二一〇ページ

 つまり、一言でいえば、キムの描く黄真伊は“完全な人間”を目指して学びに没頭する一方、ホンの描く黄真伊は自立した女と男による真実の愛を追い求める自立した女性なのだ。そのため、黄真伊と親交があったとされる儒者・徐敬徳(ソ・ギョンドク)も、前者では黄真伊とともに真理を追究する一生の師として、後者では“愛の旅人”たる黄真伊の挑戦を受けて立つ存在として描かれている。もっとも、黄真伊の生きた時代は、学問も、真実の愛も、女性にとって手に入れることは困難だったに違いない。両作品の『ファン・ジニ』のいずれもが感動を呼ぶのは、その困難に立ち向かう自由な人間の姿を描いているからだ。

(その3につづく http://blogs.yahoo.co.jp/ynz98ynz/44021028.html


http://www.amazon.co.jp/dp/4022504676
http://www.amazon.co.jp/dp/4022504722
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