訳者あとがき

朝鮮語翻訳家です。最新作は「愛の群像」のシナリオ作家ノ・ヒギョンの初エッセー集『いま愛していない人、全員有罪』です。

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    18世紀の画家、申潤福(シンユンボク)が描いた妓生の姿


ドラマや映画「ファン・ジニ」で日本でも注目を集める妓生(キーセン)ですが、意外にあいまいで、わからない部分が多いように思います。

そこで、韓国・高麗大学の学生新聞「高大新聞」に、妓生の歴史についてうまくまとめた記事がありましたので、翻訳してみました(小見出しと〔 〕内は訳者)。


芸術を花咲かせた“解語花(ヘオファ)”、妓生(キーセン)

歴史のなかの女性の足跡……日帝強占期に娼婦の意味に歪曲

 
 冬至の月の長々し夜を 腰のところでふたつに切って
 春風の布団の下に ぐるぐると巻いておき
 愛しい方がいらした夜に そろそろと広げます

愛しい人を待つ女の切実な気持ちを、比喩に託したこの時調〔シジョ、朝鮮の定型詩〕は、歴代妓生のなかでも有名なファン・ジニ(黄真伊)の作品だ。賤民でありながら、今日までファン・ジニが優れた女流詩人として認められてきたのは、妓生という彼女の身分によるところが大きい。彼女たち妓生は、厳しい訓練を通じてパンソリ〔太鼓に合わせて物語を語る朝鮮の伝統芸能〕、伽?塩琴(カヤグム)、宮中舞などを学び、知識人男性を相手に芸術的才能を披露する知的能力を備えていた。


妓生の起源

『高麗史』によれば、高麗の太祖の時代〔10世紀〕に、百済(ペクチェ)の遺民たちのなかから容貌に優れ、才能のある女性を選び、歌舞を学ばせたのが、妓生の起源だという。彼女たちは八関会〔国と王室の安泰を祈願する儀式〕や燃燈会〔釈迦の誕生日に火を灯して福を祈る儀式〕などの行事や、外国から使臣を接待する場に動員された。朝鮮王朝の時代になると妓生制度が発達し、英祖の時代〔18世紀〕には“妓生”という用語も初めて使われた。そのため、一般的に妓生といえば朝鮮王朝時代の妓生を指す。

朝鮮王朝時代の妓生は、大きく官妓と私妓に分かれる。我々が知っている名妓のほとんどは官妓である。彼女たちは各地方から選ばれて、宮中の音楽と舞踊を管轄する掌楽院に所属し、そこで妓生となるために必要な言葉遣い、立ち居振る舞い、音楽、書画などを身につけた。官妓のうち地方の官妓を郷妓(ヒャンギ)と言うが、彼女たちの大半は官妓の母親の後を継いで自分も妓生になるケースが多かった。国の大きな行事や宴会があるときは、多くの郷妓が上京して、京妓とともに歌と舞を披露し、再び帰郷した。


妓生の等級

妓生の等級は一牌(イルペ)、二牌(イペ)、三牌(サンペ)に分かれていた。
一牌とは、宮中で女楽として御前で歌舞を披露する一級妓生のことで、高い地位にあった。二牌とは官庁や官僚の家に出入りする級の低い妓生で、“慇懃子(ウングンチャ=秘かに身を売る女性)”とも言われた。三牌とは身を売る酒場の酌婦を意味する最下流の妓生で、“搭仰謀利(タバンモリ)”、遊女とも呼ばれ、大部分が私妓だった。客を接待するときに雑歌などを歌ったが、その水準は一牌妓生の歌舞とは比べものにならなかった。

一方、病人の診察をする医女(ウィニョ)と宮中で衣服を仕立てる針婢(チンビ)も、宴会で妓生役を兼ねる場合が多かった。彼女たちはそれぞれ薬房(ヤクパン)妓生、尚房(サンバン)妓生と呼ばれたが、両房妓生〔薬房妓生と尚房妓生を合わせた言葉〕になるのは宰相になるより難しいとされ、妓生宰相とも呼ばれた。彼女たちの地位は相対的に非常に高く、後には“正三品”“従四品”などの官職を与えられる妓生もいた。


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日本統治下の妓生

朝鮮王朝後期から社会が不安定になり、妓生と娼婦の区別が曖昧になり始めたが、本格的に官妓の伝統に変化が起きたのは、日帝強占期〔日本の植民地期〕からだ。1909年、“官妓制度”が廃止され、売春が合法化されて、誰でも金さえあれば妓生を買うことができるようになった。また、下流妓生が娼婦化したため、伝統妓生全体が社会的な蔑視の対象に転落してしまった。

こうした過程のなかでも、妓生の伝統を引き継ぐための努力は続けられた。日韓併合の翌年である1911年、朝鮮正楽伝習所で妓生に歌と舞を教えた。これがわが国の妓生組合の始まりである茶洞(タドン)組合である。その後、このような妓生組合が各地に生まれた。だが妓生組合は、朝鮮総督府〔日本の朝鮮統治の最高機関。総督は天皇に直属し、陸海軍の大将から任命された〕によってその名称を日本式の“検番”〔待合や料理屋への芸者の取り次ぎや玉代の計算などを扱う事務所〕に変えられ、その目的も妓生の養成から商品の売買へと変質した。


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妓生文化の伝承

日本の植民地からの解放後、妓生を売春婦のように公娼扱いする米軍政によって伝統妓生の存在は否定された。妓生養成の構造は完全に破壊され、その後継はほとんど断絶してしまった。ただ、ノンゲ(論介)〔16世紀の妓生。秀吉の朝鮮侵略で晋州城が陥落した際、日本の武将を道連れに川に身を投げた〕の故郷である慶尚南道(キョンサンナムド)晋州(チンジュ)では、その伝統が守られた。老いた妓生たちによってノンゲの功績を称える義妓彰烈会が結成され、検番出身の退妓たちが舞踊研究所を作って、晋州教坊の楽歌舞はかろうじて命脈を保った。その結果、晋州剣舞が1967年に国家指定重要無形文化財第12号に認定され、妓生文化が伝承されることになった。

妓生は、男性中心社会だった朝鮮の歴史において、女性の重要な足跡を残す契機を生み出した。また、伝統文化の継承者として芸術と文化発展に貢献した。これについて、『ファン・ジニ』〔ハヤカワ文庫〕を書いた小説家のキム・タクファン(金琸桓)氏は、「妓生は一生を通じて自己の完成を追求した芸術家であり、1910年代までは音楽、舞、詩、文筆にいたるまで独自の地位が認められていた」と評価する。

“解語花(ヘオファ)”−言葉を解する花−と呼ばれた妓生は、もはや存在しない。だが、時代と制度に押しつぶされた彼女たちの芸術的才能と、ファン・ジニの孤高、ノンゲの愛国心、ホンナン(洪娘)〔16世紀の妓生。節義に厚く、時調に優れていた〕の節操など、その象徴的なイメージは、現代人の脳裏にいまも息づいている。



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