訳者あとがき

朝鮮語翻訳家です。最新作は「愛の群像」のシナリオ作家ノ・ヒギョンの初エッセー集『いま愛していない人、全員有罪』です。

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2009年08月

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金大中元大統領が亡くなりました。ひとりの政治家の死という以上に、私には感慨深いものがあります。

私がはじめて韓国・朝鮮のことに関わるようになったのは、1980年の光州民衆蜂起と金大中への死刑判決でした。当時、学生だった私は、金大中救援を訴えるため、何度か韓国大使館と日本外務省にデモに行きました。

それをきっかけに、自分が隣国のことをほとんど何も知らないことに気づき、朝鮮語を学ぶようになりました。大学卒業前に韓国を旅行し、光州にも行ってみました。82年2月、まだ金大中が死刑から無期懲役に減刑され獄中にいたときです。

友人のペンパルを頼って全羅道の田舎、淳昌(スンチャン)に行きました。バスを降りると、ぞろぞろと村の人たちが集まってきました。「この村に日本人が来るのは35年ぶりだよ」。つまり、私が解放後にこの村に来た、唯一の日本人だというわけです。そこの農家に一晩泊めてもらいました。

その夜、農村の若者たちと酒を飲みながらいろいろな話をしました。私は日韓辞典を持ち、相手には韓日辞典を渡して、それを引き引きでしたが、それでも不思議と、どんな話でも通じるのでした。

「日本でいちばん有名な韓国人は誰?」と聞かれて、「キム・デジュン」と答えると、わっと歓声が上がりました。囚人として獄中にあっても、全羅道では金大中の人気は抜群でした。

ソウルに行くと、新聞に「金大中、懲役20年に減刑」との見出しがありました。でも、ソウルの人たちは光州で何が起きたのかも知らず、金大中の名を口にすることもはばかられる雰囲気でした。朝日新聞の支局に遊びに行き、全羅道ではいまだ金大中の支持が厚い、と話すと、それが翌日の朝日新聞にそのまま載りました。

ソウルのこわばった空気に触れると、全羅道の農村での一夜が、まるで夢のように思われました。当時、軍事政権がいつ終わるとも知れず、まさか金大中が本当に大統領になるとは、想像もつきませんでした。

金大中のニュースを見るたびに、あの全羅道の若者たちの笑顔と、街灯もなく、真っ暗で、星が降るようだった農村の夜空を思い出します。

あのときの若者たちもいまはみな50代。みんなどうしてるだろうか。

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   「人待ち」シン・ユンボク


今回は申潤福(シン・ユンボク)の「人待ち」を紹介します。

庶民の日常を描いた金弘道(キム・ホンド)のわかりやすい絵と比べて、シン・ユンボクの作品はつねにどこか謎めいています。

まず、この絵の技術的な特徴について、小説『風の絵師』のなかでキム・ホンドはこう説明しています。

「問題の絵には、三つの特徴があります。単純な線を使い、画面を絶妙に分割しています。これは絵の作者が、線、面、形の認識能力に優れていることを物語ります。また、木の枝と塀を画面の両端に配置し、上から伸びた柳の枝だけを描いたのは、絵が画面の外へと連なるように見せる工夫です。小さな画幅では表現し切れない多くの物語を、画面の外へと拡げて見せたのです。さらに、女が顔を背けて視線を後ろに送っているのは、鑑賞する者の視線を画面の後方へと立体的に拡げる効果を与えています」


この「人待ち」も、よくよく見ると不思議な絵です。
この女性は誰なのか。なぜ顔を背けた姿を描いたのか。塀はあるのに、なぜ家の中が描かれていないのか。

絵を読み解くヒントは、女性が手に持っている“ソンナク”という帽子です。このソンナクは、サルオガセという深い山の樹木の枝や幹からたれ下がって生える植物を編んでつくったもので、当時の僧侶がかぶるものでした。

小説『風の絵師』では、この絵が“春画”とみなされて、図画署は大騒ぎになります。
また、ドラマの方では、描かれた女性が実は貞純(チョンスン)王后だったために、やはりユンボクは画員生命の危機におちいります。

貞純王后とは、当時の李王朝22代王、正祖(チョンジョ、名はイ・サン)のお祖母さんです。お祖母さんといっても、正祖とは年齢が7歳しか違いません。というのも、貞純王后は、正祖のお祖父さんである英祖(21代王)が66歳のときの再婚相手だったからです。結婚したときの貞純王后の年齢は、わずか15歳。
“朝鮮開国以来一番の歳の差カップル”でした。

参考:〈続 朝鮮史を駆け抜けた女性たち-6〉 自ら「女君主」と称する−貞純王后金氏

それはさておき、最初この絵を見たとき、なぜ“春画”なのか、さっぱり理解できませんでした。
小説『風の絵師』から、絵について説明している場面を抜き出しましょう。

静かな屋敷の裏庭。こぎれいな石塀が続く。画面の上方からは、よく茂ったしだれ柳の枝が伸びる。中央には枯れた古木が立ち、一人の女が顔を背けて横顔を見せている。女が何を見ているのか、誰を待っているのか、判然としない。

「安定して、それでいて大胆な構図、強い古木の勢いと見事なしだれ柳との調和、誰かを待っているような女……。生徒の習作としては、非の打ち所がないように思われますが……」

元老画員のカン・アンソクが舌打ちをした。(中略)

「絵の中央に堂々と女を配するなど、話になると思うのか?」

確かに、図画署の絵に女の姿を描くのは禁忌中の禁忌だった。精密な記録画や儀軌【ぎき】〔国家的な出来事を、後世の参考のために詳しく記した書物〕でやむを得ず女を描く場合ですら、画面の隅に配するか、異常なほどに小さく描くのである。ところがその絵は女を、しかも画面の中央に堂々と描いているのだ。

画員たちは沸き返り、舌打ちの音が続いた。

「何をとぼけておる。それとも、本当にわからんのか? これは明らかに春画だ。低俗きわまりない、汚らわしい絵だ!」

春画といえば、ホンドも清国から流れてくる赤裸々な作品を、飽きるほど見てきた。若い画員たちがひそかに露骨な情事の場面を描き、市場で売ることもあった。赤裸々であればあるほど、絵は高値で売れた。秘密裏に春画の習作を売り、その金で遊郭に出入りする生徒までいた。

「私の目には……この絵から春画という感じは受けません」

首を傾げるホンドに、カン・アンソクは怒鳴り声を投げつけた。

「その女の足下から生えた古木を見てもわからぬか!」

細い春の草が生える柔らかな土から、黒く太い古木の株が上へと伸びている。瞬間、ホンドはカン・アンソクの言葉の意味がわかるような気がした。

「巷【ちまた】では、半裸の男女が交わる春画も珍しくありません。仮に春画だとしても、このように昇華された作品であれば……」

「何を言う! そなたの目は節穴か……。よく見るがよい、その女が何を手に持っているか」

後ろに組んだ女の手にあるのは、僧侶の編み笠だった。ホンドは生唾を呑み込んだ。
「わかったか。情を交わした坊主がずらかるときに落としていった編み笠を手に、街の女がそわそわしている光景だ。このような下品な絵が、民間の画室や市場をうろつく絵描きの懐からではなく、図画署から出てくるなど、話になるか!」

カン・アンソクが再び声を高めた。ホンドは何も言えなくなった。


つまり、この女性が手に持っている編み笠(ソンナク)が、僧侶との情事を象徴しているのだそうです。ドラマではこれをさらに脚色して、老年の夫(英祖)との結婚生活に不満を抱く貞純王后の不倫の場面を、ユンボクがそれと知らずに描いてしまった、という設定になっているわけです。

何気なく描かれた小道具ひとつで、ここまで見る者の想像をふくらませるユンボクの画才は、やはり並ではありません。謎めいた絵と、謎めいたユンボクの人物像。『風の絵師』は、それをうまく結びつけた作品だと思います。


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