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直前になってしまいましたが、明日14日夜、私が関わっている朝鮮人道支援ネットワーク・ジャパン(ハンクネット・ジャパン)の訪朝報告会を行ないますので、お知らせします。 ご都合の付く方はぜひ足をお運びください。 ビデオによる訪朝報告 制裁措置の即時中止を求める 日時 2009年11月14日(土) 午後6時30分〜午後8時45分 場所 文京区民センター 3-C会議室 東京都文京区本郷4−15−14 内容 ・「訪朝・支援活動」ビデオ上映報告 ・「制裁を許さない!制裁強化による人権侵害の実態」報告 参加費 800円(学生ほか500円) 日本政府の制裁措置の誤りを明らかにするため、私たちハンクネットが行って いる朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)の育児院への粉ミルク支援活動の報告と、 今年8月の訪朝の様子をビデオで報告します。 また、この制裁措置により、在日朝鮮人が朝鮮に住む孫にサッカーシューズを 郵便発送しようとしたところ、郵便局で拒否されたり、共和国に住む親戚に食品 や衣類などの生活必需品を送ろうとしたところ、税関から送り返されたりすると いう事件が各地で起こっています。このように、極めて悪質な人権蹂躙事件を起 こしている日本政府の実態を広く社会に訴え、即時、制裁措置の破棄を求めるた めの集会です。 皆さんのご参加をお願いします。 主催
朝鮮人道支援ネットワーク・ジャパン |
朝鮮半島「ほぼ縦断」旅行記
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去年の訪朝記が完結しないうちに、今年の8月の訪朝記を「朝鮮新報」に書きました(汗) 以下、転載します。 1年ぶりに訪朝して 新観光スポットに「黄真伊の墓」各国観光客で賑わう平壌、夜景を楽しんだ元山、新しい竿もつ釣り人らhttp://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2009/06/0906j1013-00005.htm 今年も朝鮮人道支援ネットワーク・ジャパン(ハンクネット)訪朝団の一員として、8月27日から9月1日の日程で、平壌、開城、元山を訪問した。例年通り、訪朝に合わせて平壌市育児院と江原道育児院に粉ミルクを送ったが、今年はいつにない困難があった。日本政府の全面禁輸措置のために、日本から直接ミルクを送れるのかどうか不透明だったので、経済産業省と交渉をしつつ、先にオーストラリア産脱脂粉乳約5.4トンを韓国・仁川港経由で南浦港に送ったのだ。結局は人道支援物資であることが認められ、日本製の粉ミルク850キログラムも船便で送ることはできたが、経済産業省は育児院の住所や院長の名前まで細々とした情報を要求し、何とも不愉快な後味が残った。 平壌市育児院で。左から院長、専属医師。 キム・ジョンヒ院長は平壌市人民委員会代議員(日本で言えば市議会議員)でもある。 北京経由で平壌に到着すると、空港ターミナルは在日朝鮮人の祖国訪問団や、さまざまな国からの観光客でごった返していた。税関検査の行列に並んでいたイギリス人女性に聞くと、「アリラン公演を見に来た」と言う。66年W杯イングランド大会での朝鮮の活躍を描いたドキュメンタリー映画「奇蹟のイレブン」のダニエル・ゴードン監督が企画したツアーだそうだ。 その日の北京−平壌間の高麗航空は二便に増便されていた。このままでは間もなくターミナルが手狭になるのでは、と心配になるほどだった。独り相撲をとる日本の政治家や役人に見せてやりたい光景だ。 板門店を訪れた中国からの観光客たち。 朝鮮族も多かった。 翌日は板門店へと足を伸ばした。非武装地帯へと続く検問場には観光バスが列をなし、中国人観光客であふれている。ある老夫婦の会話に耳を澄ませると、延辺から来た朝鮮族だった。 ガイドの軍人には見覚えがあった。06年にも世話になった人民軍板門店代表部の参謀だ。向こうも私の顔を覚えていてくれて、懐かしく握手を交わした。 「日本人の多くが、朝鮮の核やミサイルに脅威を感じているが」と水を向けると、彼は「われわれは戦争を望まないが、日米が敵対政策を続けるかぎり、それに備える必要がある」と答えてから、ニヤリとしてこう付け加えた。 「でも、ご心配なく。もし戦争になったら、私がみなさんを迎えに行って朝鮮に連れ帰りますから」 周囲は笑いの渦に包まれた。 続けて開城に立ち寄った。昨夏に続けての訪問だが、前回はソウルからの一日観光だった。北と南、どちらから来るかで、この古都は違う表情を見せる。「南からの客」だった昨年、開城の街路は人通りが少なく、住人たちは路地の奥から観光バスをのぞいていた。 今回は人も自転車も多い。名物の飯床器の昼食をとった統一館の向かいの木陰では、老若男女がのんびりと涼んでいる。南大門の鐘楼に登ると、国宝の大きな鐘の向こうから、いたずら小僧が顔をのぞかせた。 開城郊外で見つけた「黄真伊の墓」の案内板。 黄真伊の墓の参拝を希望したが、改修中でかなわなかった。だが、南側が築いたコンクリート障壁の見学に行く途中、バスの車窓から「黄真伊の墓」と書かれた小さな看板を見つけた。南からの開城観光が再開されれば、絶好の観光スポットになることだろう。 元気な子が増えたが、まだミルクは足りない。(平壌市育児院) 3日目は平壌市育児院を訪れ、ミルクの到着と元気になった子どもたちの姿を確認できた。この数年で食糧事情はかなり改善されたが、粉ミルクは国内生産ができず、入手が難しいそうだ。海外NGOで乳児用の粉ミルクを支援しているのはハンクネットだけだと聞き、肩がずっしりと重くなった。 今回の旅行全般を通して、人々の生活に厚みと余裕が感じられた。平壌はリニューアルがほぼ完了し、平壌大劇場は改築を済ませた。105階建ての柳京ホテルも、急ピッチで外壁工事が進んでいる。噂のハンバーガーショップでは、若い男女が生ビールを片手におしゃべりに興じていた。 平壌市内のハンバーガーショップで。 「クウンパンチヂム(ワッフル)」(1.5ユーロ)をメインにカムジャジュク(マッシュポテト)とキムチ、生ビールを注文。 かつて主流だった日本製の中古車は減り、ドイツ車や国産車が増えている。新築のガソリンスタンドも何カ所か見かけた。料金表示には「1リットル1.05ユーロ」とあった。沙里院の田舎道では、「アリラン公演」とプレートを掲げた観光バスとすれ違った。元山の街は新しい発電所の完成で夜景が楽しめ、港の防波堤に立つ釣り人は新しい竿を手にしていた。 日本に戻ると、朝日新聞(9月16日付)に「150日戦闘 国民疲弊」と題した記事が掲載された。本文をよく読むと、現地取材は一つもなく、すべて韓国での又聞き情報で、首をかしげてしまった。 (米津篤八、ハンクネット共同代表、翻訳家) [朝鮮新報 2009.10.13] |
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朝鮮半島「ほぼ縦断」旅行記・番外編です。 |
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「やはり私は自分を育んでくれた朝鮮が一等好きであり、そして憂欝そうでありながら仲々にユーモラスで心のびやかな朝鮮の人達が好きでたまらないのだ。」 ――金史良(キム・サリャン)『故郷を想う』(1941年5月)より * * * ピョンヤン市内を流れる大同江(テドンガン)は、最近、岸辺の改修工事が完了し、 市民の憩いの場として親しまれています。 日曜日になると、人々は河岸の公園に集まり、おしゃべりをしたり、釣りをしたりして、 のんびりと過ごします。 ピョンヤンを発つ前日(8月24日)、ホテルから散歩がてら、大同江の岸辺に出かけてみました。 日傘の相合い傘で歩くのは恋人たちでしょうか。 向こうにはピョンヤンの東西をつなぐ大同橋とチュチェ思想塔が見えます。 将棋を指す老人と、観戦する野次馬。 朝鮮の将棋は駒の形が8角形をしており、王将にあたる駒は 一方が「漢」、他方が「楚」となっています。 堤防につくられた遊歩道をゆく子どもたち。 建国60周年行事の練習帰りでしょうか。手に手に飾り物を持っています。 職場の仲間と弁当を広げる若者たち。 近くの金日成広場で行事の練習があるときは、それぞれ弁当を持ってきて、 お昼は仲間どうしで楽しく食べるのだそうです。 川岸に浮かぶ遊覧船。川面をクルージングしながら、船上でバーベキューを 楽しむことができるそうです。 * * * 「あの澄み渡った青空の下、どこか好きな大同江の流れでも見下ろされる丘の上に住みたい」 ――金史良(キム・サリャン)『故郷を想う』より ※金史良(1914-1950) 日本統治下の平壌に生まれる。日本に留学し、東京大学在学中に 発表した日本語の小説『光の中で』が芥川賞候補となる。第二次大戦末期に中国・抗日 地区へ脱出し、朝鮮義勇軍に参加。1950年に朝鮮戦争が勃発すると、朝鮮人民軍の従軍 作家として南下するが、持病の心臓病が悪化し、撤退中に行方不明となる。 |
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朝鮮半島「ほぼ縦断」旅行記の続きです。 東明王陵の敷地内には祭堂が建てられています。 祭堂の内部には、朱蒙(チュモン)が高句麗を建国するまでの伝説と、 高句麗の文化・風俗を描いた絵画が展示されており、 ガイドさんがわかりやすく説明してくれます。 朱蒙の父、ヘモス(解慕漱)です。 五匹の龍が引く車に乗って天地を駆け巡る天王郎(天帝の子) という伝説に基づいた絵です。 ヘモス役のホ・ジュノ。 ちょっと感じが違いますかね。 左は朱蒙の母、ユファ(柳花)。 水の神、河伯(ハベク)の娘です。 ユファは白頭山付近の優渤水(ウバルス)という川のほとりで、 扶余王のクムワ(金蛙)と出会い、妃となりますが、 ヘモスの子をはらみ、大きな卵を生みます。 その卵から生まれたのが朱蒙です。 右はユファとともに弓の稽古に励む幼い朱蒙。 朱蒙とは、扶余(プヨ)の言葉で「弓をよく射る者」という意味だそうです。 ユファ役のオ・ヨンス。 こちらはちょっと雰囲気が出ているかも。 高句麗の建国を宣言する朱蒙。 高句麗建国の年代ですが、南北の学説には240年のずれがあります。 大韓民国では紀元前37年建国とされていますが 朝鮮民主主義人民共和国の定説では紀元前277年となっています。 左後方の二人の女性は朱蒙の妃、ソソノ(召西奴)とイェソヤ(礼少椰)だと思います。 どちらがどちらかは聞き忘れました。 ソソノは後に先夫のウテ(優台)とのあいだに設けた息子たちとともに 南に下り、百済を建国します。 イェソヤが生んだユリ(瑠璃)が、後に高句麗二代王となります。 朱蒙の忠臣・マリ(摩離)の墓とされる墳墓。 東明王陵のすぐ裏手にあります。 マリの墓は内部にも入れます。東明王陵より小振りですが、広さはは3.5メートル四方。 大きな石を組み上げた、がっしりした造りで、天井までは6.6メートルもあるそうです。 残念ながら壁画は残っていませんが、高句麗人の魂は十分に伝わってきます。 玄室内部から見上げた天井の様子。 この石の組み方が、高句麗独特のスタイルです。 本来ならこの古墳の内部にも、こんな鮮やかな壁画が描かれていたはずです。 |




