梅小路蒸気機関車館に訪れた時に目に留まった写真と資料が有りました。
それは流線形の蒸気機関車C53-43号機です、私が子供のころ昭和22年(1947年)大分県別府市亀川に住んでいました近くの日豊本線を走る列車の機関車に流線形の蒸気機関車が走っていた事を思い出しました。その流線型蒸気機関車はC53-43号機では有りませんが、型式は不明ですが、九州ではC55の流線形蒸気機関車ではないでょうか?。
流線型化改造
1934年11月には当時の世界的な流線型ブームに乗り、梅小路機関区所属の43号機が鷹取工場における20日の突貫工事で試験的に流線型に改造された。煙室前部を斜めに切り、運転室は密閉式のものに取替え、車体全体と炭水車上部を流線型の鉄板で覆い、機関車本体と炭水車の隙間は幌で覆った。これらの改造により他機とは全く異なる外観を呈した。塗色も完成直後はチョコレート色に塗装されていたが、試運転の前後に黒に塗り替えられた。
当時は世界的に流線型ブームであり。国鉄では、は空気抵抗の軽減効果が多く標榜されたが、当時の100km/hに満たない運転速度では空気抵抗が列車の走行に与える影響はごく小さなものであった。それよりも列車の周囲の空気の流れを改善し、煙が列車に絡みつくのを防ぐとともに、走行中に対向列車や駅ホーム上の乗客に及ぼす風圧の軽減を目標としたという。
完成後の11月24日には鷹取工場構内で公式試運転を実施し、同年12月1日から1937年7月1日のダイヤ改正で梅小路機関区のC53が特急運用から撤退するまでの間上り「燕」の神戸駅 - 名古屋駅間(明石駅 - 神戸駅間の回送列車も牽引)、下り「富士」の名古屋駅 - 大阪駅間を担当したほか機関車回送を兼ねて急行17列車の京都駅 - 神戸駅間や普通列車も牽引した
運転室内は幌で覆われているため室内の騒音は軽減されたが、その反面、熱がこもり、室内温度が高温になりやすかった。また整備点検には他のC53形よりも約180%多くの時間を要したという。特急運用から外れた直後には流線形カバーは撤去されました。
梅小路蒸気機関車館に静態保存されているC53-45号機は流線形のカバーのない本来の姿で展示してあります。
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2013/1/20(日) 午前 0:43 [ nzv3oo99z02z53 ]
流線型のSLは写真や映画でしか見たことがありません。映画「鉄道信号」ではC55の流線型が出てきます。弾丸列車のイメージがあったのか、はたまた満洲のアジア号の機関車のイメージがあったからでしょうか。
2013/1/20(日) 午前 1:21 [ SL-Mania ]
なんだか格好が良いですね。
私は小さいころ良くみかけた流線型の電気機関車EF55はいまでも格好が良いと思っています。
2013/1/20(日) 午前 5:42
[SL-Mania]さんへ、流線型のSLを弾丸列車と言っていました、8~9才のころ近所の子供達と遊んでいる時、「弾丸列車」がきたと言うともうそれに目が釘ずけになっていました
2013/1/21(月) 午後 9:18
[直さん]さん、流線型のSLは格好が良いですね、EF55「ムーミン」も格好良いですね。
2013/1/21(月) 午後 9:24
はじめまして。上から2枚目の写真。
同じものが我が家にありまして写っているのは父の友人です。
場所は京都駅だと聞いた記憶がありますが・・・・
2016/10/21(金) 午後 2:03 [ hiyamada37 ]
> hiyamada37さん、始めまして、この写真は旧梅小路蒸気機関車館の資料展示室に展示されていた写真をコピーしたものです。
2016/11/20(日) 午後 2:54
> GIG@NETさん。ありがとうございました。
梅小路機関区が父親が鉄道員として勤務していた最後の場所だったので、話がつながった気がします。
2017/5/22(月) 午後 10:21 [ hiyamada37 ]
> hiyamada37さん、お父様が梅小路機関区で勤務なさっていたのですか!!私が国民学校から中学生時代には全国何処に行くにも蒸気機関車の列車でした、蒸気機関車に逢いたくなると、いまだに梅小路に訪れています。
2017/5/23(火) 午後 6:15