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鉄道とともに淀川を渡る赤川鉄橋はいよいよ過去の思い出に・・・その4
淀川橋梁、通称「赤川鉄橋」、は1929年(昭和4年)完成し、複線の幅を持つが、現在に至るまで下流側の単線で運行していいます。余った上流側のスペースは大阪市が借り受けて市道扱いとしており、歩行者の専用橋として木造の赤川仮橋が架かり、地域住民の生活道路となっているのです。しかし、2018年予定の おおさか東線(北梅田 - 放出間)の開業により、赤川鉄橋(赤川の名称は大阪市旭区赤川町から)含む城東貨物線は複線電化され、地域住民から長らく愛されてきた、一つの橋に鉄道橋と人道橋の二面を併せ持つ珍しい風景もなくなる予定で、人道橋から眺める美しい風景も見られなくなるのは残念です。人道橋部分は今年2013年10月31日に閉鎖撤去されます。
赤川鉄橋は地元の人々の生活道路であり、散歩道なのです。
赤川鉄橋より眺める菅原城北大橋は赤川鉄橋より1Km上流にあり、この橋が閉鎖後は菅原城北大橋に迂回しないと渡れない。不便になりますね。
橋上からは、淀川に生息する野鳥やヨシが茂るワンドの様子が、川岸からとは別の角度から観察できるなど、独特の景色が楽しめる赤川鉄橋なのです。
淀川の川砂を運ぶ川船が、毎日正午ころに赤川鉄橋を潜ります、下流の毛馬閘門まで航行します。
淀川の川底を浚渫した川砂を運ぶ船は赤川鉄橋を潜り抜け、毛馬閘門を通過して旧淀川の大川まで航行します。上流にある琵琶湖より流れてくる淀川の水辺は、自然が豊かな景色が眺められる楽しい場所です。 |
【アーカイブ】
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鉄道とともに淀川を渡る赤川鉄橋はいよいよ過去の思い出に・・・その3
淀川橋梁、通称「赤川鉄橋」、は1929年(昭和4年)完成し、複線の幅を持つが、現在に至るまで下流側の単線で運行していいます。余った上流側のスペースは大阪市が借り受けて市道扱いとしており、歩行者の専用橋として木造の赤川仮橋が架かり、地域住民の生活道路となっているのです。しかし、2018年予定の おおさか東線(北梅田 - 放出間)の開業により、赤川鉄橋(赤川の名称は大阪市旭区赤川町から)含む城東貨物線は複線電化され、地域住民から長らく愛されてきた、一つの橋に鉄道橋と人道橋の二面を併せ持つ珍しい風景もなくなる予定である。人道橋部分は今年2013年10月31日に閉鎖撤去されます。
この赤川鉄橋は完成から80数年、蒸気機関車からディーゼル機関車、そして電気機関車へと、色々な列車が人々が歩く横を走りぬけました。
この赤川鉄橋は貨物列車だけでなく、旅客用電車の試運転回送や甲種輸送列車も通過します。JR西日本の321系電車は落成新車が試運転で車両基地までの回送列車です。
DE10-1743ディーゼル機関車が牽引する、甲種輸送列車はJR東海の213系電車です、近畿車輛の徳庵工場で改装された車両が赤川鉄橋を通過しました。
近畿車輛徳庵工場で製造落成したJR東日本のE657系特急形電車。赤川鉄橋を渡り吹田に向かう、甲種輸送列車です。城東貨物線は片町線の放出駅でつながり、近畿車輛徳庵工場で製造された車両が赤川鉄橋を通過します。
JR西日本の車両基地に向かう試運転回送列車は、287系特急形電車。赤川鉄橋は色々な列車が通過するので撮影が楽しい場所です。猛暑の夏の日でも鉄橋を吹き抜ける風が涼しく、楽しい場所なのです。 |
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鉄道とともに淀川を渡る赤川鉄橋はいよいよ過去の思い出に・・・その2
淀川橋梁、通称「赤川鉄橋」、は1929年(昭和4年)完成し、複線の幅を持つが、現在に至るまで下流側の単線で運行している。余った上流側のスペースは大阪市が借り受けて市道扱いとしており、歩行者の専用橋として木造の赤川仮橋が架かり、地域住民の生活道路となっている。しかし、2018年予定の おおさか東線(北梅田 - 放出間)の開業により、赤川鉄橋(赤川の名称は大阪市旭区赤川町から)含む城東貨物線は複線電化され、地域住民から長らく愛されてきた、一つの橋に鉄道橋と人道橋の二面を併せ持つ珍しい風景もなくなる予定である。人道橋部分は今年2013年10月31日に閉鎖撤去されます。
この赤川鉄橋は完成から80数年、蒸気機関車からディーゼル機関車、そして電気機関車へと、色々な列車が人々が歩く横を走りぬけました。
百済貨物駅構内の電化工事が完了し、電気機関車の試運転走行も終わり、駅名も百済貨物ターミナルになり電気機関車による牽引列車が赤川鉄橋を通過するようになりました。
電気機関車での牽引運用が始まると、いろいろな種類の機関車が、赤川鉄橋で見られるようになりました。
ディーゼル機関車の時代はDE10形とDD51形の2種類でしたが、電気機関車にバトンタッチをしてからは、
EF65形、EF66形、EF81形、EF200形、EF210形そしてEF510形と種類も豊富で赤川鉄橋で、列車の撮影が楽しみでした。
列車の至近距離で撮影できるのが、楽しみでしたが、今年10月31日で閉鎖になるのが残念ですね。
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鉄道とともに淀川を渡る赤川鉄橋はいよいよ過去の思い出に・・・その1
大阪市東淀川区東淡路のはずれで、淀川堤防へ上がってみると赤川鉄橋があり、それは複線の幅を持っているのに片側よりの単線しか通っておらず、残りの片側は、木の欄干と板張りの人道橋になっているのだ。(3年前に板張りを鉄板に張替え整備されています)その単線は北へ伸びて、まるでローカル支線のような静かな光景です。
この単線は城東貨物線で、片町線の鴫野から東海道本線の吹田、および片町線の放出から関西本線の平野を結んでいる城東貨物線の淀川橋梁。通称「赤川鉄橋」と呼ばれ正式名称は「赤川仮橋」であり、「鉄道道路併用橋」と称するそうで、人道橋部分は今年2013年10月31日に閉鎖撤去されます。
この淀川橋梁は1929年(昭和4年)完成し、複線の幅を持つが、現在に至るまで下流側の単線で運行している。余った上流側のスペースは大阪市が借り受けて市道扱いとしており、歩行者の専用橋として木造の赤川仮橋が架かり、地域住民の生活道路となっている。しかし、2018年予定の おおさか東線(北梅田 - 放出間)の開業により、赤川鉄橋(赤川の名称は大阪市旭区赤川町から)含む城東貨物線は複線電化され、地域住民から長らく愛されてきた、一つの橋に鉄道橋と人道橋の二面を併せ持つ珍しい風景もなくなる予定である。
この赤川鉄橋は完成から80数年、蒸気機関車からディーゼル機関車、そして電気機関車へと、色々な列車が人々が歩く横を走りぬけました。
1968年頃の赤川鉄橋を通過するD51形蒸気機関車が牽引する貨物列車。
列車を牽引する機関車も蒸気機関車からディーゼル機関車に変り、DE10-1188が牽引するコンテナ貨物。
百済貨物駅から吹田に向かうDD51-759は、大阪では珍しい、寒冷地仕様の機関車で、東北大震災の応援機関車として応援に行き、その後赤川鉄橋では姿を見せなくなり、帰ってきませんでした。
2011年3月、百済貨物駅構内の電化工事が完了し、電気機関車の運用が始まったので、ディーゼル機関車の運用が終わり「ありがとうDD51」のヘッドマークを掲げ、赤川鉄橋を渡るDD51-837機関車。 |
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幻の”幸せの黄色い電車”ドクターイエローが人気!!ダイヤは非公開!!
黄色い車体の新幹線設備の点検車両「ドクターイエロー」のダイヤ予測が、インターネット上で白熱している。JRは運行日時を公開していないが「見ると幸せになれる」という噂が広がり、熱心な鉄道ファンが駅などで運行を確認し、独自のダイヤ予測を公開するサイトやブログを多数開設。一方、関連グッズの売れ行きも好調で、厚いベールに包まれた“幻の車両”は、子供から大人まで幅広く人気を呼んでいるそうです。
私は黄色い新幹線ドクターイエローのことは忘れていました、しかし、今から8年前にドクターイエローを撮影したことを思い出しました。
2005年6月に東京に行くため京都駅の上りホームで待っていると、突然黄色い新幹線が入線してきました。慌ててカメラを取り出し撮影しました。
ドクターイエローは30秒くらい停車し、発車しました車掌は窓から頭を出し前方確認!!最初の遭遇です。
2006年4月に2回目の遭遇!!新大阪駅で岡山行きの「こだま」を待っていると、偶然にドクターイエローが入線してきました、向かい側のホームでしたので全体を撮影、しかし列車の先頭でなく、最後部から撮影。
2006年以来、現在までこの黄色い電車は見ていません。 |



