妖怪予知ダス中学編

[ リスト ]

戦後、空前規模の大衝突
実弾発砲の雨と、妖怪小僧の戦い
全5頁-その2 

客人衆「地元衆、この際に及んで、俺たちまで、殺す気か、
   応戦するぞ、応戦するぞ・・」と、口々に言った。
地元衆の幹事親分
   「すまねぇ、誤射だ、侘びは、いかようにもするが、
    今は、このカギを片付けるほうが先決だ。
    協力してくれ。頼む。」 

   私は、そんなことお構いなしに、既に地元衆、客人衆に向って
   忍法のサスケの術で、空中を飛び交いながら、
   飛礫を放ち続けてました。

サスケの術とは
  飛び上ったら、地面に一切下りないで、土塀から土塀や石垣を
  高速で蹴って、空中移動しながら左右、八方向に飛礫を放ち続けて、
  空中で、宙返りしながら、方向を変えながら、飛礫を四方に放ち、
  一瞬で地面の小砂利を掬い補給しながら、
  兵隊ヤクザの真後ろに降り立って、瞬間に一撃しながら、
  次へ飛んでしまう、一種の瞬間移動と同じ技の連続技のことです。

  目の前の味方が、一瞬で倒されたヤクザ達や青年将校達は、
  反射的に抜刀を振り回したり、小銃を発射するので、味方を斬るか、
  味方を撃ってしまう状況に陥る、能率の良い戦い方が忍法術の極意です。

  なぜ、私が撃ち殺されないのかは、
  人間の目で見て、小銃の引き金を引くまでに
  鍛練された射撃手や、兵隊達でも0.1〜0.2秒を要します。
  百メートルを10秒で移動すると、0.1秒で10m移動できます。
  ところがサスケの術は、その2倍〜4倍の峻速で動き続けられる技です。
  しかも30分経ても、疲れないのが忍法の上忍技なので、
  人間の目で見て脳に伝わった位置には、
  私は、常に居無いのです。
  従って、そこを幾ら狙っても、同士討ち、同士撃ちになって、
  バタバタと、共倒れが続出することになります。

  見た目では、瞬間移動してることになるので、分身の術と言われて、
  どこが本物か、見分けられない間に、次々と倒されてしまうことになります。
  しかも、闇夜の如く薄暗い中で、この俊敏さでは、忍者のほうが断然に目が
  有利なので、青年将校達は、小銃発砲は、30分ほど長く続いたけど、
  私に全員倒されて、壊滅でした。

  この間、私は物陰に隠れたり、静止したりは、一切ありません。
  銃撃で包囲されてる状態で、静止状態は、即座に死を意味する為です。
  地元衆も、客人衆の青年将校達は、的屋の屋台に隠れながら撃ってきます。
  でも、私は、戦いの最中に、時間の経過とともに、敵を倒せる弱点の
  観察もしながらであったので、的屋の屋台のおでんの湯が、煮立つタイミングを
  見計らって、左右の屋台を相次いで、猛スピードで屋台ごと蹴り倒して、
  隠れてる兵隊ヤクザ達の背中へ、屋台の重量と熱湯を浴びせたのです。
  「ぎゃー」の悲鳴が沸き起こり、周囲の連中が助けに動き
  中門の警護らが、それに気を取られた一瞬に、中門の警備兵を倒して 
  突破し、やれやれと駆け抜けて、和尚の住まいまで行こうと近付いた時に
 
  戦いが去って、更に次なる、上級将校達との遭遇へ  

   前方に、上級将校の一団が、「何奴だ!!」の一言で
  用心棒の青年将校達とは、比較にならない、雲泥の差の見事さで    
  一瞬にして、専守防衛の陣構えを整えました。
  両側には、灯りを確保する為の、松明(たいまつ)が燃やされてました。

  これも、戦った者で無いと、上級将校達のもの凄い、見事な一瞬の早業は
  知ることは出来無かったでしょう。

  それすらも「突破すっかな」と思った瞬間に、必要無しと判断しました。
  そして「おいらだよ」と、叫んで、両手で、バンバンと叩いて合図しました。

  指揮刀で、陣頭指揮してたのが、私の危機管理の師匠の元少将殿だった為で、
  「お前か」と驚いた表情で、大将殿「どうされますか。」      

  私の後ろから、地元衆が負傷しながらも、追いかけて来たので、
  両脇でガードしてた、元中将の2人が「止まれ、止らぬと撃つぞ」の大声で
  護身用の銃で、たじろがせると
大将「テメェら、ガタガタ騒ぐな!静かにせんか。」と大声で一喝!!
  さすが、大将の貫禄でした。

大将は、私に向って
  「よーう、お前か、半年間、見ねぇ間に見違える様になったなぁ!!」
  「今日は、賑やかなお供を、ぎょうさん連れてきて、祭り好きのお前らしいや。」
  私は、テレ顔で、頭を掻いてました。 
大将「今日は、どういうこった。」
私、「ちょいと、自分からは、言い憎いので、地元衆の親分に聞いてよ。」
大将、地元衆の親分に
   「おい、どういうこった、訳を話せ。」

地元衆の親分、即座にヤクザの仁義に従って正座して、抜刀を腰の後ろに回して、
両手を地面に着いて、頭をひれ伏しながら、
  「この小僧でさぁ、半年前の駅前の一件で、アッシをあっさり倒しやがったので
  くやしくて眠れない日が続いてたら、今日、また丁度、見かけやがったので、
  飛んで火に入る夏の虫だと、仇討ちしようとしたら、またやられちまって、
  この様でさぁ、面目ねぇ」と、頭の傷を指して言った。
  更に続けて
  「おねげーがあります。今一度、仇討ちをさしてくだせぇ」
  地元衆一同、ひれ伏して、「おねげーしやす」「おねげーしやす」
      
大将「それだけは、ならねぇ、許さん。」
  地元衆の親分の表情が、ガラリ豹変して
  上体を起こして、抜刀を抜く構えしながら
  「いくら大将だからとて、聞き捨てならねぇ、仇討ちは、俺たちの渡世じゃ
  たとえ大将でも止めることはできねぇ。それでも止めると言うのなら
  力ずくで、戦ってでも、容赦しねぇ。」

戦中は、こういうことが、さんざ多くて、兵隊ヤクザのほうが、殺人慣れしてたので
上官といえども、上級将校といえども「きにくわねえ」で、暗殺された例は多々あるのです。

  国民や遺族向けには、名誉の戦死扱いでも、実態は、この戦中の日本語教育で
  軍事訓練までマスターした報奨金欲しさで、金持ちの日本軍にはせ参じた、
  朝鮮ヤクザ達が実態であったので、恩を仇で切り殺されり、嵌め手の寝返りの罠で
  殺されたりしたケースは、戦局が後半になるほど、多々あったのです。
   
大将「ならば、今一度、手合わせさせても良いが、仇討ちの仕来り通りに、
   この子に刀を持たせたら、お前、勝ち目があるのか。」
   幹事親分、押し黙ってしまった。
大将「三年前、このワシが、めっぽう強い、腕利きの刺客に襲われて斬られて
   瀕死に陥った時に、飛び込んで来て一戦交えて、救ってくれたのがこの子だった。
   2度目に襲われた時も、この子が救ってくれたんだ。
   お前らが戦後、路頭に迷わずに済むように、縁日の屋台を手配してくれたのも
   この子のお陰だ。その大恩人に刃を向けて、切り殺そうなんてことすれば、
   お前ら、よってたかって、傷だらけの目じゃねぇか。
   そういう天罰の目に遭うことになってるんだ。分かったか。」
    
   この後、幹事親分と実弟は、二度と悪いことが出来ないようにと、
   利き腕を、大将に斬り落とされました。
大将、「利き腕を失えば、身にしみて、産みの母親に合わす顔が無いことも
  分かるだろうよ。それすらまだ分からねぇのなら、クビを跳ねるまでだ!!」
親分と実弟、「勘弁してくれ、首だけは困る!!」と、泣き叫んだ!!

私、「直ぐに、坂下の外科の先生のところで、切り落とされた腕を繋いでもらうように」と
   言いました。
大将「さすがに、物分りが早いや、命の大切さが、どれほど大事なことか
   手下どもに支えられて、急いで外科医へ向え、もっと早くだ!!」と命令!!
  
   手下の1人が、切り落とされた腕を、逆さにぶら下げて走って行こうとしたので
大将「バカモーン、産みの母親から授かった血を無駄にする奴があるか。
    きちんと、こぼさぬように、抱えて大切に持って行け!!
    まごまごせず、全力疾走で一秒でも早く届けろ。急げ、命令だ!!」   

  この大将とは
  岡村寧次・支那派遣軍・元総司令官であり、中国大陸の日本陸軍400万余を、
  自決させることなく、戦後まで、生還を可能に導いた人物であり、
  非戦闘員に対しての非礼、無礼を固く禁じてた人格者だったので、
  支那人からも人望が得られて、東京裁判を免れる計らいを得て、
  南京で、国民党軍の形式的な軍事裁判に掛けられ、
  国際司法の一事不再理の大原則で
  「東京裁判」に掛けられる事無く、戦後まで生き残れた唯一の総司令官でした。

  歴史上では、昭和天皇から直々に任命された総司令官であったので、
  非戦闘員に対しての非礼、無礼を固く禁じてた人格者であり、
  日本陸軍400万余を、自決させることなく、戦後まで、生還を可能に導いたことで
  「自決特攻の玉砕賛美主義」とは、毅然と一線を画しており、その点で、
  「昭和天皇の戦争責任、戦争法違反なし」を証明できる人物であったことで、
  日本陸軍の復活を恐れる者達は、日本国の政官界にもいて、
  この人物の存在を、命まで抹殺せんと、歴史教科書に、真実を載せさせず、
  暗殺者を送り込んで来て居たのが実態です。

   しかし、この人物が居たからこそ、
  戦後の日本国の帰還兵たちが、路頭に迷わず、食べてかれるように、
  戦後の国力回復の基礎と、日米間の安全保障の基礎を築けることなり、
  陸軍400万余の技術力を温存させ、兵隊ヤクザ達にも睨みを利かせていた
  影の国の守り神でした。駐留米軍ともパイプを持って、自衛隊の創立へ
  戦後の自民党よりも、影響力は絶大であったのが事実なのです。

  その岡村寧次元総大将をつけ狙った、腕利きの2人組みにも、私は4戦4勝していて、
  どこの誰かも熟知してたので、逃がさず、ついに捕らえてました。
  サスケの忍法が無かったら、この人物も暗殺されて、日本の戦後は、
  もっと治安は悪く、酷くなっていたのです。

  だから、この戦いの後、日本の兵隊ヤクザの親分衆で、
  私の存在を知らぬ者は居なかったほど
  全国の刑務所の中にまで、妖怪小僧の異彩は轟いて理由でした。

  (戦い終わって、更にその後の、祭りの準備の出来事へ、次頁へ続く)

閉じる コメント(4)

こんばんは。
本当に今では、考えられない衝撃的な出来事だったんですね。
さすが、この文を呼んでいたら、背筋か、ぞっとしました。
問題になっている体罰ではありませんが、この時代では、
相当の怖さがあったんでしょうね。
私くしの亡き父が昭和2年生まれなので生きていたら84歳?になっていますが、
この当時の日本について、知っていたかもかも知れませんね。
亡き父が、よく戦後の日本のこと…等、私によく話してくれました。

2013/2/18(月) 午後 8:24 kabeywan

顔アイコン

この出来事は、確かに、第三者からみたら、恐怖そのものでしょう。
でも、本人は、恐怖すら、感じている間は無かったのが、実態です。
恐怖してたら体は萎縮して、固まってしまい、イザの時ほど動けなくなります。
日常の消防出動でも、危機的な状況は幾つも体験してたので、そんなに
ゆとりが無かったほとでは無かったので、火事場のクソ度胸だったようです。(笑)
戦後の時代のことは、これから時々、記して行き来ますね!!

2013/2/18(月) 午後 10:07 blog-予知ダス

顔アイコン

腕…
うで…
うでぇ〜〜(><)

2013/2/19(火) 午後 5:34 yatugatake

顔アイコン

うでぇ〜〜(><)

2013/2/19(火) 午後 5:45 blog-予知ダス


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事