|
予知ダス、爆笑痛快流♪
阿蘇山噴火、3度の火砕流遭遇、危機脱出の思い出その7 私「やっと、待望の安全圏まで脱出に成功だ、みんなで、万歳しようぜ!!」
生徒全員で「おぅ!!ヤッター、バンザーイ、バンザーイ、バンザーイ!!」
ワ〜イ!\(^^\)(/^^)/ワ〜イ!
時刻は、もう夕方の4時を回っており、我々のしんがり車両だけが、
黒焦げ車両になりながら、屋根が凹んだまま、これからまだ40分ほど先の
赤水温泉のバスターミナルまで、ヒタ走り続けることになりました。
バスは、本来ならば、我々が熊本から来た時の、南西方向のパノラマラインを走れば
火砕流に巻き込まれずに、赤水温泉への最短ルートであったのかもしれません。
その代わり、若葉マークの男女は制止されずに山頂へ向かい、助からなくなっていたでしょう。
バスの運転手さんの判断で、以前に噴石が飛んだ南西方向では無く、
南東方向のパノラマラインを選択したことが、火砕流に遭うものの、
若葉マークの男女の命を、救えた道であったのです。
バスはまだ安全ではなく、この後、日が沈んで、
赤水温泉のバスターミナルに到着して直ぐに
発火の事態に見舞われることになります。
そんなことになろうとは、まだ夢にも思わずに、火の山トンネルを出て、
皆で、奇跡生還を果たしたことで、バンザイをやってました。
黒焦げ車両は、屋根が凹んだまま、タイヤは熱で溶けてすり減り、
速度は出せない状態にだんだん陥って行きながら、
どんどん陽は日没へ向かい、やがて真っ暗になる中を
バスのヘッドライドの明かりだけを頼りにして、
道路事情が出来るだけ良いルートで、
安全策の回り道を選択しながら、時速30から20キロほどで、
45分間以上も費やして、
赤水温泉のバスターミナルを目指して、走り続けることになりました。
それでも私は、運転席の横での仁王立ちから、漸く解放されました。
ほっと一息して、深呼吸ながら、「自分の席はどこだっけ・・」と
意識がやっと我に返ったら、運転席の左側の前列1番目の席が、
皆が私の為に、席を空けててくれたのでした。
そこへやっと、腰掛けることが出来たのです。
私の直ぐ後ろの席に座ってた親友の男子は、噴火以前に、
水前寺公園で出発する前に、昼食弁当を届けてくれた弁当係りでした。
親友って、本当に有り難い存在だと、痛感しながら、
私「お前、長い間、俺の貴重品のバックを預かってくれてて、ありがとう。」
「お前が居無かったら、俺は貴重品ごと、とっくに行方不明になってたよ」
親友「本当にそうだなぁ、黒焦げでペシャンコになってたかも・・って、
俺も一緒に噴火に遭遇したんだから、仲良く、あの世逝きじゃねぇか」
運動部の仲間達「俺達もだ・・皆で、仲良く死んでたのかも知れねぇ」
この時私は、3度目の火砕流によるペシャンコの恐怖が、まだ色濃く
皆の心の中に焼きついてしまうなぁ・・と感じたのでした。
そこで元気回復の為に、親友が預かっててくれた私の手荷物の中から、
持参してきた、クロマチック・ハモニカ(プロ用)を取り出して、
私「おい皆、噴火の怖さを吹き飛ばそうぜ、
イタリア火山のフニクリ、フニクラを合唱だ!!」
こうして、私のハモニカで演奏開始、皆で大合唱!!
フニクリ・フニクラ Funiculì funiculà
赤い火を噴くあの山へ、登ろう登ろう、そこは地獄の釜の中、
のぞこう のぞこう〜♪
運動部の男子の中には、コーラス部と掛けもちの生徒達も居て、
この車両に乗ってくれた女子達4名と共に、
即席で、混声2部合唱になりました。
こうして噴火の怖さすら、陽気に歌って吹き飛ばし、
明るい笑顔が戻ったところで、車両の外の明るさは日没へ向かい、
遠くの空に、夕焼け雲が綺麗に見え出したので、
この時代の思い出のヒット曲であった「高校三年生」を
即興演奏で、皆で合唱!!
赤い夕日に校舎をそめ〜て〜
このとき、我々は2年生だったけど、まぁ、いいか・・って感じで・・(ノ^^)ノ
続いて雲の間から、宵の明星、金星と星たちが、見え出したので、
「見上げてごらん、夜の星を〜!!」(坂本九のヒット曲)
「上を向いて歩こう」(同上)
「明日があるさ」(同上)
幸せなら手をたたこう-(1964)
「すてきな16才」弘田三枝子
運転手さんに感謝の意を込めて、運転手さんの世代の
戦後復興期の思い出のヒット曲をメドレーで
銀座カンカン娘 高峰秀子
「東京キッド」(美空ひばり)
「青い山脈」(青い山脈 / 藤山一郎 + 奈良光枝 )
「山男の歌 (山男良く聞けよ〜♪)」(ダークダックス)
「雪山賛歌」(同上)
「山の人気者」
女子達のリクエストで アイドルを探せ SYLVIE VARTAN(シルヴィ・バルタン)
◎◎悲しき雨音 ザ・ピーナッツ
ザ・ピーナッツ ふりむかないで.flv 1962年2月
すこし疲れて居眠りする生徒達の為に、歌詞不用のムードミュージックとして
「砂に書いたラブレター」1931年、1954年パットブーンがリバイバルヒット曲
男子のリクエストで「ブルーハワイ」
Elvis Presley Blue Hawaii
峠の幌馬車(Wheels) ビリー・ヴォーン楽団 1961
すっかり夜の深まったので
◎◎「ミスターロンリー」1964年に全米チャート1位を獲得したボビー・ヴィントンの代表曲。
この後、1967年に放送を開始したFMラジオ番組「ジェットストリーム」で、
城卓也がナレーション
こうして、次第に赤水温泉の終着・バスターミナルが近づいて来たので、
バスだけど、「鉄道唱歌」のメロディーに切り替えて
私「エー、ご乗客の皆様、大変長らくご乗車にありがとうございました。
まもなく、目的地のバスターミナルに到着いたしますので、
お手元のお荷物や、網棚の小荷物など、お忘れ物が無きように、
ご点検と、降車の準備をお願いいたしま〜す!!」(笑)
この後、更なる、感動のフィナーレが待ってました。 次頁へ続く
|

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用




プレスリーは昔の若い時のヤツをDVDで見ましたが、晩年は肥ってて幻滅でしたね。心臓病だったっけ?ドーナツの食いすぎ。
2015/9/22(火) 午後 4:40
そう、晩年は、あの頃の米国は、食糧増産と豊かさの象徴の為に、飼料や食品に、増量ホルモン剤を使ってた時代だったので、それらを食べて、豊かさの国民的象徴へ祭り上げられて、食品とホルモンに無知だった、プレスリーは、操り人形のごとくに、過食症と心臓病を併発して、無残に商業戦略の業界に使い捨てらたのが実態だな!!
結果として、資本主義の悪い見本に変わって行ったのさ!!
2015/9/22(火) 午後 5:35
"ァ '`,、'`,、(´▽`) '`,、'`"
随分・・・集めましたね
懐かしいというか・・・嬉しくなりますね
2015/9/22(火) 午後 9:05
これは1965年までに流行った奴で、このストリーは全て実話です。
2015/9/22(火) 午後 9:20
奇跡の無事生還を果たし、流行歌謡から往年のヒット・メロディーまで、みんなで大団円ですね。
2015/10/13(火) 午後 10:28
やっと危機を切り抜けたので、この時は、凄いやったぞ・・というハイテンションと、どっと疲れて居眠り組も増え入った、ごちゃまぜだけど、楽しい時間でしたよ\(^^)/
今の時代になれば、それ以降のヒット曲が、なぜ存在しなかったのか・・首を傾げたくなるけど、それが現実の壁で、タイムマシンまで作れたら、危機や災難すら消えてしまうことになってしまうのかも知れない・・(苦笑)
2015/10/14(水) 午前 0:22