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ブルートレインの衝突脱線の危機一髪を、回避させた思い出♪
その1は、危機一髪を回避するまで、その2は、大爆笑の巻
その1
1965年10月1日金曜日(昭和40年) 高2の時の思い出
10月1日 - 市制18周年記念日茅ヶ崎市(1947年(昭和22年))で、
午前中の1時間目で自由下校だった。
この日は、市制記念日で午前中の1時間目だけ授業という、
風変わりな授業のまま、肌寒い1日であった。
新設校で、学校にまだ学食施設すら無かったので、
腹減ったままじゃ部活は無理だと、そのまま帰路を選択してた時代でした。
学校帰りに駅のホームで、電車の到着まで、少し時間が有ったので、
日当たりの悪い東海道線のホームでは無く、日当たりの良いローカル線の
相模線ホームで、数人の運動部仲間とで立ち話をしていた最中の出来事でした。
目と鼻の先で、保線工達が、戦中の無事故を担ってきたベテラン世代が、
定年退職を迎えて、戦後世代の新米達へ引き継ぎ式をやってました。
私はそれを駅のホームで横目で眺めながら、
運動部の仲間達とで談笑してました。
突発事態が発生したのは、その引継ぎ式が終了し、戦後世代の保線工達が、
貨物列車の行き先別の、切り離し作業の配置に着いた瞬間からでした。
私は「あれ、いつもと違う配置に着いたので、大丈夫かな・・」と観てた瞬間に、
機関車の運転士が、貨物列車を後ろへバックさせた瞬間に、
ドシーンと大音響を発して、後ろ三両を切り離す勢いが強すぎて、
機関車の後部に連列されて来た、行き先が異なるディーゼル機関車と貨車2両が、
目的外の、東海道線の旅客専用の上り線の線路に、間違って入り込みました。
寝台特急のブルートレインが、既に駅に向かって接近して来ている線路へ
誤って、かなりのスピードで逆走して、正面衝突が避けられない状態で、
侵入して行ったのです。
当然、そのままでは、正面衝突の大事故が確実でした。
この時代は、まだATS自動列車停止装置は設置されてない区間だったのです。
私は反射的に「大事故発生だ、みんな協力してくれ」っと叫んで、
線路上へ飛び出して、全速力で追いかけました。
私の俊足だから、ディーゼル機関車には、直ぐ追い着いて、
ブレーキーを掛けて静止させたものの、なんと貨車2両は、
新米の保線工達のミスで連結されていず、
そのままブルートレインに向かって、突き進んで行ったのです。
このとき、運良く、走っていく方向の東海道線のホームの端に、
仲間の生徒一人が立ってて
異変に気付いて、その貨車に飛び乗ってくれたものの
「おーい、どうやって止めるんだ、教えてくれ!!」
私は走りながら、「サイドブレーキーを手前に引けば止まるぞ!!」と叫んで、
追いかけました。
友達はその通りに、サイドブレーキを引いたものの、直ぐには止まらないのが
摩擦抵抗が小さい、電車の線路の宿命でした。
30Mほど更に走って、やっと止まりました。
しかし、既にブルートレインは、100M以内に急接近しており、
友達は、必死で止まれを合図したものの、間に合う訳が無かったのです。
私は、奥の手しかないと即断して、
「制止しなくでいい、後は任しておけ、それよりも、保専工達に向かって、
切り換えポイントの配置に着くよう、保線工達に合図してくれ。」と叫びながら、
ブルートレインに向かって、ブレーキを掛けずに、そのまま突っ込んで来てOKの
「ニュートラルで前進OK」を、両手で合図しました。
普通の常識なら、ブルートレインは、汽笛を鳴らし続けて、
急停車の非常ブレーキ操作になりますが、急ブレーキで間に合う距離では無く、
しかも乗客多数が将棋倒しになり、その状態で貨車と衝突してしまう状況でした。
だけど私は、運転士とも顔見知りだった為に、私の合図の指示に従って、
急ブレーキを使わずに、そのまま時速80キロで、
線路内に立ってる、私に向かって突っ込んで来てくれました。
ある意味、余計に無茶苦茶・・!!(爆)
この運転士は、地元の機関区(大船〜小田原間担当の運転士)担当であった為に
私とは10年前からの顔見知りで、駅長達、保線工達、運転士、車掌達に
良く知られた、事故防止の離れ技をやれることを知られてた為でした。
だから、線路内に立ってる私と、後ろの貨車2両に向かって、
時速80キロのままブレーキ無しで、突進して来てくれました。
私は2.5mの至近距離まで、轢かれて死んでしまう筈の線路内に
立ったまま、ブルートレインの電気機関車がギリギリに
接近した来たタイミングで、
両足でジャンプして、体を宙に浮かせながら、ブルートレインの
電気機関車の前面に両足をタッチさせ、
空中で上半身をひねりながら、前方の貨車の後部の左右の取っ手を、
瞬時に両手で掴んで、自分が線路に落ちないように、
貨車を引き付けながら、体全体をへの字に、
乗馬旗手のように折り曲げる姿勢に入りました。
左図の姿勢だと電気機関車よりも、貨車が軽い為に、ワタの体重の分だけ
加速度が生じて、前方に進んでしまい、足先に引っ掛けるところが無いので
そのまま下にずり落ちて、電気機関車に轢かれてしまうので、貨車の取っ手を
掴んで引張る形にして、体をへの字の乗馬選手の如くにしたまま、
走行を保ち続け無くてはならず、かなりの腹筋と前方が全く見えないので
カンだけで、危機一髪を乗り切るしか無かったのです。
失敗したら、乗客の多くを死傷させかねない瀬戸際でした。
電気機関車と貨車2両の間に、自分の体でクッション役を果たして、
衝突を回避させながら、貨車二両を自分の側に引き寄せつつ、
電気機関車の走行スピードで、貨車2両を前方へ押し出す体制に入った
のです。
そして。私の体が線路内にずり落ちないようにして、
そのまま、駅のホームに進入して行きました。
そして、問題の切り換えポイントに向かって、爆走して行ったのです。
この時、冷や汗ものだったのは、貨車によって、全く前方が見えないことでした。
ブルートレインの運停士も、同様に前方が見えず、カンピューター頼みでした。
だから貨車2両が誤って侵入して来た、切り換えポイントの元の線路へ
正常に戻せるのか・・
私の体が屈伸を保ってる約1.3メートルの狭い幅で、保線工達が正確に、
一瞬に切り換えポイントを操作できるのか。
貨車二両は、元の引き込み線へ、ブルートレインは上りの線路を直進へ
僅か0.1秒間で、ポイントを切り替え無いと、大事故発生は確実でした。
そして、ポイント切り替えに成功しても、
そこへ爆進してくる、下り50両の特急貨物列車と
正面衝突する、大惨事まで秒読み危機が重なっていました。
ある意味、無茶苦茶にシンドイ、生と死の境目に居る、
冷や汗モノの状態でした。
次の瞬間に貨車2両が、元のレールに入ったのを、体感振動で感じて
「いまだ」と叫んで、貨車を全力で左前方の切り換え線路に向かって
力いっぱい押し出しながら、その反動を使って、反対方向の右側の
駅ホーム上へ、鉄柱と野次馬の女子生徒達と学校長が居並ぶ姿を
瞬時に「校長、邪魔だ!!」(爆)と叫びながら、ぶつからないよう、
空中で体をひねりながら、ホームに滑り込み、スケートの回転スピンで
尻もち着かずに、無事に静止しました。
次の瞬間に、ブルートレインの電気機関車の運手士は、
笛を4回連続×2回繰り返して、無事成功、感謝するを合図してくれました。
保線工と親友達の協力で、間一髪のチャンスしかない、
レールポイントの、手動切り換えに成功した劇的一瞬でした。
私は即座に腕時計で、ブルートレインのロスタイムを読み取りながら、
ブルートレイン最後部の、車掌に向かって、
「ロスタイム7秒遅れ、この先の直線コースで取り戻してください」を
告げました。
車掌も「了解!!」を答礼してくれて、目の前を無事通過して行きました。
これだけの大事故寸前のアクシデント発生だと、
通常は、30分以上、走行ダイヤは乱れるし、脱線事故になれば
丸一日、運休ストップしてしまう、大事故になるところを
ブルートレインの定時走行、時速90キロ走行区間を、
80キロに減速させたロスタイムが、7秒だけで済んだのも、
映画のスタントマン達でも、絶対にマネが出来ない、危険過ぎる離れ業を
ぶっつけ本番で、やり遂げてしまった成果でした。
このとき、ブルートレインの最後尾の車両が展望デッキ車両であった為に、
幼稚園児の男の子が乗ってて、母親と二人して、満面笑みで
手を振ってくれてたので、
私も、学校長も、線路上にいた保線工達も、親友達も、
全員で大きな手を振って、女子生徒たちも拍手で返してくれて
男の子とその家族は、大喜びでした。
大事故が起きなくて、本当に良かったと報われた、最高の笑顔に出会えた
一瞬でした。
しかし次の瞬間に、下りの特急貨物も警笛を鳴らして、
爆走して通過して行ったときは、背筋がぞーーっとしました。
同時に、下りの東海道の湘南電車もホームに到着して、
乗客たちが、何事もなかったように、何も知らずに降車して行った姿に、
肝を冷しながら、肩の荷が、どっさり下りた感じでした。
私は、傍に来ていた校長と駅長に向かって、
「校長、昼職前だから腹ペコで、お腹が鳴ってるから、
表彰状よりは、昼飯をおごってくれ!!」 ゚+。:.゚ヽ(*´∀`)ノ゚.:。+゚
親友たちも、線路下が上って来て
「校長、怖ぇ〜、間一髪で大事故だ、こんな怖ェ〜思いしたのは、
生まれて初めてだ、でも、みんな無事で済んだんだから、
せめて、食い物ぐらいは腹ペコだから、おごってください。!!」
校長「何を言うか!! ワシは元軍人将校じゃ、戦地じゃ、
生死の紙一重の状況は、毎日じゃった。
このぐらいで、腹減ってどうする、それに○○お前にしてみたら、
このぐらいの芸当は朝飯前だろが!!」
私「そりゃそうだけど、腹の虫がさっきから鳴りっぱなしだよ。」 (爆)
校長「ならば、そこの湧き水がある、戦中は、美味しい水が飲めれば、
最高のごちそうじゃった。
飯は、2〜3日食わんでも死なないが、水が無ければ人間はもたん、
それを学ぶ良い機会だ。有り難く、水を好きなだけ飲め!!」
私「こんな肌寒い陽気に、水を好きなだけ飲め・・だとは、
ご褒美は、下痢ばっかり!!」 ヘ(^^ヘ)ヘ(^^ヘ)(ヘ^^)ヘ(ヘ^^)ヘ 裏飯屋〜♪
爆笑の巻、その2に続く
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妖怪予知ダス高校編
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へ〜千葉真一のジャックも顔負けですね。危ないとこでしたね。ケチな校長ですね。
2015/10/8(木) 午前 11:14
離れ業は、野猿の群れでさんざ幼少期から身につけて来てたので、千葉真一よりも格段に上手で、幾つも危険箇所の現場で、この記事以上のもっと驚異的なことまで、やって来てるよ。(笑)
戦中世代は、皆、ドケチなところがあるけど、後で、ちゃんとフォローするところも、戦中世代の義理人情の流儀だったね。
2015/10/8(木) 午後 4:37