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禍転じてハッピーエンドの福と成すの巻
小2の秋に、近場で火災が発生しました。私が学校から帰って、それを聞いて、現場へ駆けつけた時は、 既に全焼していて、消防団員達が、残り火に放水しながら、 警察による現場検証が始まる時でした。 小学校の授業が午前中で終わって、家に帰り、火事発生を聞いて、 現場に駆けつけた時に、その現場で焼け出された、二人の小学生の姉妹に出遭いました。 事情を聞くときに、非常に寒かった日でした。 私が着てた、消防団の大人用の消防袢纏を、寒さに耐えてた幼い年下の妹( 小1)に着せて 防犯長宅へ連れて行こうとしたときに、下の妹が「最後まで観ていたい」と 動こうしなくて、ちょっと困ったなと思いました。 そのままでは、消防袢纏を脱いで、薄着になった私とその子の姉( 小3)も薄着で 風邪引きそうだったので、ちょっと説得の話術を使うことにしました。 私、姉妹の姉に「お父さん、お母さんはどうしちゃったの」 姉「共稼ぎだから、両方とも5時過ぎじゃないと、市役所から帰って来ないの。 学校から妹と一緒に帰ったら、部屋が寒かったので、灯油コンロに火を点けようしたら 誤って火が大きくなっちゃって、怖くなったから、直ぐに外へ飛び出たんだけど、 みるみる間に大火事になっちゃったの。」 (建物は、戦前からの老朽した木造平屋造りの社宅だったので、防火壁も備わって無くて、 灯油コンロにも安全装置か無いものが多く、欠陥品もあった時代なので、延焼速度は 異常に速かったケースでした) 私「じゃあ、勉強道具の教科書もノートも、全部焼けちゃったのか。」 姉「うん」 私「そりゃ、ショックだよね。小さい時からの大事な物や、大切な思い出の家まで、 全部、黒焦げの灰じゃあ、悲しいよね。」 姉と妹「うん」「うん」と涙顔。 私「でもね、お父さんや、お母さんの戦中世代は、戦争の空襲で 丸焦げ、丸焼けの辛い体験は、いっぱいしてきているんだよ。」 「そして、そこからやり直して来てるんだから、やり直すことはちゃんと出来るんだよ。」 私「子供達は、みんな、一度や二度は、こういう辛い体験をして 次に不幸に遭わないように、注意して学習しながら、大人になって行んだよ。」 「もし、大人になるまで火事や不幸に遭わない人が居たら、 その人は、安心しちゃってて、油断しちゃうから、大人になって火事を出したら 一度に何もかも失って、やり直すのが、もっと大変になっちゃう人達だって、 居るんだよ。」 「だから、小さい時に、少しの思い出を失うだけで、やり直せるんだったら ずっと得なんだから、そう思って、考えを切り替えて、元気にやり直せるように 防犯長さんの所へ、さあ一緒に行こう。」 これで、妹も納得して、手を繋いで向かうことなりました。(笑) 私の幼少期は、東京で暴漢に襲撃されて、一家離散、何もかも失う辛さを 体験済みで、親元を離れて3才児の時から、垢の他人場の、障害者老夫婦と 助け遭って暮らすことになり、その矢先に、近所の悪ガキ集団の襲撃暴行により 瀕死のイジメに遭って、両手両足骨折の重傷にもめげず、独りで知恵を磨くしか、 生きられる道は無かったのが、私でした。 過酷な状況下に、突き落とされて抜け出す方法を、聞き耳学習して来ていたので、 この姉妹のケースに遭遇した時には、ご両親が血相変えて、火事場へ帰って来る までの僅か2時間程の間に、一家がやり直せる新築物件の住居まで、私の機転で 手配し終えて行くことになりました。(笑) ご両親は、まだ若夫婦で、全焼に遭遇して、自失呆然で、急ぎ職場の上司の許可 を得て、心配して帰って来たら、我が家は跡形も無い廃墟になってて、半狂乱で 娘たちの行方を探したら、お隣りさんが、防犯長宅を教えて案内してくれて、 娘達が無事だっただけじゃなく、新築の転居先まで確保されていたことに、 唖然と驚かれてしまった、パッピーエンドのケースです。 以下に、その脅威の、早業を記して行きます。 私は防犯長宅は、二世帯住宅であったことを知ってたので、そこへ姉妹を連れて行き 私「この子達が、焼け出されちゃったので、なんとか一晩か二晩、面倒をお願いできます でしょうか。」 防犯長「なに、こんな可愛い子たちが、焼け出されてしまっただと、ワシ達夫婦にも 同じ年頃の孫の姉妹が居る。東京で息子夫婦のとこで暮らしていて、夏休みにここに来て 楽しく過ごして帰ったばかりだから、孫娘たちと同じ年頃じゃあ、見捨てておけん。 さあ、遠慮せずに中へ上がって、昼食の最中だから、一緒に食べなさい。」 私「ラッキ〜♪、でも体が消防の放水で濡れちゃってるので、すいませんが2人分の 着替えと肌着まで、お願いできますでしょうか。」 それと、ご両親も、こちらに仕事先から駆けつけてくることになるので、2晩ほど、 間借りをお願い出来ますでしょうか。」 防犯長「おおいいとも、息子夫婦の寝室もあるから、そこを使えばいい。」 私「有難うございます。ついでに、もう一つ頼みごとがあります。」 「この先の建設中の建売物件、賃貸らしいのですが、どこの業者のだか、 調べて貰えますでしょうか。」 「家賃の支援は、そこの電鉄の駅長が、おいらの育ての親でもあるので、消防団とで 支援の募金箱を立ち上げますので、なんとかなるので、業者さえ判れば、物件を押さえる ことができるので、大至急、調べて欲しいのですが・・」 防犯長「よし、さっそく調べてやろう」と、電話で、調べてくれることになりました。 調べてくれてる間に、姉妹たちは、防犯長の奥さんの世話で、着替えを済まして 可愛いトレーナー上下姿で、食事の席に着くことが出来ました。 私は、家の中には上がらず、玄関先で、返して貰った消防袢纏を着込んで、 至近の火災現場に舞い戻って、現場検証中の消防隊長と警察官達に、 姉妹の居場所の確保を報告。 消防隊長と警察官達からは「自分たちにも娘がいるから、そりゃ大朗報だ、 心配してたが、これで、一安心したぞ」と歓声が沸き起こりました。 火事場のお向かいさん宅のご夫婦も、気にされて案じられてたので、 私「防犯長宅で姉妹は無事に保護されています。着替えて食事中ですので、 姉妹のご両親が、もしこちらへ尋ねて来られたら、お手数でも防犯長宅まで ご案内を、お願い出来ますでしょうか。」 お向かいさん「ああ、いいとも、うちも、娘のように接して来ていたから、 二人の元気な姿を見たいから、喜んでご案内しますよ。」 こうして皆して、姉妹の笑顔が見れれば、励まし合いになるので、 ちょっと助け合い募金への下地を、この時に仕組んだのです。(笑) そして、防犯長宅へ舞い戻ったら。 防犯長「おい、分ったぞ、○○工務店のだ。」 私「それなら、おいらのもう一人の育ての親のところです。これからちょっと行って さっそく押さえて貰いますから・・また報告に戻って来ますので、失礼しま〜す。」 これで500Mほど離れた、育ての親の一人の宮大工宅へ、駆け込んだ。 手短に事情を話したら 宮大工の棟梁「そりゃ、見捨てちゃおけん、良し一番いい、南側の角部屋を押さえて置く。 まだ完成までに、2週間ほど掛かるが、その間に姉妹に勉強机と椅子まで、俺が手作り してやる、俺からのブレゼントだ。」 私「うわぁお、感謝感激、・・んじゃ、おいらも大工仕事を学校帰りに手伝うよ。」 そして、この時、更に、ちょっと大回りして、牛30頭の世話も引き受けてた 牧場へ立ち寄って、自分が絞ってた牛乳の配達用のストックから、一升瓶二つに 急ぎ積み替えて、それを両脇に抱え込んで、防犯長宅と、現場検証の現場へ 差し入れしました。(笑) 防犯長宅へは、新築南側の日当たり良好物件の確保と、姉妹の勉強机と椅子まで プレゼントして貰えることを伝えて、まだご両親は駆けつけて来て居なかったので 明日の早朝に姉妹と私が一緒に、姉妹の学校まで出向いて、焼けてしまった教科書 と学習ノートの確保と、助け合い募金の設立を、担任の先生と校長へ要請することに しました。 更に、現場検証の現場へ飛んで、牛乳の差し入れをして、消防車に常時吊るしてある やかんとコップを使って、火事場の残り火で、加熱殺菌して、警察官達と消防団員へ 提供しました。 これはハードな仕事の消防団員達と、警察官・刑事達は腰痛持ちなので、この時代 の人々の多くは、慢性的なカルシウム不足の為に、体を壊す人達が続出してたので、 それへの特効薬である、牛乳の効能を、良く教わってた為でした。 更に、近場の電鉄の駅長のところへ駆け込んで、助け合い募金箱の設置と、かべ新聞の 立ち上げに許可を求めて、これ以降、焼け出された姉妹とご両親達と、姉妹の小学校と、 私の小学校を校長の連絡網を繋げて、駅を情報発信拠点とする、助け合い募金運動と、 かべ新聞の更新を快諾願って、子供達の手作りで続けて行くことになりました。 小2からなので、まだ下手くそな、ひらがなでのかぺ新聞のスタートに、読んだ方達の 中から、地域のアマチュア写真家が協力してくれて、姉妹の成長記録を担当してくれる ようになり、その壁新聞の更新を楽しみにして、募金箱に協力してくれる人達も増えて 行ったのです。 募金箱の管理は、駅長と町内会の会計さんと、両方の小学校のPTA会の手で 持ち回りで協力して貰い、会計報告は、駅の壁新聞の情報開示の第一号でした。 この時の私は6歳を過ぎているので、育ての英国人の母親には、一切頼らずに、 寝泊まりも止めて、自分でどんどん動いて、嫌な事、困難な事でも、積極的に担う ように、地域に溶け込んで寝泊まりしながら、多様な人脈を増やして行ったのです。 |

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