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子供の頃、5才児(昭和29年)の時に
本物の観光バス50台を発注して実現させてた!! (度が過ぎるにも、程がある・・度を超えてた、痛快爆笑流の巻)
幼稚園児の時に、友たちの家に泊まりに行って、そこの兄弟と仲良しになった。 だんごの三兄弟みたいに、親しくなり、たまたま、そこの母親と子供たちが、 実家に泊まりにいく用事ができたので、そこのご主人と私とで、留守晩をすることになった。 ご主人は、地元の電鉄の駅長をしていた人でした。 奥さんは産後のホルモンの異常で、肥満気味になって活発に動くのが苦手な方でした。 親友の息子( 長男)は、健康優良児だけど、同じ肥満気味で走るのが大の苦手なので、 私が代わって、奥さんの手作りの愛情弁当を走って、ご主人の駅長の職場へ、 届けるのが日課になってました。 そうして、電鉄会社の駅長のことや、線路の保線工達にも、弁当の配達を頼まれる ようになって、夏場には、氷のカチワリとお弁当を積んで、線路の上を人力で足で 蹴って走れる、時速30キロぐらいまでは出せる、運搬用のカート(線路の片方の レールの上で安定走行できる)を走らせて、良く届けていました。 当然、電車走行の間隔とダイヤまで、しっかり頭に入れてしまう子だったので、 単線の線路で、昼間は1時間に2本程度だから、事故を起こしたことは ありませんでした。 そんな中、駅長宅(社宅)で、一緒に留守番を頼まれた晩のことでした。 駅長の傍で、寝てたら、夜中に、凄い苦しそうなうなり声を出しているので、 目が覚めて様子みてたら、やはり、うなり声と寝汗までかいているので、 心配して、声を掛けて、どうしちゃったのか・・と尋ねました。 そしたら、いや、たいしたことないと言って、また寝るのだけど、 少しすると、またうなり声を上げてしまうので、これじゃ、奥さんと子供たちは 眠れ無いで実家に帰ったんだと気付いて、 駅長に、「わけをちゃんと話なよ。気が楽になるからさ〜」と再三説得したら、 「実は、お前も観て知ってるだろうけど、ウチの電車は中古のポンコツで、会社にも お金が無いから、線路もオンボロの木の枕木しか使えなくて、戦前のままの奴だから ガタも来てるし、のろのろでしかし走れ無いのに、乗客の皆さんからは、せっかく 湘南の地に引っ越して来たのに、もっと速く走れないのかと、苦情が毎日殺到して 困ってるんだ。」 「会社の上のほうにも、国や県のほうからも、朝夕の通勤地獄を緩和する為に、 まった無しで、輸送力を増強してくれと、強い要請が来ていて、板ばさみで どうしようもなくて、それで寝付けないで、眠れずに困ってるんだ。 お前なら、なにか妙案が浮かぶかもしれないな、なんか方法はあるか!! 私は至って単純明快に「そんなオンボロの線路なんて、さっそく売っちゃえ!」(爆) 「持ってても、厄介を抱え込むだけ損だし、困るだけじゃん!!」ヾ(o^ω^o)ノ゚ 駅長「お前、そんなこと言ったって、電車が走れなくなったらどうするんだよ。 それに、あんなうなぎの寝床のように、やたら長い単線の線路を誰が買うんだよ。」 「うちの線路は海岸の傍を走ってるから、高波が来ると線路まで海水を被って 線路は錆びちまうし、売り物にならんのだよ。」 私「だったら、一段高いところにある、蒸気機関車の線路を使えはいいじゃんさ。」 駅長「そんなこと言ったって、あの線路は軍隊が使ってた、戦中のままだから、 枕木も線路も、もっと古いし、電化してないから、莫大なおカネがなきゃ、よけい どうにもならん。」 私「だったら任しといてよ、おいらの母さんに一肌脱いで貰って、上手くやるからさ」 駅長「そんなの無理だ、どんなお偉方でも、採算が取れないものにはカネは出せん。」 私「心配ないよ。海岸の線路は、有料の観光道路にして、東京の渋谷から新婚さん達を 前日のツアーで乗せて運んで来させて、三浦半島、厨子、葉山を廻って、湘南の海を楽しませて、折り返しのバスの早朝便に通勤客を乗車させて、渋谷まで直通運転させたら、どっちも満席で黒字になるじゃん」 駅長「そんなに上手く行くかよ~~」 私「何もしないで、困ってるだけじゃ、余計にどうしようも無いだけじゃん。 当たって砕けて元々、上手く行けば大助りになるから、朝になったら母さんに 話に行って、駅長と打ち合わせをして貰うよ、それで道が開けたら御の字じゃん。」 朝になって、育ての母親の家に飛んで返り、訳を話して、駅長への助太刀を頼みました。 母さん「地域の皆さんが困ってることで、駅長さんも助かるのから、それは良いことだから、アタシにも出きることがあれば、お手伝いさせて貰うわ。」 「駅長さんと会って、話してみましょう。」と快諾して貰えました。 そして、駅長とのころへ出向いてくれて、なにやら話を聞いて、帰って来て電話で、 誰かと話をしてくれて「土曜日に、渋谷駅で待ち合わせすることにしたから、 あんたも一緒に行って、自分の口で、自分で考えたことを話してごらんなさい。」 でした。 それで土曜日になって、お昼は渋谷で食べることにして、東横線回りで 渋谷駅へ、育ての母親とふたりして到着。 私は、育ての母親と一緒に、地元以外へ遠出したのは、生涯にこの時だけでした。 英国式なのだろうけど、6才過ぎたら、後は、すべて自分で考えて、自己責任で やりなさい。式であったから、口当たりは優しいけど、甘やかしは一切無しの、 非情なスパルタ式だったのかもしれません。 良い面とマイナスの面があることも事実です。 この時に、渋谷駅で、待ち合わせてたお相手は、年配の紳士で、東急財閥のトップに 就任することになる、五島昇氏でした。 母親が「あなたの口から、ちゃんと説明しないさ。」と 台本無し、打ち合わせ無しの、ぶっつけ本番で説明しました。 五島昇氏「そりゃあ、名案だ、行きも帰りも、十分採算性は成り立つだろう。 さっそく、重役会議に図って、実現させよう。」 「実はなぁ、この渋谷の東急百貨店も、戦前からのオンボロで痛みは激しいし 維持費がバカ高くして、こんなのばっかしオヤジの遺産を継がされても、 たまったもんじゃあないので、いい加減、整理しないと、時代に合わなすぎて 困ってたんだ。渋谷のイメージを若返らせるのには、格好の名案だ、 さっそく採用させてもらうように、重役会議に取り図ってみる。」 五島昇氏は、この時、強引な手法で知られた父親の五島慶太氏の莫大な遺産を 父親の反対を押し切ってまで、どんどん整理し処分し、元の持ち主に返還したり しています。 「結果がでるまでに、数日は要するが、その方向で、そちらのほうも 話を着けておいてください。」ということで、 子供ながら、私はゴーサインだと確信したのです。 それでお昼を、当然、お子様ランチを食べて、トンボ帰りして 育ての母親に、駅長のところへ報告に行って貰ってる間に 子供の私は、地元のバス会社の修理工場を絵本を持参して尋ねたのです。 私「おじさーん、バスって、この絵本みたいに、改造できるのかな~~」 おじさん「なになに、どんな絵本だい。」 私「こんな奴で~す。」 おじさん「こりゃ凄い、英国の二階建てバスじゃん、日本には未だこんなの 走ってねぇよ。俺だって、一度はこの目で観たいけど、夢のまた夢だ〜」 私「んじゃ、その二階建ての隣の観光バスはどう・・」 おじさん「そりゃ、お前、部品や道具がありゃ、俺たちだって造れるだけの 自信はあるさ。」 私「いいこと聞いちゃった、それじゃあさ、取りあえず、50台発注しま〜す。」 おじさん「お前、大人をからかうもんじゃない。悪い冗談はよせよ。」 「俺たちだって、戦中は米英に負けないつもりで、歯をくいしばって 物造りをしてたつもりだったけど、如何せん、物量と大金の差は どうにもならねぇ、敗戦国じゃあ、道具も物も無さ過ぎて、 まともな観光バスだって、どこにも走っちゃういねぇ時代だよ。」 「夢だけでも、楽しませてくれて、ありがとうよ。」 私「夢じゃないよ。一週間もしたら、上のほうから、本当に50台発注が 入ってくるから、道具も物も心配しなくて良くなるから、楽しみにして待っててよ」 おじさん「悪い冗談だ、でも希望だけは、俺だって持ちたいからな・・ 願いが叶えば、神様がいるってことになる・・信じてぇけどよ〜・・」 私「んじゃ、一週間したら、また来ますね・・今日はこれで失礼します。」 飛んで帰って、母親に「バス会社のほうは、脈ありだよ。仕事を請けられたら 夢が叶うって、そういってたよ。」 母親「皆さんが、協力し合えば、だんだん夢が実現できそうね・・」 数日して、東急のほうから、重役会で承認されたとの知らせが電話で届いた。 母親が、駅長へ電話で連絡を入れてくれて、次の打ち合わせに動いてくれた。 私のほうは、独りでバスの修理工場へ飛んだ。 私「おじさーん、おいらだけど、バスの発注の話、入って来てますか。」 おじさん「おお入って来たとも、本当になっちまったな、信じられねぇけど 弱ったなぁ、俺んとこ敷地が見ての通り、バスだと五台置けば満杯になっちまうから、 場所の確保に困ってんだ。」 私「そんなら、あそこの国鉄の線路の反対側が、まだ広く空いてるから、そこを 押さえて貰いますから、そっちでやれるように話をつけときます。 詳しいことは、上のほうで話しあってもらってください。」 おじさん「そりゃ助かる、ありがてぇ、でもよ、夢って、いきなり叶うことも あるんだなぁ~~、神様ってぇのは、どういう風の吹き回しで、そんなことが 実現しちまうのか、俺たち下っ葉には、皆目、見当がつかねぇ・・」 「これからは、すげぇ時代になりそうだなぁ・・また次の夢が観れるといいけどなぁ〜」 私「おいらにも、この先のことは、さっぱり分らないけど、みんなの願いが 合わさると、叶うのかもよ・・おいらも帰って、おじさんが造るバスに乗れる 夢でも観ようかな・・」 おじさん「おーそうしてくれ、俺も元気が出そうだ・・楽しみに待ってろよ」 夢は、こうして実現されて行くことになりました。 湘南の海が、大勢の混雑で、芋洗いの場と化すほど、賑わう時代となりました。 駅長も、老朽化した線路を、東急に売って、そのカネで、一段高い軍用線路を 電化するコンクリ製の枕木を採用することが可能になって、頭痛の火種を解決 していかれる道が開けたのでした。 この後、前々記事に記してある、海岸で人が賑わう、花火大会の夜に、 悪党の親分を、前記事と二度に及んで、ぶっ倒してしまった、妖怪小僧の おまけ事件まで引き起こしてしまいました〜♪ (爆) 記事は、後先になってしまいましたが、妖怪小僧の魔界編とともに 根深いケースは、魔界編で、痛快に退治することとして 妖怪予知ダス伝では、短篇の痛快爆笑劇場にして行きますので、 ご贔屓に、お楽しみください。・・むろん、実際の出来事の実録版です。 |

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