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仕事柄、システム開発プロジェクトのリスク検討や品質保証計画などを行う事が多い。
このリスク検討がちょっと曲者。 起こり得る問題の可能性とその影響、対応に必要なコストや時間を想定する。 既にトラブルが発生しているなら、そのトラブル自体への対策と共に、「もしこれからこういう事態になったら」「さらにこんな事態になったら」「対策が有効でなかったら」「そのまた対策も有効でなかったら」など色々考えて、事情が許す限りそれに対する手を幾つも考えて実施する。 もし想定した事態が発生しなければ、悪い言い方をすると「準備したことは無駄」「コストの無駄使い」となる。 しかし、最悪の事態になる事と比べたら遥かにまし。無駄になってよかった。と言う考えもある。 つい最近まで日経の業界向けサイトでは、時々上記と反対の記事が出ていた。曰く「テストファースト」とか「起こりえない可能性のテストは簡略化する」「正常の処理のみテストする」などなど。 それによって「無駄なコストを削減しよう」と言うものだった。 古いタイプの技術者である私には「そんなこといっても起こりえない事が起こるのが現実」「万が一の備えないと不安」としか思えなかった。 過去のトラブルを振り返ってみると「そんなことは想定してなかった」状況によるものが多い。 こう言ったポリシーを持った身からすると、今回の地震に伴う福島第一原子力発電所の事故に対する東京電力(および政府)の対応は歯がゆくてしょうがない。 どうも彼らの対応を見ると、「起こって欲しくない状況」から目を背けて、「上手く行ってくれたらよいな」と主観的な希望で物事を見ているように思える。 カサンドラと呼ばれている私みたいに「もし○○が駄目だったら」「さらにこんな事が起こっていたら」「○○も△△も効果がなかったら」を妄想して、並行して対策を考えると言う発想が欠けている。 日本人はもともと「悪い事態を考える事=悪い自体が発生すると願っている=許さない」気風があった。言霊とも言われているが、物事すべてに対して過剰な防護策を考える一方で、問題が発生した時の対応に頭が回らない。 今回の事故もそうだろう。 「もし、原発で事故が起こったら」を想定した対応策検討や法整備を試みようとすると『事故が起こる事を想定しているとはけしからん』と叫ぶ人たちがいるのも確か。万が一国が戦争に巻き込まれたときの有事立法の時もそうだった。 今回の事故の対応を見ていると、本当にとんでもないバースト(大トラブル)を引き起こしているにもかかわらず、プロジェクトが必死に隠そうとして傷口を広げてしまい、会社が傾きかねない自体を招いている構図が読み取れる。 ここ数週間の対応で、日本は技術力はあったが、リスクマネジメント、企業のあり方、さらに国家としてマネジメント能力が著しく欠けている事を世界中にさらけ出してしまった。 これは産業の輸出にとどまらず、非常任理事国狙いにも大きな影を起こすだろう。返す返す残念だ。 |

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