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子供達に残したかったもの それはご近所が一緒になって地域の子供を見守る意識と行動だったと思う。 私は、辛うじてそれが機能していた頃を知っている。 それは、まだお父さん達は早く帰ってきて居て、週に数回は夕食を家族で食べていた時代。 小学校高学年の頃、隣に住む幼稚園の男の子が行方不明になった。 午後6時になっても帰ってこない。夏休みの事だった。 子供会や町内会に連絡が行って、たちどころに捜索隊が組織された。 帰宅していたお父さん達、お母さん達が集まって探す場所を決めて捜索隊を出し 残された子供達は何軒かに収容して、そこの家の年長の女の子(中学生や高校生)が面倒を見る。 夕食を作って子供達に食べさせる係、本を読んだりして不安にさせない係り 男の子は空き巣対策で見回りしたり。 隣接する隣の校区にも連絡が飛び、排水溝や茂みなど、万が一も考えた捜索が続く 「となりのトトロ」で迷子になったメイを村中で探す、あの風景が昔はありました。 やがて9時ごろになって、無事に発見されたとの連絡が入って来た。 夏休みの幼稚園に入り込んで、しかもかなり奥まった所にある砂場の隅っこで遊んでるうちに眠り込んでしまっていたらしい。 夏の日差しで温まった砂は心地よく、発見された時はすやすやと寝ていたそうだ。 小さな歓声とため息(やれやれ)が流れた後、捜索隊は解散してみんな自分の家に帰る。 「ご苦労様でした。」「お互い様だから。」この会話を何回聞いただろう。 その週末、父親は一升瓶を手にして、捜索に参加してくれた家を、迷子になった子供を連れて回ります。 玄関で一緒に頭を下げて、それぞれの主人にお酌して、奥さんはじめ家のみんなに頭を下げてお礼をします。そうやって一日が終わります。「お互い様だから」またこの言葉が繰り返されます。 これを鬱陶しいと思うでしょうか?
こんな地域の繋がりがあった頃、私の周りでは顕著な非行や事故はありませんでした。 なんとか再生できないかな。 |
子供達へ
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祝福されて生まれてきて9年と7年。その間、私は良いパパだっただろうか?
両親からの愛情は十二分に注いできたと思う。でも、両親がラブラブな姿を君たち見せたかったのに・・・
少なくとも君たちの眼の前ではけんかはしない。刺々しい言葉も投げつけない。
君たちが大人になって別れ行くなら本望だけど、もし、病気や事故、
そしてもっと別の理由で君たちの前から居なくなる・・・考えたくないけど人生は決して未来を教えてくれない。
答えられなかったもの、語りたかったこと、 全部ここに書き出しておきます。
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今回の目玉は、愛知万博で好評を博した360℃映像の施設を移設した「シアター360」。早速入ってみました。 約8分間の上映時間で、愛知万博で投影した映像と、科学博物館のオリジナル映像をセットで上映してくれます。 感想から言うと、すごくワクワクした 同じ会には修学旅行生や小さな親子連れが入っていたが、上映が始まって、映像が天から足元まで流れる様子に歓声を上げっぱなしでした。 やっぱり博物館は、静的な展示だけじゃなくて、入館者、特に小さい子が「すっげー」を連発して目を丸くして、ワクワクしながら建物を出て行く様じゃないと!と思いました。 きっと映像を見た子供の何人かは「マントル対流」「ホット/コールドブルーム」を覚えて帰るだろうし、宇宙から見た夜の地球の映像はずっと心に残るだろう。 面白いものを見せてもらったと言う気持ちの他に、ワクワクして帰る子供達の目の輝きに嬉しくなった私でした。
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8歳の女の子がいました。 「いました」と書いていますが、実はこの子はもうこの世にはいません。 彼女の名前は「余艶」。 中国人の女の子で そして 捨て子 でした。 彼女は晩秋の11月に、四川省の寒村に捨てられていた所をある農夫に拾われました。 彼は独身で貧しい農夫でした。 自分の暮らしさえままならない事から、彼は何度も躊躇しましたが 結局この赤ん坊を拾って育てる事にしました。 妻もいない、ミルクも買えないこの若い父親は、お粥で赤ん坊を育てました。 やがて赤ん坊は利発な子供になり、 父娘2人で貧しいながらも助け合う生活が過ぎていきました。 娘が8歳になった時、彼女は鼻血が止まらな無いことに気付きました。 病院に行くと、医者は父娘に残酷な宣言をしました。 白血病 貧しい農民の父親には、一生掛けても払える金額ではありません。 金策に苦労する父を見て娘は言いました。 「私を退院させて、これ以上苦労しないで。」 自分が捨て子であった事を彼女は知っていました。 その時に死んでいたかも知れない命。 そんな自分の病気の為に多大な治療費を得るすべ、苦しむ父親を見かねての言葉でした。 父親は泣きながら治療を断念する事を決意しました。 父親は字が書けません。 娘が父親に替わって、自分の死を宣告する父親の苦しみに満ちた号泣の想いを書類に記しました。 退院した娘は残された時間を一所懸命に父と過そうとしました。 何時も笑顔で過そうと、幸せな思い出を父に覚えていて貰おうと。 たった一つの贅沢。 それは初めて買って貰った新しい服を着た、父娘の記念写真でした。 彼女の症状が悪化しだした頃、ある変化が起こりました。 病院から彼女の話を聞いた新聞記者が、このことを記事にしたのです。 中国全土から義捐金が集まって、彼女は治療を再開することができました。 でも、もう遅すぎました。 発病から3ヶ月で彼女は息を引き取りました。 彼女のなきがらには、生まれて初めて貰った白い靴下と赤い靴が備えられていたそうです。 彼女の墓にはこう記されています。 「私は生きていました。お父さんのいい子でした」 絶望的な貧しさの中で、固く結ばれた親と子の絆がありました。 この記事は、日経ビジネスオンラインの宋文洲氏のコラム「傍目八目」の2007年1月25日の記事 『捨て子の少女の死と、脱・格差社会のもと』にのっていた話です。 この記事を読みながら、昼休みに会社のトイレで泣いてしまいました。 今も書き込みながら涙が止まりません。 豊かな人、貧しい人 病気が訪れる機会はおそらく平等にあるだろうに、貧しいが故に治療でなかった。 でも、お互いを精一杯思いやり、労わり合えた本当の親子 余艶さん 安らかに。 |
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ホテルの部屋でテレビを見てると |
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娘は尋ね続ける 「なんで体当たりするの?死んじゃうじゃない?」 どう答えようか。 自分の中では答えがあるが、子供がどう受け取るか? 暫く考えた(振りをして) 死にたくない人は居ない。 でも死なせたくない人がいる。 例えばパパは 君達やママや、お祖父ちゃんやバアバアや、あのひとや、大事に思っている人達に 怪我したり苦しんだり死んで欲しくない。生きれるだけ生きて欲しいし幸せでいて欲しい。 そしてね あの時代、日本は世界中と戦争をしていたんだよ 地図を見てごらん こんな小さな国は あんなに大きな国と戦っていたんだよ そう、もちろん勝てなかった 戦う事が良い事か悪い事かは今は言わない もう少し経ったらパパがどう考えているかは 教えてあげる 話を戻そうね 沖縄と言う大きな島が日本の南にある ここに戦争していた相手のアメリカが、沢山の船で攻めて来る この島でも兵隊や普通のお父さんお母さんお兄さんお姉さんに子供達が 戦ったり戦いに巻き込まれて死んでいる。 この島をアメリカが占領(自分のものにして自由に使うこと)したら そこから沢山の飛行機が飛んでくる 爆弾を積んだ飛行機や、鉄砲の弾を地面に撃ってくる飛行機がね 昼も夜もそれが続く そして それを止める力は その頃の日本にはもうなかったんだ 空襲って言葉を知っているね 博物館で、空襲の写真を見たね 家も建物も焼けてしまって 真っ黒になって死んでいる人の写真もあったろう あれと同じ事が もっともっと沢山の町で起こるかもしれない 自分達の大事な人が住んでいる町でもね それに、その頃の人達は 占領されたら、そこにいる人達は 男も女も子供も みんなアメリカの兵隊に酷い目にあって殺されると教えられていたんだ 学校でも家の中でも 特攻隊の人達は 自分達の大事な人達を守りたかった 少しでも空襲を減らすため 少しでも惨い目にあわないように すこしでもそれを遅らせるために アメリカの船に飛行機で体当たりして沈めようと思ったんだよ だって でも戦争に勝つつもりだったんでしょう って? いやいや、きっとだれもそう思っていなかったと思うよ 多分負けると感じてたんじゃないかな でもね どんなに無駄だと分かってても 少しでもなんとか大事な人の不幸を先延ばしにしたいと思うのが人間なんだよ もしかしたら 少しでも早く空襲が来ないところに逃げてくれるかもしれない 少しでも早く戦争が終わるかもしれない そうしたら 大事な人達は少しでも長く生きていられる 心からそう願ってたんだと思う 小さな子供や 大事な人を残して先に死んでしまうのだから そう思わないと苦しくて辛くてたまらなかったのかもね 怖かった人もいただろう でも ここに写真がのって 書き残したものが残っている人達は みんなここから飛び立っていった そして帰ってこなかった 体当たりできた人もいたし そうじゃなかった人もいる ここの他にも いろんな所から飛行機が飛んでいった そして殆どが帰ってこなかった そして 結局沖縄は占領されて 日本中に空襲があって 沢山の人が死んだり家を失くしたりして 日本は戦争に負けた でもね この人達のした事が無駄だったと思うかい? パパはそうは思わない きっと この人達の守りたかった人達の全員じゃないけど きっと たくさんの子供達や家族は生き残って このひとたちの魂に守られて生きていったんだと思いたくないかい? この人達に体当たりで死ぬ事を命令(やれといった)した 偉い人達のことはまたこんど話してあげる 人間と言うものが卑怯で臆病な心を持っている話だから もう少しお前達が大きくなってから話してあげる え、パパだって綺麗な大人じゃないよ 残念だけど なんとなくパパの言いたいことは分かってくれたかな? 【補足】 この話をした後に娘が書いた夏休みの作文を読むと、大体想いは伝わってたかな・・と感じました。 『硫黄島からの手紙』を見に行こうと思っているのですがなかなか出来ません。 テレビで予告編を見た時に 子供が「あの人達も特攻した人達と同じ気持ちだったの?」と尋ねて来ました。 それで思い出して
今更ながら記事を書きました。 |



