2011年3月に乳ガンわかり。術前化学療法、手術終了。

H23年3月乳ガンわかる。術前化学療法、H23年9/28手術終了。ハーセプチン治療をH25.2月に終了。無治療となる。

日記

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ウザ

オバサンらウザい
病気のことしかネタ無いのか、
癌だからと、癌のことばかり、
体調悪いから働けない?
そうして死ぬの待つの?
勝手にしろ
人に依存するな
ウザいんだよ
わたしに絡むな、


書いとく
堀ちえみさん
ステージ4=末期癌
だけれど

かわいそうとか思われるのが
一番イヤだと思う
わたしはそう思うけど、、

そうじゃない人もいるね、
かわいそーーと思って思ってーーの
かわいそーーなオバサン、、いるね、、

そのあたりに、生き方が出るね、、

最近、わたしもあまりのウザさにLINEもなんもかもブロックしまくったオバさんがいる
ステージ4と言われた事で
毎日あちこちで大騒ぎ
抗がん剤の話、始めたばかりのときから副作用で酷いよーーの話、寝たきりですーー、体調悪くて働けませんーー、国からの補助受けまくりますーー、とかとか、、元々の性格も執着タイプでウザかった、、


堀ちえみさん、
18歳の彼女とはやはり、バックボーンが違う
同じ癌でも、
そっとして見守っていてほしい人と
そうじゃない人がいるんだと思う
皆が同じじゃないね、、年齢も、環境も、


なにしろ堀ちえみさんは
わたしより年上
何年も長く生きている

わたしは、決まった人数人にだけ
聞いてもらった

限られた方以外には、、
世の中的にとかは
わたしは、そっとしておいてほしい
んなタイプ


堀さんの事を書きたかったの?
ではなかったのかな?
堀ちえみさん、とにかく頑張ってほしい!
癌に勝ってもらいたい

^_^毒吐けるくらい元気んなっているわたしなんよーー^_^


ウザいオバサン、名前出さないだけ喜べ

【記録】2011年乳ガン

2011年3月
千葉県流山市、東葛病院
副院長、外科、大野義一郎ヤブ医者が、
術前抗がん剤を始めた
たいした検査もせず、、
細胞をとったのは、、1度めの抗がん剤をした後、

2度目の抗がん剤の点滴の後から血管痛が酷く、痛みで腕を伸ばすことが出来なくなった
大野ヤブ医者からは、
足から抗がん剤を打ち続けるかと問われたが、

母が、歩けなくなっては困ると心配してくれたので
ポートを入れることにした

2011年9月末に全摘手術を決めるまでの6クール、ポートからの術前抗がん剤を続けた
全く、腫瘍マーカーは下がらなかった
それに対しての説明も無かった

食欲は全く無くなり、体力、精神力、最悪になっていった、、
ガンも小さくならないまま術前抗がん剤6クールが終わり
当然、全摘手術を希望するしか無かった

手術前に、全く腫瘍マーカーも下がっていない、
ガンも小さくなっていないと知り、何のためにこんなに辛い副作用を耐えていたのか、、と、大野ヤブ医者に言ったら、
抗がん剤をしていなかったら、ガンがもっと大きくなっていたかもしれない、
、、と返された、、

トリプルネガティブだったことは、
自分で調べてわかった
千葉県流山市、東葛病院の大野義一郎ヤブ医者は、言わなかった
知らなかったんじゃないか、、

2011年3月から術前抗がん剤を始めると同時に、
ホルモン抑制剤の服薬も開始した
1ヶ月程して、子宮ガンへのデメリットを大野義一郎ヤブ医者に言ったら、
子宮ガンになったら、切ればいいと、言われた、
わたしは、ホルモン受容体はマイナスだと知った、
ホルモン受容体マイナスなのに、リスクのあるホルモン抑制剤を飲むのは、おかしい、と、自ら、やめたいと言い、やめた、
それきり、有無を言わさず、生理は無くなり、強制更年期になった
41歳だった

全く効果が出ない、術前抗がん剤を、
変えることも、検討することもなく、
ただ6クール続けられた、
副作用ばかり、酷かった、、
何の知識も無いヤブ医者大野に任せたわたしの失敗、、

誰でもできる、下手くそな全摘手術を2011年9月に、大野義一郎ヤブ医者にされた後、
自ら、ハーセプチンを希望して、一年半、ハーセプチン治療をした

その後、昨年2018年3月に転移がわかるまで、
2ヶ月に一度、東葛病院、大野義一郎ヤブ医者の元へ通院し続けた
年に一度ペット検査もしていた
他の検査も
自分で希望していた
そのたび、大野義一郎ヤブ医者は、クリア、クリア、と言っていた、、
腫瘍マーカーは、どんどん上がっていたのに、、

【記録】2018年3月17日

2ヶ月弱続いていた頭痛
寝返りを打つだけでも痛い
しまいには、数歩、歩くだけで
足の裏から頭に響いて頭痛
吐き気もする
あまりの痛みに耐えられず
東葛病院の、大野義一郎ヤブ医者の予約を待たずに、
東葛病院へ行った
2018年3月15日

千葉県流山市の、東葛病院で、
2011年乳ガンの手術等をする
札幌から千葉へ転居してきて4年目のことで
千葉の病院のこと、、何も知らなかった

2011年3月
胸のシコリと痛みのため、
東葛病院を初受診
一度、柏のがんセンターをセカンドオピニオンしたが
札幌で卵巣嚢腫の手術をしたのが、勤医協病院という、東葛病院系列の病院だった、、
そんな理由で、、
東葛病院なんかに、大野義一郎ヤブ医者なんかに、、任せてしまった、当時のわたしの選択は、
最大の失敗
Facebookに残していこうと思ったけれど
ここのブログをリンクさせて
病気のことはここのブログで残していくことにしました

読み返しやすいかなという理由

記録として残すだけです



まずは
Facebookに書いてしまった1回目

↓↓

察してくださっている方が多いかな、、と思いますが

2011年に治療、手術をした、乳ガンが、
昨年3月に、再発、転移したことがわかりました

2011年から2ヶ月に一度通っていた
千葉県流山市にある、
東葛病院の、
副院長、外科の大野義一郎ヤブ医師

7年間2ヶ月に一度通っていたが、途中で再発を見つけてくれることは無く
3月に頭が痛くて急遽、受診したわたしに、
末期癌です、と診断する
あなたに使える抗がん剤は、ありません
上の階の緩和ケア外来へ行ってください
と言われる

ようは、
死ぬのを待ってください
と、言われる

今日限り、仕事も車の運転もしてはいけない、
と、
その数分後には、大野ヤブ医者の指示で、
わたしの車を病院の事務が運転して、
もうひとり東葛病院内で、わたしと同じ仕事をしている人が一人、もう一台の車で着いてきて、
わたしの経営している会社の事務所へ3人で行き、
わたしの会社の顧客のファイル
70名以上分を、すべて、
ダンボールに入れて取り上げた
4箱強のダンボールを、
東葛病院内の、わたしと同じ仕事内容の部署に持っていかれた

わたしの会社顧客ファイル全てをダンボールに詰めて、病院の車へ運んだ後、
わたしの車を運転してきた病院の事務と、病院の車で付いてきた、わたしと同職種の山本さんという人、は、
わたしの会社の電話とFAXの線を抜いて、わたしとわたしの会社の顧客ファイル全てを病院へ戻すため、車に乗せた


わたしはそんな事務所と自分の愛車を残して病院へ戻り入院となる

わたしが6年弱でたたきあげてきた会社の顧客
すべて、東葛病院内の同業者に奪われた

ダンボールに顧客ファイルを詰め込まれて
電話FAXの線を抜かれて
頭の痛みの中で、、

地獄絵図だった、

その後、
東葛病院の事務や、リハビリや、ケアマネやら、に、
わたしの病気のことも、
客や仕事の、関係者に筒抜けに話をされた、、

そんな昨年2018年3月

そして
わたしは
ここのFacebookをやめて
別の名前で
闘病Facebookをはじめた

理由は、、死ぬと言われたから、、
今までのFacebookは出来ないと思ってやめた

秋には復活させてもらった^_^しれっと^_^

ご報告

完全復帰しました。
早かった。
自死なんてしない。
病気になろうがどーなろーがめいっぱい生きてやる('-^*)/
あたしの人生はあたしのモンじゃい☆

こんなに早くこーゆ気持ちになれたのは、FBのおかげ。

これはFBにはまりそー
だけど。
ほんと、よかった(^-^)ので。
ご報告。

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