兼業主夫日誌

思えば兼業主夫歴11年。同じ境遇の男性が増えるとうれしいです。

海外生活4ーーーーーノルウェー編

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日本からスペイン、ドミニカ共和国、東京、そしてノルウェーへ。現時点で在オスロの主夫生活を送る筆者が忘れないうちに書きたい生の北欧生活をお送りします。

海外生活ー2.ドミニカ共和国編
海外生活ー3.東京編

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懐かしの愛車 93' Volvo 240 GLE (亡くなった伯父さんの形見です)

 2008年12月にはもう方針を決定しました。また外国に行くのです。旅行ではなく移住です。決めては三つ。一つ目は行き先が分かっている事。普通は会社の人事の都合で赴任先は決められてしまいます。行き先の希望が通ることは稀なんです。北欧は行った事がないし言葉も分からないけど、けどその中でもノルウェーはヨーロッパ中で最も犯罪が少なく安全な国の一つ。平均寿命が日本並みに高く、人間開発指数が最も高い。小さな子供達が安全な環境で過ごすことができる、これが大きな要因でした。二つ目は、自分から見てMが仕事に復帰したくてうずうずしていた事。産休育休に入って約1年ですから、もうそろそろ前倒して復帰したいと言い出すのではないかと言う予感がありました。

 最後は自分の仕事。次から次に来るクライアントからのリクエスト、ますます大きく発展していく会社。技術コンサルタントとしても充足感のある毎日でしたし、営業職としても張り合いのある結果を毎年出し続けて幸せ。会社も自分をとても良くしてくれました。誰が聞いても今会社を辞めるのはもったいない。状況は10年前に会社を辞めたときと同等かそれ以上。でも、もしも自分がこの会社でもっと責任のある職に就いていたら、こういう決断はしなかったかも。でもそうはならなかった。自分でその立場を望まなかったのが半分、無理にでもその立場に引き上げる人がいなかったのが半分か。もちろん自分にその器量がないと判断されたのかもしれませんけどね。自分の性に合った会社、将来性が非常に高い仕事を辞める事に未練はある。それでもその未練に勝る、像が定まらない何かが自分の中で渦巻いていたのです。

 上司である日本支社長には単刀直入に話しました。Hさんはちらりと顔ををゆがめてから、でもすぐに笑顔で、今自分に去られるのは辛いけど新しい目標に向かってがんばってください、とおっしゃっていただきました。自分は物事を一瞬で判断できる、Hさんのそういうところが好きです。普段ちゃんと考えていないとすぐには選択、決断、行動出来ませんものね。(2010年5月13日了)

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道場で稽古中のM(K先生と)

物語の最初から読みたい方はこちら[ http://blogs.yahoo.co.jp/yohkite/6466071.html ] へ。

 心配事ではないけれど、Mと自分が通っている空手道場にもう通えなくなる事はつらいことです。糸東流空手の道場で北区十条に本部がある正修館。この道場の板橋支部に2004年から通っていました。自分が5年前に日本に帰ってきて土日に練習できる同じ流派の道場はないかといろいろ探したのです。日本空手道連盟糸東会本部に電話して、事務局の方にいろいろ伺って、電話番号を2つ教えていただきました。そのうちの一つに電話すると普段は弟子を取らないのだけれど一度来てみなさいとの事。不思議な道場です。それもそのはず地下鉄を乗り継いで行ってみると、そこはタクシー会社の基地。事務所の2階に板張りの広い集会所がありそこで練習をしているのです。師範に伺うとCタクシー空手部として発足し、普通は社員の方か関係者しか入れないとのこと。でもなぜか入門させてもらいました。土曜か日曜の午後4時間みっちり稽古をつけてもらいます。師範は60代にはとっても見えない熊の様な筋肉、俊敏な動き、技術に裏打ちされた胆力がいぶし銀の輝き。一見怖そうですが笑顔がとても優しい方です。練習生は自分以外は皆40代から60代のシニア。武道を教えていただくには素晴らしい環境です。結果、ここに行き着いて本当に良かった。

 単身赴任のMが帰国してから2人で通うようになりました。W君の出産で1年弱Mは稽古を休みましたがWが乳離れする前から稽古を再開。Mは普段の運動と空手の稽古のおかげで出産時の体重から瞬く間にもとの体型に戻りました。ですからW君は0才のときから道場に通っていることになります。はいはい出来るようになると練習中の道場の中を皆の股をくぐって這いずり回りますが、強面の先輩や師範が破顔の笑みで代わる代わるWをだっこしてくれるのです。Mと自分は練習に集中出来るし、一時の間Wから解放される。ストレス源から解放され、たまったストレスは発散できる。花ちゃんが生まれてからも先輩達はさらにかわいがってくれていました。Mも自分もこの5年の間に段位を与えられなんとか黒帯に。

 普通は乳児幼児を連れて空手の稽古なんか考えられないのに、先生方のおかげで続けることができただけでなく、ドミニカ共和国で習い始めた空手の一つ一つの意味を教えていただきました。感謝。(2010年4月22日了)

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2008年末、松本の友人宅で(オレンジがW君です)

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 今は2008年11月。長男のW君は2009年の1月に4才になります。彼は1才のときから世田谷区M保育園に元気に通っています。長女の花ちゃんは4月に生まれたばかりで7ヶ月。一番の心配事と言えば仕事以外では子供たちの語学についてです。母語の発達は生まれてすぐから始まって幼年期を経て10才から11才前後に完成と言われていますが、ともかく三つ子の魂と言うぐらいですから花ちゃんが3歳を過ぎるまでは日本で日本語だけの環境で過ごしたかった。1才児の育児をしながら両親とも働くのは日本では保育園とベビーシッターさん、会社の育児時短制度等をフルに活用すれば不可能ではありません。でも外国では?W君の事も考えてみました。彼もその頃は小学生になっているでしょう。もし外国で新たに外国語を学び、問題なく授業を受けられるようになるまで2年はかかるでしょうが、バランス・バイリンガルになるにはまだ問題が少ない時期だと言えます。幼年期を日本で過ごす事で日本の習慣も身に付き、渡航先でモノ・カルチャーではなくバイ・カルチャーの考え方も身に付くでしょう。

 もっと心配だったのは日本人の味覚。舌です。食べることが大好きなMと自分としては自分の子供たちと同じ楽しみを共有できないのは考えられない事でした。そのためにW君が離乳期でいろいろな素材を口にし始めるときは、なるべく加工食品を使わないで自分で最初から丁寧に作ったものです。例えば鯛の身をすりおろしてしんじょを作りカツオだしの餡を乗せる。塩味をほとんど使わずに素材の香りを楽しめるように丁寧に料理してました。こんな事は日本にいなければ難しいでしょう。とは言っても花ちゃんは今まさに離乳期ですが、おかゆだけ作っておいて、他には自分達の食べているおかずをすり鉢で軽くすりおろしてあげるようになっちゃいましたけど。2人目は親も横着になるものです。食の英才教育とまでは全然いきませんが、おかげでW君はお刺身と蕎麦とお吸い物が大好きな、純和風の子供に今のところなってくれました。花ちゃんはどうなる?

 そんな事よりも母乳を飲んでいる花ちゃんが満1才で卒乳出来るのかがまず問題です。(2010年4月20日了)

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ノルウェーと言ったらムンク

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 「ノルウェーに行かないかってオファーが来ているんだけど。」Mからの突然電話で言われたときは、何ふざけてるの?って答えるしかありませんでした。青天の霹靂。2008年11月。自分は出張先で電話を受けて帰りの新幹線の中でその事をずっと考えていました。この選択が大きく異なる結果を招くのは当然ですが、電話をもらって1分後には自分の心の中では答えを既に出していたのかもしれません。Mの仕事を考えるといつかは外に出なくてはいけない。いや自分にとっても外にこそ自分が成さなければいけない事がある。日本に帰ってきてから6年あまり心の隅に存在していた小さな確信と信念はまだ消えていない様でした。でもどうしてあと1年間育休を取っているMに人事部が働きかけている?しかも西語圏、ラテンアメリカやスペインなら分かるけどなぜ北欧のノルウェー?Mがふざけているのではと自分が思ったのも仕方がないと自分で苦笑しながら、もし行く事にしたときの事を想像してみました。今の仕事はどうする?

 自分はこの不況時にありながら技術営業コンサルティングとしてノリに乗っている、立ち上げから関わっている会社の居心地もとても良い、上司にも恵まれている、スタッフも増えてきて自分の役割もこれからどんどん増えていく、年収もこのデフレ時に上げていただいている。まさにこれから。立ち上げから今までの人材が慢性的に足りず深夜まで働いた苦労、組織作りとして一番大変な時期は越した感じはありました。これからも楽ではないでしょうが、まさに組織としても自分としても大きく成長できる時期に来ていたのです。苦労して耕して種をまいて水をあげて、刈り取りをせずに去ってしまうなんて。今まで自分を買ってくれていたお客さんに背を向ける?それに次の仕事を決めてからならともかく、当ても何も無しで辞めるなんて。もし当地で仕事が見つからなかったら、日本のサラリーマン社会ではキャリアの分断はメリットにはならない。普通の社会人の考え方で言えばバカな事です。友人は?子供が出来てから夜通し遊ぶ事はめっきり少なくなりましたが、その代わり家族同士で深く付き合う仲間がいます。家族は?自分の両親は悲しむだろうか。いや今でも八戸と東京で年に1、2回会えれば良い方なので状況はあまり変わらない。でもいざと言う時に会いに行かれなくなるか。

 1997年に会社を辞めてスペイン行きを決めたときと同じ状況、いや子供が2人いる分さらに大きな決断になるでしょう。(2010年4月19日了)

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