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わたしには
3人の友だちがいます。
ここの記事やコメントにわたしが'友人'と記すのは、
絶対がついて、この3人のうちのいずれかのことです。
それ以外は、
'同僚'とか、'先輩'とか'後輩'とか、'飲み仲間'とか。
そういう表現をしています。
というか、してしまいます。
一般的に、
わたしとその3人のような友人関係のことを、
'親友'と呼ぶものなのかもしれません。
そうすれば、飲み友だち、会社の友人、などと、
わたしの'友'は途端に片手には収まりきらなくなるのに(それでも気にするのは片手程度・・)
わたしはそれをしません。
なんとなく勝手に、
'親友'という言葉に胡散臭さを感じているのです。
彼女たちは
わたしのたいせつなたった3人の友だちです。
わたしというのは、
すでにお気づき、というか、知ってしまわれた方もいるとおり、
どうやらすべてにおいてとってもバランスの悪い人間です。
全てが、のるかそるかで、
均衡を保つということを知りません。
まるでギッタンバッタンとするシーソーのように。
しかもたまに勢いをつけすぎて、
ぶっ飛びます。
あるいは、
落っこちます。
そんなアンバランスを抱える中で、
もっともわたしを不憫なものにしたことは、
人に与える印象と、自覚している自分との間に、
ものすごく差があるということ。
つまるところ、
まさに自慢でもなんでもないですが、
人の評価が、本来の自分を大幅にうわまっていると常に感じていて、
わたしは長い間その評価に押しつぶされそうになって、もがいていました。
しかも、そうとは知らずに。
16年の間、そんなわたしをずっと見ていて
それを気づかせてくれ、
そこに光を見出してくれたのが
その3人の友だちでした。
”本人大変なのは、見ててよくわかるけど
○○○(あえて本名)の魅力はそのギャップにあると思うよ。”と。
それでなんとなく、
そんな自分と、そしてまわりと、
昔より上手に付き合えるようになったのです。
ちなみに
書庫をこのような分け方にしたのも
それが所以でございます。
別に、裏と表がものすごいとか
そこそこで、顔を使い分けているとかいう意味ではありませんよ。
まぁ確実に、内弁慶ではありますけれども。
でもそれも、問題にする程度のものではないと思っております。
それはそうとして、
先週末。
その3人の友人と一ヶ月ぶりに会いました。
ひとりを除いて、ふたりは結婚し、それぞれふたりの子を持つ母親です。
子どもがまだ小さいので大抵は、その子どもたちも含め、既婚者組の家におじゃまして会います。
ふたりの友人にこどもが生まれてからは、会う回数は月一でも極端に減りました。
もちろんそのうちのひとりの独身ものとは、ふたりで会うこともたまにありますが。
ところが、わたしときたらこのところ、
会わないときの彼女らとのコミュニケーションツールである携帯メールをすっかりおざなりにして、
家でも会社でも、暇さえあればパソコンの方に意識が向いています。
そうしたら、その中のひとりが、一ヶ月ぶりのわたしの顔をじっと見ながら
こんなふうに言いました。
「・・?
なんか○○○、少しかわいくなった・・?
なんかわたしたちの知らない楽しいことでもあるのかしら。
○○○は最近、どこのどういう人たちと飲みに行ったり、つるんだりしているの?
なんだか忙しそうだけど。」
ギク。
「いや・・別に相変わらずだよぉ、ぜんぜん。まぁ楽しくは やってるけど。
あ、そういや、魔性のほくろを取ったから、それでかな?アハハ。」
「え、そんなもんまた急に、どうして。」
ギク〜ッ。
「え、なんとなくだよ。
あんまりよくないみたいだからさ。」
ごめんなさい。
わたし、みんなに内緒で、
ブログという世界で
わたしを理解してくれる'友だち'に出逢いました。
'ブロ友'。
ここを開設したばかりのころ、なんとなくこそばゆく感じていたこの言葉が、
なんだかしっくりと自分の中に響く、今日この頃。
いつもわたしのなんらためにもならない長文につきあっていただき、
ありがとうございます。
こんなわたしですが、
これからもどうぞよろしくおねがいいたします。
ヨイヨイ
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