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明日から出張の為、駆け足で書き上げた。
もう少し丁寧に終わらせるつもりだったが、チョット強引になってしまった^^ 私が常に考える事に、「俺だったらどうするだろう?」と言うことがある。
この物語のラストにしてもそうだ。
ヒロシ達は自分の身も省みず、目の前のことに立ち向かっていったが、
実際に自分がその立場に立ったとき、逃げずに立ち向かえるだろうか? 私には確たる自信はない。
その場面に遭遇したとき、“最初に生じる感情”に左右されそうな気がしてならないからだ。
最初に、『怒り・義憤』を感じることが出来れば逃げずに済むだろう。 一方、最初に 『恐怖・予測』を感じてしまったら、自信がない。 端的に言えば、魂で行動したならば前者・頭脳で行動したならば後者 と言うところだろう。
相手に恐怖を感じても なお 逃げずに立ち向かっていける自分を夢見るのだが・・・
「実際にその場面に遭遇してみないと解らない」 と言うのが本音である。 いま、世の中で様々な問題が取り沙汰されているが、
その大部分が、一人一人のモラル・規範に原因がある事柄である。 近年この事に多くの人々が気付き始めている。
いや、とっくの昔に “全ての人”が 気付いていたのではなかろうか? それを誤魔化し続けてきて、もうどうにも誤魔化し続けられなくなった。
それが今現在の状況なのだろう。 いつの世でも人々は 悩み・苦しんで日々を送る。
これは今に始まったことではなく、連綿と続けられてきた“人の営みそのもの”である。 しかし、
真面目に悩む、心底苦しむ そう言った内面の葛藤に 正面から立ち向かおうとすることを 馬鹿にする・笑い者にする。 そのような風潮に於いて 今は他の時代より‘浅ましい’
そう捉えて差し支えないと 私は想う。 “明治という時代”を 憧れを持って眺める人々は多い。
この国は、この国に暮らす人々は、どこで変わってしまったのか?
このようになってしまった原因はどこにあるのか? 多くの人がこの命題を考えている。 私の考えはこうだ。
明治と昭和の違いは、 【美学の濃度】 にある。
良い意味であれ、そうでない意味であれ、 侍・武士道 と言う美学が色濃く残っていた。 それが明治という時代を輝かせている。
このシリーズでテーマの一部とした 幸運を引き寄せるモノは何か? と言う観点からみると、
明治という時代(幕末・維新も含み)そのものが幸運である。
その幸運を引き寄せたモノは、明治人の持っていた美学である。
明治人が死に絶えていく中、受け継がれる美学は希薄になって行く、
これは ある意味仕方のないことでもある。
大正から昭和・平成と 明治から遠ざかるに連れて血が薄くなって行くのは自然の摂理でもあろう。 だからといって、このままどんどん血が軽薄になっていって良いモノでもない。
どこかで 血に濃度を取り戻さなければ それこそ破滅が待っている。 そろそろその時期が近づいている。
それが私の“想い”でもある。
人の世というモノは、‘しゃかりき’に成っても 梃子でも動かない時期もある。
一方で、一歩踏み出すだけで 予想以上に化学反応が進む時期もある。 私は、今の 閉塞した堂々巡り・空しくなるほどの繰り返し は、
化学反応に必要な温度を創り出す為に必要な過程だ と想っている。 だから焦る必要はない。
大変なことになるかもしれないが、‘その大変なこと’を受け入れる覚悟を決めて、 必要条件が整うのを待つつもりだ。 だからこそ、若者達にメッセージを送りたい。
変革の時期はもう少し先である。 おそらく私の息子達の時代になるだろう。 私自身もまだ生きているだろう。 その時期に備え、真面目に悩み・苦しんで 欲しいのだ。
地力をつけて欲しい。 この国、この世界の変革の時に、しっかりと自分の足で立ち、変革を支えて欲しい。 その為には、大人力ゲージを伸ばさずに、スタンドが分離するような心を持たずに、
大まじめで美学を追究して欲しい。 ‘美学の規範’は人それぞれでよい。
哲学でも、宗教でも、文学でも、芸術でも、なんでも良い。 周りのヤツがなんと言って笑おうが、
大まじめで自分の美学を探し求めて欲しい。 『闘う君の歌を、闘わないヤツが笑うだろう』
『何かをしようとすれば、必ず、何もしないヤツらが邪魔をする』 『評価される必要などない』 素晴らしい言葉を吐く大人もタクサンいるのだ。 くさらずに、くそまじめに生きて欲しい。
オチャラケながらね^^
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