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学校などで教えられる知識として, ◎織田信長は石山本願寺や比叡山などの仏教勢力と対立し, これらを激しく弾圧した。 ◎江戸幕府はキリシタン排除のため,「檀家制度」をつくっ て,すべての人をいずれかの寺院の「檀家」とした。 というものがあります。私もこれまであまり深くは考えなかったのですが,よくよく考えてみると,そうすんなり受け入れていいものではないような気がしたので,ちょいと調べてみました。 (1)まず,一向宗そのものの弱体化。 織田信長らを苦しめた一向一揆も,石山本願寺の降伏をもってほぼ終息しました。 この石山本願寺と織田信長の和議によって,石山側のトップである「顕如」が石山を明け渡すことになったのですが,顕如が石山を去った後で,顕如の息子である「教如」が徹底抗戦を主張して石山に引き続き立てこもってしまったのです。 結局教如も説得に応じて石山を明け渡したのですが,その後も顕如派と教如派の対立はくすぶり続け,徳川家康の策謀(なのか?)によって教如は東本願寺を設立,それにともなって顕如の跡を継いだ准如らが西本願寺を設立しました。 これによって一向宗が二つに分裂してしまったのでした。 (2)「檀家制度」と「仏教」との違い 檀家制度は,「家」を単位として寺に登録するシステムですので,仏教というよりも儒教的な側面が強い制度なのだという説もみられました。 「ホンネのお葬式」を参考にしました
●日本において発達した檀家という独特の制度は、寺院に所属し、寺僧に布施する在俗信徒を称しているが、実はこの制度、宗教的にはムチャクチャなものなのだ。 ●日本の宗教家というのは国家公務員だった。それが鎌倉時代の第一次宗教革命で崩れて、そして誰でも自由に宗教家になれるようになった。(中略)それを別の意味で政府の力で統一しようとしたのが、徳川幕府の檀家制度である。これによって宗教が政治の手段、もっといえば、走狗となった体制が完成した。 「日本人のための宗教原論」(小室直樹・徳間書店) 檀家制度を仏教保護のための政策と単純にとらえてはいけないのかもしれません。 あと,なかなか調査に着手できていないのですが,徳川幕府がキリスト教をどう受け止めていたのかをもう少し時系列にそってきちんと把握してみなければなりません。「幕府の支配のしくみとキリスト教の平等主義が相容れない」という説明は,わかりやすいのですが,わかりやすすぎて妙に受け入れにくいのです。 今夜は時間が遅くなったので,続きはまた書き足すということで・・・。失礼。
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社会科ひっかかり
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