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社会科教師の目から見た 世の中 ってこんなかんじ

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ネガティブ

今日,とある保護者と電話で話していたら,だんだん険悪な雰囲気になってしまった。

どうも,そのお母さんは,自分の子供はやる気もあって,前の担任のときには成績も
順調に伸びてきていたのに,私がその生徒に「やる気が無いからもっとがんばらない
といけない」というような発言ばかりしていて,成績もあまり伸びていないので,不
信感を感じる,というような風だった。

 会話の中での,私のちょっとした誤解から,お母さんの機嫌をそこねてしまって,
そういう風な流れになってしまったようだったので,その誤解を解いてもらって,ま
ずは納得してもらった。

 電話のあとつらつら考えてみるに,子供のいいところを見つけて褒めてあげる,と
いうことが大切だということは分かっていたはずなのだが,実際には,そうなってい
なかった,というのが実際だったのだと思う。

 自分としては,褒めるほうが多いつもりだったが,意外とそうでもなかったのかも
しれない。保護者は,時々しか私の言葉には触れていないが,触れる頻度の高い子ど
もたちは,もしかしたら今回のお母さん以上に傷ついていたことがあったのかもしれ
ない,と思うと,汗顔の至りである。

 話している自分を冷静に外側から見る,というのはなかなかできないが,せめて意
識の片隅に,今日のことを忘れずに置いて,使う言葉を考えたい。

 同じ内容を伝えたつもりでも,使う言葉や順序・タイミング次第で,受け取られ方
が180度変わってしまうこともありうるのだから。

若芽の春

 地下鉄の駅を出るとき,いつも目に留まる街路樹が一本

 常緑樹なので,寒いさなかにも葉を落とすことはなく,暗緑色の影を帯びて立っていた。

 今日ふと気づくと,いつの間にか鮮やかな新緑の色が浮かび上がっていて,「いざ,春は来る」とのメッセージを私に送ってくれていた。

 階段を上りつつ開けてゆく視界には,次々と萌え出ずる新芽や若葉を携えた木々が入り込んできて,都会でも毎日見ていれば,これだけ季節の移り変わりを味わうことができたのだな,と,今更ながら感じ入る。

 春が人の心を浮き立たせるのはなぜなんだろう・・・

 ようやく春休みの講習も終わり,新学期が始まった。

 今年の春休みはインフルエンザからスタートするという,かつてないドタバタした状態でしたが,どうにか終わりました。

 新学期が始まって,普通は「さぁ,新しい気持ちで!」となるのでしょうが,うちの職場は4月20日頃に,毎年職員の教科試験があって,これに落ちると給料が下がってしまうので,必死です。

 今日も本当は休みなんだけど,朝から勉強中・・・ 春なのに・・・

 今日はただの愚痴で終わりです。

アフォーダンス

 大学のとき,卒論の指導教官をしてくださった先生の専門分野が「アフォーダンス」というものだった。ここでわかりやすく説明をするのは,私には無理ですが,要は,「知識」というのが自分の脳につまっていて,それを引き出しながらいろんな物事を認識しているわけではなくて,周囲の「環境」に知識が埋め込まれていて,その「場」から受ける情報に応じて認識が生じる,みたいな話でした。

 一例を挙げると,たいていの日本人はエスカレーターにはそれほど苦も無く乗れると思うのですが,そんな人が,停止したエスカレーターにのる,その最初の一歩目の感覚です。「止まっている」とわかっているのに,足に物凄い「違和感」を感じてしまうんです。つまり,「エスカレーター」というものがそれまでに自分に与えてきた情報が,脚の動きを半ば制御してしまっている(自分の意思とは無関係に!)ということです。

 何でこんな話をここでしているかというと,「学習」にこれを持ち込むことはできないか,ということなんです。

 たとえば,100gの水に25gの食塩を溶かした場合,何パーセントの食塩水と言えるか,という問題が出されたときに,すぐに答えが出せる人にとっては,この問題がそれ相応の情報を「アフォード」しているわけです。それほど意識しなくても,20%という答えが出せます。

 ところが,これが“説明しても”ピンと来ない生徒がいるわけです。その「ピンと来ない」ということが,この問題がその生徒に「アフォード」していないということなんでしょうけれども,その原因が,問題の提示の仕方にあるのか,単に慣れの問題なのか,そういうことをちょっと今考えているわけです。

やるなら最後まで

 昨日,いつものごとく駅に向かうと,まだほんの3ヶ月かそこらの赤ちゃんをだいたお母さんが,ベビーカーを持って階段を上ろうとしていた。

 うちの最寄り駅は,未だにエレベーターも無く,まず改札に行くために階段を上り,ホームに行くためにまた上り,その後,会談をくだらなければならない。

 子供をだっこしてベビーカーまで,というのがいかに大変かはよく知っているので,声をかけて改札のところまではベビーカーを持ってあげた。

 その後,そのお母さんは切符を買う様子だったので,定期券を持っている私は,さらに続く階段のためにもうちょっと手を貸すか,それともそこまでやるのはおせっかいか,などと悩んだ挙句(とは言っても数秒だが),あんまりしつこいと,変な人と思われるかも,と思って先に行ってしまった。

 が,結局そのおかあさんが,すんでのところで電車に間に合わず,階段を下りたばかりのところで息を切らしている様子を,私は走り出す電車の窓越しに見ることになったのだった。

 どうせ手を貸すなら,最後まで貸してあげればよかった・・・。


 何事も,やりかけたら最後までやらなくては意味が無い。途中で投げ出したら,最初からやらなかったのと大差ないのだと感じた。同じシチュエーションに再び出会うことはそうそう無かろうが,「やりかけたのなら最後まで」を今後の行動の指針の一つとしたい。


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