Titanium Sculptor Titanium blue

Art Blutitanium art Titanium blue チタンブルーChalleng Sotheby's サザビーズ

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下記のコンペで、通過いたしました。

感謝・・・・・・・・・・・・・・・・・与吉


神々への捧げものアートコンペ 1次審査の結果をお知らせします

NO.288 山口義仁 様

このたびは「神々への捧げもの」アートコンペにご参加いただきありがとうござ
いました。あなた様の作品を審査した結果、1次審査を通過いたしましたのでご
通知申し上げます。

なお、提出いただいた全作品は、公式サイトにて掲出させていただきます。
サイトのURL : http://www.compe-kyoto.org/sengu/
掲出期間 : 平成20年9月26日〜

<作品の搬入搬出について>
作品票に記載の通り
作品の搬入搬出展示方法など、お問い合せは本メール宛にお願いします。
電話でのお問い合せには応じかねます、あらかじめご了解ください。

【作品展開催のお知らせ】
とき:平成20年10月1日(水)〜8日(水) 9:00〜16:00(休館
なし)
ところ:平安神宮(京都市左京区岡崎)「額殿」と神域内にて

<公開審査と講評会・表彰式>
とき/平成20年10月5日(日)13:00〜14:00
ところ/平安神宮「額殿」
*審査委員出席のもとに開催いたします。(時間は目安とお考えください)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
神々への捧げものコンペ実行委員会
実行委員長 田中恆清
京都府京都市西京区嵐山朝月町68-8

理由

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私が、なぜ この刹那の蒼を追い始めたか。

2008・秋分の日・・・・・バージョン



炎で、金属を焼き発色をさせる。

チタンアートに取り組むようになったかとのご質問を受けます。

そのお話を少しかいつまんで致します。


私は、6歳ぐらいの時から金属の焼けた時の色(青)に

異常に興味を示したようです。8歳ぐらいの時には、

家を建てている工事現場から、トタンの波板を拾ってきては

自宅のお風呂の、焚口(当時は材木とかでお風呂を沸かしていました。)

に竹の先にトタンを刺して、炎に近づけては高温で真っ赤になった

トタンを見てそのあとに訪れる青の発色に喜んでいたそうです。

そして、それを見たご近所の方が、この子は火遊びをすると

祖父に言いつけられました、怒った祖父が私のおしりに

ヤイト(お灸)をしました。  お灸は、2度ほどあったそうです。

私の記憶は、ヤイトをされたことは覚えていますが、

それより前の記憶は、母親から聞かされた事です。

自分のやったことですが、都合の悪いことは忘れています。


そんなに金属の焼けた青色が好きな子供になったのかは、

決定的な、出来事がありました。

だるまストーブ事件です。

私が6歳の時いつも遊びに行っていた、

近所の小さな映画館に石炭を燃料にする

だるまストーブがありそのストーブの煙突は、今までサビサビでした。

それが、ある日新品のトタン製の煙突に変わっていました

そのストーブにおじさんが火を付けてくれた時の出来事です。

ストーブの根元の所からゴールドになり、そのゴールドが

先のほうにどんどん進んで行きました。

その、ゴールドの輝きが七色のゴールドとでも表現するぐらい綺麗でした。

その、ゴールドが無くなってすぐこんどは、ストーブの根元から

ブルーが現れたのです、その時の感覚は今でも忘れることは出来ない

インパクトでした、それが、私の炎の蒼の

ファーストインパクトです。

そして、次の日にはその煙突はどんどん錆びていくだけで

2度とブルーが現れることは無かったです。

それから、火を見たら火遊びをする

危ない子供として、町内会で回覧板が回る札付きになりました。





そのように金属と炎に興味が凄くあったことは、間違いないです。

それから、時は過ぎて私が17歳の時にバイクのエンジンのすぐそばの、

パイプの部分が、ゴールドに輝いているのを見てまた忘れていた記憶が、

蘇りました、それからは、鉄 ステンレス などなどを

焼きまくりました、

なぜかと言うと、これで何か人が驚くのではないかと思い。

当時 学校は嫌いでしたので、これで生きていけるのではないか、

一人コツコツと、いろんな金属加工をしながら収入を得てきました。

ですから、私の技法はすべて、独学です

誰にも、溶接 切断 研磨 曲げ 絞り などなどは、

教えていただいたことがありません。

すべて、自分で考え、本とかテレビなどを参考に、見よう見まねです。

今でも、この方法が、(溶接、切断など)正しいのか間違っているのかさえわかりません。

でも現在では、不安などはありません。(思いあがっているわけではなく自分を信じている)

物には、色々な方法があると思えるようになったからです。


かなり、本筋からそれてしまい失礼いたしました。

なぜチタンにたどりついたかは、

来る日も来る日も、金属を焼いている時の最大の課題は、いくら綺麗な発色をしても

すぐにサビによる変色です、そのためにそれを止めるために、

クリア塗装をしたり、出来るだけ温度を高くしないでゆっくり焼いたり などなど

ありとあらゆる事をしても、完成した綺麗な蒼がすぐにくすみます。

そんな時にお付き合いしていた鋼材屋さんが、

はがきサイズのチタンを持ってきまして、このチタンと言う金属は絶対に酸化しないらしいです。

との事でした、それから26年間現在まで、試行錯誤の日々です。

その、26年間のお話はいずれ致します。

現在でも、3割ぐらいは私の目でみて、失敗は致します。

完璧かそうでないかは、私の間合いの問題でして、技術ではなく気持ちが

色に反映するようです。

不思議なもので、造形 研ぎが完璧でも炎をあやつる一瞬の間合いを見切る

そこが、極意なのかもしれません。

まだまだ、勉強です。

以上が、私がチタンアートに全人生をすべてそそぎこんでいる、大ざっぱなお話です。

今、改めて思う事は、一期一会でここまで来ているなと思います。

すべての方に感謝です。




最後に、最近なぜ、なぜ、と自分に自問自答致します。

それは、苦しい日々を送るうちに、

もう辞めようと現在でも思います。

そして、答えはいつも、

この、一瞬の蒼を 永遠に捕まえる為に生まれてきたのだから・・・・・・・・・・と

・・・・・・・・・・・・・・・感謝

・・・・・・・・・・・・・念には念を

画像は、チタン画の焼いてない・・・焼いているの対比です。



                チタンアーティスト与吉

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