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与吉が、なぜ 金属を焼くアートを追い始めたか、
炎で、金属を焼き美しい色彩を発色をさせる。
チタンアートに取り組むようになったか、
与吉は、6歳の時から金属の焼けた時の色(青)に
異常に興味を示したようです。8歳ぐらいの時には、
家を建てている工事現場から、トタンの波板を拾ってきては
自宅のお風呂の、焚口(当時は材木とかでお風呂を沸かしていました。)
に竹の先にトタンを刺して、炎に近づけては高温で真っ赤になった
トタンを見てそのあとに訪れる青の発色に喜んでいたそうです。
そして、それを見たご近所の方が、この子は火遊びをするとても危険だと 祖父に言いつけられました、怒った祖父が与吉のおしりに
ヤイト(お灸)をしました。 お灸は、2度ほどありました。
そんなに金属の焼けた青色が好きな子供になったのかは、 決定的な、出来事がありました。
だるまストーブ事件です。
与吉が6歳の時いつも遊びに行っていた、
近所の小さな映画館に石炭を燃料にする
だるまストーブがありそのストーブの煙突は、サビサビでした。
それが、ある日新品ピカピカのトタン製の煙突に変わっていました
そのストーブにおじさんが火を付けてくれた時の出来事です。
煙突の根元の所からゴールドになり、そのゴールドが
先のほうにどんどん進んで行きました。
その、ゴールドの輝きが七色のゴールドとでも表現するぐらい綺麗でした。
その、ゴールドが無くなってすぐこんどは、ストーブの根元から
ブルーが現れたのです、その時の感覚は
衝撃でした、それが、与吉の炎の蒼の
ファーストインパクトです。
そして、次の日にはその煙突はどんどん錆びていくだけで 二度とブルーが現れることは無かったです。
それから、与吉はそれを、再現したいので、火を見たら火遊びをする
危ない子供として、町内会で回覧板が回る札付きになりました。
それから、時は過ぎて与吉が17歳の時にバイクのエンジンのすぐそばの、
パイプの部分が、ゴールドに輝いているのを見てまた忘れていた記憶が、
蘇りました、それからは、鉄 ステンレス などなどを
焼きまくりました、
なぜかと言うと、これで何か人が驚くのではないかと思い、
当時 学校は嫌いでしたので、これで生きていけるのではないか、
一人コツコツと、いろんな金属加工をしながら収入を得てきました。
与吉の技法はすべて、独学、我流です 誰にも、溶接 切断 研磨 曲げ 絞り などなどは、
教えてもらった事は無く、
すべて、自分で考え、本とかテレビなどを参考に、見よう見まねです。
なぜチタンにたどりついたかは、 来る日も来る日も、金属を焼いている時の最大の課題は、いくら綺麗な発色をしても
すぐにサビによる変色です、そのためにそれを止めるために、
クリア塗装をしたり、出来るだけ温度を高くしないでゆっくり焼いたり などなど
ありとあらゆる事をしても、完成した綺麗な蒼がすぐにくすみます。
そんな時にお付き合いしていた鋼材屋さんが、
はがきサイズのチタンを持ってきまして、このチタンと言う金属は絶対に酸化しないらしいです。
との事でした、それから永遠に続くチタンを、試行錯誤の日々を続けています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・感謝候 与吉
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