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私のオルゴール
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今日の朝早く放送された番組で、先月末から今月初めに

かけて行った兵庫の西はりま天文台が放送されました。

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番組で出て来たこの風景が懐かしくて・・・

(まだ1ヶ月も経っていないのに

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{星空案内人}で天文学者の鳴沢真也さんが出演していました。

日本有数の星の観測スポットとして知られる「西はりま天文台」。
ガイドを務める天文学者・鳴沢真也さんは、優しい言葉で星の魅力を
語るとともに、あるメッセージを伝えている。

「星は点にしか見えないけど、一つ一つに個性がある。」

「みんなちがって、みんないい…」

10代の時に経験した6年間のひきこもり、同じ夢を追いかけていた
同僚の死…。たくさんの困難を乗り越えてきた鳴沢さんと、星降る
天文台に集う人たちの物語。

              (番組より)

 明るくジョークを交えて星について語り、教えてくれた

鳴沢さんにもいろいろな辛い過去があったんですね。

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鳴沢さんの興味深い星のお話はベランダから眺めていた

星空をより近く感じさせてくれました。

気が遠くなるようなお話もたくさんありましたけどね


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私が手持ち撮影した星空です。頭上の空をただ撮っただけなので

どれが何の星だかサッパリ〜???

小さくてもいいから三脚を持って行けばよかった・・・

追記

上の写真をブロ友いちゅぬぬさんが星繋ぎをして下さいました。

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アンドロメダやペガスス座、はくちょう座まで写っていたなんて

感動です。

いちゅぬぬさん、ありがとうございます。


土星の環を{なゆた望遠鏡}で見たかったのですが

残念ながら見られませんでした。

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ネットより


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ネットより

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ネットより


いくつもの流れ星、火球、天の川が忘れられません


もし「また行ってみたい?」と聞かれたら

「行ってみたい。」と答えるでしょう。

体力勝負ですが

それほど魅力のあるところです
曇り空の寒々とした1日でした。

明日、明後日は晴れそうですが、週末は台風の影響が

出て来そうです


今週、生協から注文しておいた絵本が届きました。

大人が読んでも面白いです。

「あっ、こんなことがあったよね。」と遥か昔の

子育て時代を思い出します。

孫達を見ていてもそうなのですが

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本を開くと〜
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孫がふざけてこんな顔をすることがあります


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これは私自身の経験そのもの

幼い妹を笑わせようとしてを顔に塗りたくったことが


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公園に行くとなかなか帰ろうとしないんですよねぇ


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 三男はお風呂が大好きで、風邪気味だから今日はダメと

言うと、洗面所の前で寝転んで泣いていたものです


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{寒いので・・・}

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昨夜はお鍋にしました。

鶏団子や豚肉を入れて、白菜・水菜もたっぷり


今夜は魚料理にしようかと思っています










30℃を超えた神奈川東部です。夜になってもまだ20℃以上

ありますが、サッシを開けていれば涼しい風がカーテンを

揺らしています。


今まで作ったスライドショーをyoutubeで見ていたら

優しい歌の動画がありました。

ブログでもUPしたことがありますが、アリスが誕生した

年の暮れに作ったものです。

写っている赤ちゃんの手はアリスの手。

リングピローは長男のお嫁さんに作ってあげたものです

この年に長男と三男が結婚しました

ほのぼのとした動画です

よろしかったらご覧ください。

                                                          by  junmama


この動画を作ったムービーメーカーが気に入って

 いたのに期限切れで使えなくなってしまい、とても

残念です・・・



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作りたてのゴマだれのお団子が美味しかったぁ

(主人が買って来てくれました)
14:46。大震災が起きたあの時刻に手を
合わせました


あの年を振り返ると、我が家にとってもたくさんの
   ことがあった年で、次の年にかけて悲喜こもごもでした。


年が明けて初孫のアリスが誕生

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生まれて2ヶ月も経たないときに東日本大震災が
起きて、あの日はお嫁さんがアリスを抱いて怯え
ているんじゃないかと心配でしたが、マンション
の1階は意外と揺れなかったようです。

そして震災の二日後には母の喜寿を祝いました。

その時の母の写真は私の部屋に飾ってあり、いつも
笑っています。

震災からちょうど1ヶ月後に長男が結婚式を挙げました

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スタッフの話によると、震災の日にはシャンデリアも
  揺れて、テーブルのグラスなども倒れたりしたそうです。


そして次の月には三男が挙式

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大震災の恐怖が冷めやらぬときの幸せなひとときでした


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このときはまだ元気でアリスを抱っこしていた母

年が明けて病気になり、喜寿のお祝いの事も、孫二人の
挙式のことも、そして可愛い曾孫のこともすっかり母の
記憶から消えてしまいました・・・


あれから6年が過ぎ、先日も記事にしましたが
アリスは6歳。春から1年生です。

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喜びと悲しみが交差する三月。
でも前を向いて歩いて行かないといけないですね。
被災地の人達があんなに頑張っているんですから。



ベランダで咲いている花を・・・

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涼しい日が続いている関東です。クーラーなしで
  過ごせるのは嬉しいのですが、この後に平年どおりの
暑さが戻って来るのが怖いです。

あの猛暑・・・出不精が更に出不精にになる夏がやってくる


では今日のタイトルのお話を。

手帳などが入っている引き出しを見ていたら、仕事を
していた頃のパスポートや仕事専用の手帳などが出て
来ました。もう40年以上前の物です。


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パスポートも今の物より大きいですね。

数次旅券。5年でした。

その右はクルー手帳。上が予防接種の証明書

どれも仕事の時には忘れてはならないものでした。


クルー手帳を開くと

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1ページめ

私が訓練所を卒業して初めてのフライトは
4月2日
TYO−HNG 731便/062便(東京ー香港)往復日帰り

飛行機はボーイング747(シップナンバー〜JA−8111)

ピッカピカの1年生でした

お天気もはっきり覚えています。
朝から青空のいいお天気でした

PAX NO.とあるのはお客様の人数です。
F/C(ファーストクラス行き〜35名、帰り〜18名)
Y/C(エコノミークラス行き〜321名、帰り〜128名)

この頃の国際線ジャンボはファーストクラスの席が40名、
エコノミーが321名でしたから、行きはほぼ満席だったと
いうことですね。新人には大変なフライトでした。

その頃は飛ぶ路線がセクターに分かれていて国内線、
  東南アジア線、南廻りヨーロッパ線、北廻りヨーロッパ線
があり、モスクワ線乗務になることもありました。
太平洋線などジャンボが飛ぶ路線はどこに属していても
フライトが入ることになっていたと記憶しています。

私と同期の佐賀のSちゃんは同じセクター、それも
北廻りヨーロッパ線に配属が決まり、ヨーロッパに
行かれる!と飛び上がって喜んだものです

同じグループで3ヶ月間は一緒に飛ぶことになり
それが主人との出会いです。

私は新米スチュワーデス、主人はパーサーでした。
無口で生真面目な感じで、気軽に話しかけられるような
上司という感じではありませんでしたから、人生のパー
 トナーになるなんてとても考えられないことで、私の趣味
ではなかったんですよねぇ・・・

手帳の右のLCH,DNRはランチ、ディナーサービスを
  するということで、仕事ではこのようにスリーレターコードで
書くことが多かったです。

2回目のフライトは062便。(TYO−HNL)東京ーホノルル

この日もお客様はファーストが35名、エコノミーが321名で
ほぼ満席。

新米の私達(3名いました)はギャレーの仕事を1ヶ月
みっちり覚えることになっていたので、アシスタント・
パーサー(今はこの名称はないと思いますが)や先輩の
指導を受けながら訓練所で覚えたことを必死に思い出し
て動き回っていました。

オーブンでひとつのコンパートメント約100名分の
食事を一人で温め、飲み物の用意など目が回りそうで
オーブンでヤケドをしたこともありました。

離陸前におしぼり用のオーブンにもスイッチを入れて
おき、食事前におしぼりサービス。

コーヒー用のスイッチを入れておくこともギャレーの仕事。
   一番大事な食事用のキャセロールの入ったオーブンにもス
イッチをれて。
(今は電子レンジになっているんでしょうね)

上に上がってシートベルトのサインが消えると
食事サービスの準備です。軍手を付けて熱いミールを
トレーに置いて行く作業。もたもたしていられません。

その間に先輩達がキャビンに出て飲み物サービス。

主人はのエコノミークラスの責任者でしたから、
3つに分かれたコンパートメント全部の食事の用意
が出来たと同時に一斉にミールサービスを始めるこ
 とを決め、お客様が「あれ?あの席に座っている客は
 もう食べ始めているのにここはまだ?」ということが
ないようにしていました。

私達にとってソウル線や香港日帰り便は足が棒になるほど
疲れる便でした。いつもほぼ満席でしたしね。
機内では5㎝くらいのヒールでしたが、お客様の搭乗まで
とお見送り、そして仕事が終わってロッカールームに行く
までは8㎝のヒールでしたから足が痛くて


上の手帳を見ると分かりますが、初めての北廻りヨーロッパ線は
4月24日。今はありませんが、TYO−ANC(東京ーアンカ
レッジ)経由でハンブルグでした。10日間くらいの仕事だった
と思います。

「あの頃はまだまだ優雅だったんだよ。」とよく主人に
 言われます。大昔(?)は北欧に1ヶ月いたなんて事も
あったようですが、私の頃は2週間くらい。

ヨーロッパに滞在中に1回イントラと言ってヨーロッパの
中を日帰り往復することはありました。

主人が定年で辞める10年前頃にはパリ4日間なんていう
ハードなフライトが増えていました。

あっ、私の頃はオーストラリア線もなかったです。

カナダ、ロス(今はLAと言います?)、シスコ直行
などもなくて、ロスやシスコはホノルル経由でした。


3ヶ月間グループで一緒に飛んだ後は解散して一匹狼?で
いろいろなグループの人達と一緒に飛んでいました。

主人とはほとんど一緒に仕事をする機会がなかったと
思いますが、運命の出会いはその1年後に。

そのお話は長くなりますのでまた他の機会に


今でこそ有給休暇を取るのは当然の権利ですが
 あの頃は「新人が取るなんて。」と言う人もいて
 私は飛び始めて1年間は1日も休暇を取らずに働
きました。

羽田から比較的近い所に住んでいたので、緊急
呼びだし要員になっていたようです。

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太りたい太りたいと思っていた頃
今は痩せたい痩せたいと思ってる・・・


最近になってやっと仕事で慌てている夢を見なく
  なって来ましたが、主人は相変わらず見るそうです


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            (ネットより)



あれから40年が過ぎて・・・
私は今も空が好きで飛行機だけでなくお月様や星を
眺めています。

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今夜は更待月

雲が広がって来ました。


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ではこのへんで

お体に気をつけて良い週末をお過ごし下さい。


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