涼しい日が続いている関東です。クーラーなしで
過ごせるのは嬉しいのですが、この後に平年どおりの
暑さが戻って来るのが怖いです。
あの猛暑・・・出不精が更に出不精にになる夏がやってくる

では今日のタイトルのお話を。
手帳などが入っている引き出しを見ていたら、仕事を
していた頃のパスポートや仕事専用の手帳などが出て
来ました。もう40年以上前の物です。
パスポートも今の物より大きいですね。
数次旅券。5年でした。
その右はクルー手帳。上が予防接種の証明書
どれも仕事の時には忘れてはならないものでした。
クルー手帳を開くと
1ページめ
私が訓練所を卒業して初めてのフライトは
4月2日
TYO−HNG 731便/062便(東京ー香港)往復日帰り
飛行機はボーイング747(シップナンバー〜JA−8111)
ピッカピカの1年生でした

お天気もはっきり覚えています。
朝から青空のいいお天気でした

PAX NO.とあるのはお客様の人数です。
F/C(ファーストクラス行き〜35名、帰り〜18名)
Y/C(エコノミークラス行き〜321名、帰り〜128名)
この頃の国際線ジャンボはファーストクラスの席が40名、
エコノミーが321名でしたから、行きはほぼ満席だったと
いうことですね。新人には大変なフライトでした。
その頃は飛ぶ路線がセクターに分かれていて国内線、
東南アジア線、南廻りヨーロッパ線、北廻りヨーロッパ線
があり、モスクワ線乗務になることもありました。
太平洋線などジャンボが飛ぶ路線はどこに属していても
フライトが入ることになっていたと記憶しています。
私と同期の佐賀のSちゃんは同じセクター、それも
北廻りヨーロッパ線に配属が決まり、ヨーロッパに
行かれる!と飛び上がって喜んだものです

同じグループで3ヶ月間は一緒に飛ぶことになり
それが主人との出会いです。
私は新米スチュワーデス、主人はパーサーでした。
無口で生真面目な感じで、気軽に話しかけられるような
上司という感じではありませんでしたから、人生のパー
トナーになるなんてとても考えられないことで、私の趣味
ではなかったんですよねぇ・・・

手帳の右のLCH,DNRはランチ、ディナーサービスを
するということで、仕事ではこのようにスリーレターコードで
書くことが多かったです。
2回目のフライトは062便。(TYO−HNL)東京ーホノルル
この日もお客様はファーストが35名、エコノミーが321名で
ほぼ満席。
新米の私達(3名いました)はギャレーの仕事を1ヶ月
みっちり覚えることになっていたので、アシスタント・
パーサー(今はこの名称はないと思いますが)や先輩の
指導を受けながら訓練所で覚えたことを必死に思い出し
て動き回っていました。
オーブンでひとつのコンパートメント約100名分の
食事を一人で温め、飲み物の用意など目が回りそうで
オーブンでヤケドをしたこともありました。
離陸前におしぼり用のオーブンにもスイッチを入れて
おき、食事前におしぼりサービス。
コーヒー用のスイッチを入れておくこともギャレーの仕事。
一番大事な食事用のキャセロールの入ったオーブンにもス
イッチを入れて。
(今は電子レンジになっているんでしょうね)
上に上がってシートベルトのサインが消えると
食事サービスの準備です。軍手を付けて熱いミールを
トレーに置いて行く作業。もたもたしていられません。
その間に先輩達がキャビンに出て飲み物サービス。
主人はのエコノミークラスの責任者でしたから、
3つに分かれたコンパートメント全部の食事の用意
が出来たと同時に一斉にミールサービスを始めるこ
とを決め、お客様が「あれ?あの席に座っている客は
もう食べ始めているのにここはまだ?」ということが
ないようにしていました。
私達にとってソウル線や香港日帰り便は足が棒になるほど
疲れる便でした。いつもほぼ満席でしたしね。
機内では5㎝くらいのヒールでしたが、お客様の搭乗まで
とお見送り、そして仕事が終わってロッカールームに行く
までは8㎝のヒールでしたから足が痛くて


上の手帳を見ると分かりますが、初めての北廻りヨーロッパ線は
4月24日。今はありませんが、TYO−ANC(東京ーアンカ
レッジ)経由でハンブルグでした。10日間くらいの仕事だった
と思います。
「あの頃はまだまだ優雅だったんだよ。」とよく主人に
言われます。大昔(?)は北欧に1ヶ月いたなんて事も
あったようですが、私の頃は2週間くらい。
ヨーロッパに滞在中に1回イントラと言ってヨーロッパの
中を日帰り往復することはありました。
主人が定年で辞める10年前頃にはパリ4日間なんていう
ハードなフライトが増えていました。
あっ、私の頃はオーストラリア線もなかったです。
カナダ、ロス(今はLAと言います?)、シスコ直行
などもなくて、ロスやシスコはホノルル経由でした。
3ヶ月間グループで一緒に飛んだ後は解散して一匹狼?で
いろいろなグループの人達と一緒に飛んでいました。
主人とはほとんど一緒に仕事をする機会がなかったと
思いますが、運命の出会いはその1年後に。
そのお話は長くなりますのでまた他の機会に
今でこそ有給休暇を取るのは当然の権利ですが
あの頃は「新人が取るなんて。」と言う人もいて
私は飛び始めて1年間は1日も休暇を取らずに働
きました。
羽田から比較的近い所に住んでいたので、緊急
呼びだし要員になっていたようです。
今は痩せたい痩せたいと思ってる・・・

最近になってやっと仕事で慌てている夢を見なく
なって来ましたが、主人は相変わらず見るそうです

あれから40年が過ぎて・・・
私は今も空が好きで飛行機だけでなくお月様や星を
眺めています。
今夜は更待月
雲が広がって来ました。
ではこのへんで
お体に気をつけて良い週末をお過ごし下さい。