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孝明天皇は日米修好通商条約反対で
開国勅許は与えぬとした
が、
尊皇の志士
が開国派で
開国希望の幕府を倒幕
した。
「実際面に君臨する幕府」は幕府で
「宗教面に君臨する天皇の威光」を
対外的(アメリカ)にも誇示し
文武(幕府&朝廷)
両道の調印
を誇張したかった。
この日本の世界に類の視無い特異な
「二人主権統治体制」を看破した
のが
「ペリ–提督」であり
「日本遠征記」に
1856年から誌され世界へ曝され「世界戦争において日本の弱点とされて標的」となる。
かくして 原爆投下地も沖縄地上戦も
二人主権の天皇によって
確定された。 天皇による沖縄戦/原爆投下決定の世界戦争で
日本勝利目指し戦った首相東条英機。
今昔幕末のまま!メチャクチャでござります。
東京新聞 2016.5.7
下↓へ、抜粋しました。
これまで朝廷など無視して幕命を出してきた幕府が
天皇の了解を得てから事を進めるよぅになったのは
水戸の御隠居;徳川斉昭発案の
毀水鐘鋳砲(
軍事力充実の趣意。諸国の寺院の梵鐘を大砲小銃に鋳かえる)
を
朝命を拝したといぅ体裁を取って発令して以来のこと。
このとき幕府は、朝廷の権威に頼って
無理な政策を実行しよぅとしたのだった。
(結果は失敗)
といぅのにまたしても、
朝威にすがって条約締結は後武
(朝廷と幕府)双方の意志による
と見せよぅとしたために、
にわかに朝廷は幕府と拮抗し得る権力と化した。
幕府に対し、朝権が成立したのだ。
☝
これが日本の伝統的な「宗教面を担う天皇」と
「実際面を担う将軍/首相」の
「ともに責任を取らない統治法」であり
「国内で元首を獲り合ぅ二人主権」の実態。
大政奉還した15代将軍徳川慶喜(両者同一)
孝明天皇は、和親条約も通商条約(開国)も
「夷人の願い通りとなっては恥」、
「勅許は与えぬ」としていたにも拘らず、
開国して兵器武具を輸入開発したい薩長藩
尊皇論+攘夷論(
外国を撃退して鎖国を通そうとする排外思想)」者が開国派幕府に対する、
倒幕運動とは
いったい何だったのか?
アーカイブ調査作家鬼塚英昭著「原爆の秘密/国外篇p.223」 【日本計画】 1945年3月19日
日本占領を達成するための戦略プラン
〔方針四〕
日本軍首脳部に対する神経戦の強化 会議.査閲.危機などに際して日本人がどのよぅに
動くかを周到に観察した結果は
必然的に1つの結果に到達する。
即ち
日本人が個人として重大な決断を下す責任は取ろ
うとしないものでありまた取ることができず、
自分独りが責任を負うのではないといぅことが
長ぃ議論の繰返しによって明らかにならなければ
そぅしないことである。
外見上は正反対に見えるが、
この各個人の持っている劣等観こそ全面的に利用
すべき日本人の弱点である。
治外法権の神懸かりをまとぅ「皇居エリアは他国.」
だからそこには「別の法律がある」
天皇が、国家の最終意志決定した結果、
歴史的に良いことはない。
しかし歴史的に
日本の首相ひとりが判断決定したことがない。
最終的に「天皇の任命他天皇の認証を必要」
として来た為「首相は独立した行動がとれない」
(マザーコンプレックスの坊やである)
これを物怪の幸いにしたどこのウマノホネであっても天皇
即位者は「神の地位の完全化」を奸して来た。
日本の歴史とは
二人三脚ヤタガラス二人主権天皇vs首相.政府が
実は永遠の開戦中なのである。
が、絶対にお互いを離そぅとはしないのである。歴史的、環境遺伝子である。 国際感覚などないのは当然のこと、戦争屋に狙われるのも至極当然のこと。
首相と天皇は「いかに利用し合ぃ元首の現場を勝ち獲るか」これしかない。
これで「幕末〜今日まで」を漸く理解できた。
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