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祝福
死は祝福である
年老いて自分のことが自分でできなくなったら
長い闘病生活で意識もうすらいできたら
死は祝福と言っていい
この世とのお別れである
この世でのおつとめがようやく終わったことになる
死は家族や友人との別れで悲しいことではあるが
この世で十分に生き切ったと言えるのなら
死はまさしく天に召され祝福と言えよう
命を長引かせることが生命ではない
死に急ぐことも生命ではない
また体が半ば死に向かっているのに
人工的処置することはしごきであり酷いことでもある
だから私は枯れるような自然死を望んでいる
犬や猫でも寿命が尽きようとしているときには
気配で分かる波動が弱々しく発している
そのことを気づいてあげて別れを惜しんだらいい
この世で精一杯に生きた
汗も涙も怒りも発した
喜びも裏切りも地獄にも突き落とされた
でも歯を食いしばってこらえてきた
死はその集大成である
静かに静かに見送ってあげたい
死は祝福である
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私も、この世に生き、やがて自然に枯れるように生きてゆきたいです。
自分は循環の中にあるというように。
これって、あきらめとかではなく、ここに人間の条件があると思うのです。人間は死ぬしかない存在なのですから。
始皇帝はあれほどの権力を持ち、不老不死を求めましたが、それは実現しませんでした。
自分の死を待望するつもりはありませんが、死を念頭に生きるということ自体に、人の力を最も高めるなにかがあると思うのです。
たしか日蓮も、自分の死を念頭に置いて学問をなせと言っていた記憶があります。
その通りだと思うのです。
[ RainDrop ]
2019/7/31(水) 午後 5:23
> RainDropさん
共感していただいてありがとうございます。
となりの隣のおばあちゃんが独り身で亡くなった時に、ふと湧いてきた言葉で以前からの私自身の死生観と抱き合わせたことばになりました。
死生観は、今の時代一人ひとり皆違います。
ただ、死というものを忌み嫌うものではなく、むしろその逆のこころよく受け入れたらという気持ちがふだんからあって、詩という形で結実しました。
恐らく時代は、死を忌みきらうのではなく、むしろこころよく受け入れ祝福する方向へと傾いていくと思います。
いじめとか、虐待とか、殺傷事件は論外です。
[ yokonokai7 ]
2019/8/1(木) 午前 0:34