明日の午後8時から放送の『 BACK TO THE 80's ( エフエムかしま )』。
テーマは「アンドレ・カンドレ(*☆):井上陽水(あきみ)、デビュー50周年」ということで、その回のオープニングはこの曲で。
そして、再放送ですが、鹿嶋市議会の生中継のため、9月6日(金)の午後3時から(いつもは午後2時から)になります。
また、「井上陽水(ようすい)」としてのデビューは1972年の「人生が二度あれば」なのです…
※「アンドレ・カンドレ」→「井上アキミ」→「井上陽水」へ...
1971年、ポリドール・レコードのディレクター多賀英典に誘われて移籍し、初のアルバム『断絶』のレコーディングを始める。このアルバムの製作開始に合わせて名前を変えることになり、マネジメントの指揮を執った奥田義行が本名を聞くと「井上アキミ」というので、どんな字かと思ったら「陽水-ようすい」と書くという。
奥田は吉田拓郎を意識し「拓郎がその二文字で若者にインパクトを与えている。だったら下の名前の「陽水」の2文字で対抗、強調していこう」と戦略を立てた。 翌1972年、芸名を井上陽水(ようすい)と改め、シングル「人生が二度あれば」で再デビューを果たす。
「人生が二度あれば」を編曲した星勝は、以後しばらく、陽水の作品の大部分を編曲することになる。5月に「傘がない」が収録されたアルバム『断絶』がリリースされた。
*1969年4月に、RKB毎日放送で、ラジオ番組「スマッシュ!!11」が放送開始するのですが、この番組には、視聴者が作った音楽を流すコーナーがあり、井上さんは、自作曲「カンドレ・マンドレ」を、自宅録音(テープレコーダーを二つ使った多重録音の擬似弾き語り)して、4月16日にRKBに持ち込むと、見事採用されます。(この時、井上さんは、芸名を「マンドレ」と考えていたのですが、ディレクターの野見山実さんによって、「アンドレ・カンドレ」に変えられています。)
すると、「カンドレ・マンドレ」は番組内で放送され、数多くのリクエストを受けることに。(ただ、後に井上さんが、「友人にリクエストのはがき百枚配った」とおっしゃっていることから、リクエストの大半は、井上さんが友人(主に浪人仲間)にハガキを配って、リクエストを出すよう依頼したものだったようです。)
☆芸名「アンドレ・カンドレ」でデビュー
そして、放送後、RKBのスタッフからホリプロを紹介され、
同年6月、レコーディングのため上京することになると、井上さんは、お父さんには「東京で勉強して大学入学を目指す。」と伝え、上京。同年9月1日には、芸名「アンドレ・カンドレ」として、楽曲「カンドレ・マンドレ」でデビューを果されたのでした。
☆「カンドレ・マンドレ」
ただ、ほとんど注目されないまま、(井上さん本人は、「大ヒット間違いなし!」と確信されていたそうです)、続く、同年12月には、「ビューティフル・ワンダフル・バーズ」、1970年10月には、「花にさえ、鳥にさえ」(松山猛さんと加藤和彦さんから楽曲提供)をリリースするも、これまた、鳴かず飛ばず。
こうして、「アンドレ・カンドレ」としての活動は、シングル3枚で終わることとなったのでした。