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副審がフラッグを上げなかった(ノー・ゴール)→抗議→主審と協議しゴールに…これ、おかしいですね。 そして、これは「J…リプレイ」の対象に?
*混乱を生んだC大阪×川崎戦のゴール判定。C大阪の猛抗議で覆ったジャッジに川崎側の声は? 9/2(月) 6:30配信 、SOCCER DIGEST Web 確かにボールはゴールラインを割っていたが… [J125節]C大阪2-1川崎/9月1日/長居 映像で見返せば確かにボールはゴールラインを割っていた。C大阪と川崎が対戦した一戦、開始2分に混乱を呼ぶシーンが起こった。 C大阪のCKの場面、左から藤田直之が入れた低いボールにマテイ・ヨニッチがヘッドで合わせ、川崎のGKチョン・ソンリョンがセーブ。こぼれ球を瀬古歩夢が詰めると、咄嗟にチョン・ソンリョンはボールを掻き出し、副審はフラッグを上げずにプレーは流された。 もっともプレーが切れたところでC大阪の選手たちが猛抗議。当の瀬古が「入っていました」と自信を持って振り返ったように、C大阪陣営はゴールを審判団に主張したのだ。 すると主審と副審はピッチサイドで協議。 結果的にゴールが認められるのだが、今度は判定が覆ったことに川崎の選手たちが抗議。 ただその主張は認められずに、ゲームは進行。13分に阿部浩之のゴールで川崎が追いついたが、54分に鈴木孝司の移籍後初得点で勝ち越したC大阪が勝利を掴んだ。 試合後、やや複雑な表情を浮かべたのは川崎の選手たちだ。 ボールがゴールラインを割った点には理解を示しつつ、審判団がどのようにジャッジを下したのかが不明だった点には、釈然としない想いがあったようだ。 鬼木達監督は「試合中に直接レフェリーとは話せなかったので、終わってからなぜ判定が変わったのか訊きましたが、なかなか答えが返ってこなかったです」と語り、キャプテンの小林も「自分たちがそういう形にしてしまった責任ですし、審判を責められる判定ではなかったと思います」と振り返りつつ、「ラインズマンは最初は認めず、その後、主審とラインズマンのやり取りでなにがあったのかは分かりませんでした」と語る。 また中村も「誰が判断したのかというところだと思います。最初はスローイン(で再開)という話にはなっていました。ただその瞬間でイエスかノーをつけないといけなかったので、仕方はなかったと思います。僕らはその後、しっかり追い付いたわけで、後半早々に失点したのがもったいなかった」と説明。 結果的には誤審というわけではなかったが、主審と副審の間でどのような話し合いがもたれてゴールが認められたのか、そこが曖昧だったのは事実だ。 |
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『 BACK TO THE 80's ( エフエムかしま )』では ” この声にしびれた ” 特集を6週(9月16日〜10月21日)にわたって
①カルメン・マキ:9月16日 ②ジャニス・ジョプリン:9月23日 ③りりィ:9月30日 ここまでの3週はバンドを活かすボーカルと、ボーカルを活かすバンドについてで... ④テレサ・テン:10月7日 ⑤カレン・カーペンター10月14日 ⑥エルトン・ジョン:10月21日 ここまでの3週は、まさに ” この声にしびれた ” に… また、カルメン・マキの前には ・井上陽水(いのうえ・あきみ)デビュー50周年:9月2日 ・リフレクションズ(パラシュート・サウンド):9月9日 をお送りしますので ” この声にしびれた ” は8週にわたってということに |

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明日の午後8時から放送の『 BACK TO THE 80's ( エフエムかしま )』。
テーマは「アンドレ・カンドレ(*☆):井上陽水(あきみ)、デビュー50周年」ということで、その回のオープニングはこの曲で。 そして、再放送ですが、鹿嶋市議会の生中継のため、9月6日(金)の午後3時から(いつもは午後2時から)になります。 また、「井上陽水(ようすい)」としてのデビューは1972年の「人生が二度あれば」なのです… ※「アンドレ・カンドレ」→「井上アキミ」→「井上陽水」へ... 1971年、ポリドール・レコードのディレクター多賀英典に誘われて移籍し、初のアルバム『断絶』のレコーディングを始める。このアルバムの製作開始に合わせて名前を変えることになり、マネジメントの指揮を執った奥田義行が本名を聞くと「井上アキミ」というので、どんな字かと思ったら「陽水-ようすい」と書くという。 奥田は吉田拓郎を意識し「拓郎がその二文字で若者にインパクトを与えている。だったら下の名前の「陽水」の2文字で対抗、強調していこう」と戦略を立てた。 翌1972年、芸名を井上陽水(ようすい)と改め、シングル「人生が二度あれば」で再デビューを果たす。 「人生が二度あれば」を編曲した星勝は、以後しばらく、陽水の作品の大部分を編曲することになる。5月に「傘がない」が収録されたアルバム『断絶』がリリースされた。 *1969年4月に、RKB毎日放送で、ラジオ番組「スマッシュ!!11」が放送開始するのですが、この番組には、視聴者が作った音楽を流すコーナーがあり、井上さんは、自作曲「カンドレ・マンドレ」を、自宅録音(テープレコーダーを二つ使った多重録音の擬似弾き語り)して、4月16日にRKBに持ち込むと、見事採用されます。(この時、井上さんは、芸名を「マンドレ」と考えていたのですが、ディレクターの野見山実さんによって、「アンドレ・カンドレ」に変えられています。)
すると、「カンドレ・マンドレ」は番組内で放送され、数多くのリクエストを受けることに。(ただ、後に井上さんが、「友人にリクエストのはがき百枚配った」とおっしゃっていることから、リクエストの大半は、井上さんが友人(主に浪人仲間)にハガキを配って、リクエストを出すよう依頼したものだったようです。) ☆芸名「アンドレ・カンドレ」でデビュー そして、放送後、RKBのスタッフからホリプロを紹介され、 同年6月、レコーディングのため上京することになると、井上さんは、お父さんには「東京で勉強して大学入学を目指す。」と伝え、上京。同年9月1日には、芸名「アンドレ・カンドレ」として、楽曲「カンドレ・マンドレ」でデビューを果されたのでした。 ☆「カンドレ・マンドレ」 ただ、ほとんど注目されないまま、(井上さん本人は、「大ヒット間違いなし!」と確信されていたそうです)、続く、同年12月には、「ビューティフル・ワンダフル・バーズ」、1970年10月には、「花にさえ、鳥にさえ」(松山猛さんと加藤和彦さんから楽曲提供)をリリースするも、これまた、鳴かず飛ばず。 こうして、「アンドレ・カンドレ」としての活動は、シングル3枚で終わることとなったのでした。 |

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『 BACK TO THE 80's ( エフエムかしま )』
明日の収録は「この声にしびれた③りりィ」です。 |

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神栖総合公園サッカー場へ(茨城県サッカー協会、社会人一部リーグの試合の動画録り)行ってきました。
試合開始は午前10時で、会順に着いたのは9時15分。 それから撮影の準備(三脚にカメラをセット)をして、試合(45分ハーフ)終わり〜片付けまでで、会場に約3時間。
そして、その間は立ちっぱなしだったので、人工(グランドは人工芝)は足に来ました。 私は天然芝大好きなので人工芝はきついし、プレーヤーはスライディングするたび火傷に… |
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