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「遠投90メートル超を誇る強肩」という記事がありましたが、それは強肩ではないですね。
私でも20歳代でセンターの定位置からバックネットへ直に当てていましたので、「強肩」と書くのなら「100メートル超え」と書かないと。
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散歩
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大好きです。
7月25日 56年前の1959年7月25日 チェ・ゲバラが広島原爆慰霊碑に献花した日である 池田勇人通産相(当時)と会見した後、千鳥ヶ淵戦没者墓苑へ訪問と献花の予定であったが
・・・ ゲバラは「私は行かない、数百万のアジア人を殺した帝国主義の軍隊じゃないか。 私は絶対に行かない。行き たいのは広島だ。 広島はアメリカが10万人の広島の一般市民を殺した場所だ」と言い 日本政府を慌てさせる。 しかし日本政府はアメリカを恐れて広島の正式訪問を認めない
しかし、ゲバラは広島行きを決行したのである
ゲバラの広島行きについて
①外務省記録 ②随行した日本の新聞記者の記録 ③同行した副官のフェルナンデスの日記 それぞれ少し違っているが、副官フェルナンデスの日記に従い書くことにする。 7月23日愛知県 トヨタ工場見学
7月24日大阪での歓迎パーティー出席 パーティー終了後、ゲバラは大阪と広島がそれほど遠くない事を知り、僕らには48時間しかない日本政府には言わずに広島ににいこうと言い出す。
使節団の半分を大阪に残し、ゲバラたち3人は極秘に自分達で乗車券を買い、夜行列車で広島行きを強行する。
広島に着いたゲバラは1500円の献花用の花を買う
今で言えば2万ぐらいだろうか? フェルナンデスは倹約家のゲバラの高額な出費に驚いている。 ゲバラは1時間以上も見学し、「原爆資料館で見たものはただ恐ろしいものばかりだった」と大きな衝撃を受け、「今日からは広島と広島の人を愛していこう」
という言葉を残す。 そして「アメリカが犯した罪、引き起こした惨劇を世界の人が見るべきだ」というメッセージをカストロをはじめキューバ国民に発する」。
そして、日本に対して『君たち日本人はアメリカにこれほど残虐な目にあわされて
腹がたたないのか』と問いかけた 私はアメリカはあの時から何も変わってないと思う・・・
1959年7月25日にチェ・ゲバラが妻に送った手紙
愛する君へ
今日は原爆が投下された広島から、この手紙を送ります。 慰霊台には7万8千名もの死者の名が刻まれ、被害者は全体で18万名に上ると推定されます。 この地を訪れることは平和のための戦いにおいて糧となります。 愛を込めて
チェ。 PS
アメリカは戦後、原子爆弾を投下したことについて謝罪していない また日本政府が謝罪を要求したこともない。 アメリカは「原爆投下は戦争を早く終わらせる為に必要であった」と言うが、それは言い訳にすぎない
アメリカ陸軍省諜報部による1946年の最高機密調査では「日本の降伏に原爆はほとんど関係がなかった」と結論が出されている。
原爆投下はソ連に対してアメリカが強力な科学兵器(原子爆弾)を
保有している・・・デモンストレーションだったのである。 また原爆が武器としてどれ程の威力が有るのか?
広島と長崎で実験したのに過ぎない。
もし日本に本当の右翼が在るならばアメリカに対してキッチリ謝罪を求めるのが
スジである。 ・・・ そに点においては私は右翼である。 |


