季節の記録

家のまわりの自然の移り変わり

歌で綴る来し方

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52.ブラジルの想い出・・・・・「コンドルは飛んで行く」
      1978年、昭和53年のこと、ブラジルの国営製鉄所の建設に関してブラジルに長期出張することになった。3年間の予定であったがブラジルの経済状況の影響でプロジェクトは中断され、結局約1年で帰国することになった。
ブラジル人は非常に親日的であり、この点では仕事面でも生活面でも大変助かったが、、、
市内には中国人が経営する中国料理店が2軒、日本人の経営する日本料理店が一軒あり、
仲間との懇親会などでよく利用した。
工事はまだほとんど進んでいなくて、のんびりしていたので、週末などを利用してブラジル各地を旅行して回った。
圧巻はブラジルとパラグアイ、アルゼンチンの国境にあるイグアスの滝であった。ナイアガラの滝に匹敵すると言われるこの滝の迫力は凄いものがあった。
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そんな旅行の中で残念だったのは、帰国に当たって帰路ペルーに立ち寄り、アンデス山中のインカ帝国の遺跡マチュピチュ遺跡を訪れることにしていたが直前になって旅行社のトラブルで行けなくなってしまったことである。
ペルーの有名な曲、「コンドルは飛んで行く」を聞くたびに、機会を失したこのペルー旅行の残念さを
感ずることである。
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51.母とのイタリア観光の想い出・・・・・「サンタルチア」
    イタリアに勤務中にイタリアを訪れた妻と彼女の母との三人でイタリア観光中、ナポリのサンタルチア海岸近くの丘の上のレストランで昼食をとった。
当時、会社では外国勤務の場合本人は年に一度一時帰国が認められたが、本人が一時帰国しない場合は、配偶者が当地を訪れることが認められていた。
天気が良く見晴らしも良く、遠くにヴェスビオス火山を望み、眼下に広がるサンタルチア海岸が美しかった。母とは、ローマ、ナポリ、ポンペイ、からフランスのパリと観光して回った。
対岸のカプリの町の灯を背景に、海岸に黒々とそびえる古城(卵城)が浮かぶ夜の
サンタルチア海岸も素晴らしかったが、小高い丘の上のレストランから見下ろす
サンタリチア海岸も素晴らしかった。
夕食に立ち寄ったナポリの街のレストランで、少しアルコールが入った(?)観光客(?)の一人がサンタルチアの歌を朗々と歌っていた。
義母の思い出の一つでもある。

 ♪、♪  月は高く 海に照り 風も絶え 波もなし
      月は高く 海に照り 風も絶え 波もなし
       来よや友よ 船は待てり サンタ ルチア サンタ ルチア、、、、♪、♪






50.イタリア・シシリー島の想い出・・・・・「愛のテーマ」
     会社に勤務中、イタリアで3年ほど勤務する機会があった。イタリアには無数の古代遺跡があり、あちこちを旅行してそれらの遺跡を見学する機会があったが特にシシリー島には多くの遺跡があり何回かこの島を訪れた。
  シシリー島の
   アグリジェント遺跡
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ギリシア時代の数学者アルキメデスがローマとカルタゴの戦いに巻き込まれて彼の研究室でローマ兵に殺されたシラクサの街はこのシシリー島の東部海岸にある。
シシリー島が知られているもう一つの面がマフィアである。アル・カポネなどイタリア・マフィアが産まれたのがこの島である。
シシリー島西北部のこの島の首都パレルモの郊外にこの”マフィアの村”があった。観光の途中、この「村」の近くを通ったが、何の変哲も無い小さな村であった。
ここのマフィアの首領アル・カポネをテーマに作られた映画が「ゴッド・ファーザー」、
その主題歌が「愛のテーマ」であった。
マフィアに似合わない優しい曲名、「愛のテーマ」、その不気味な旋律が今でも
心に残る。
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我々がイタリアでの勤務が始まった頃、ローマからマフィアにたいして厳しい取り
締まりをすると期待されていた若い優秀な判事が、パレルモに知事として赴任した直後、何者かによって夫妻共に殺害されるという血なまぐさい事件が起きたことも衝撃的であった。






     退職して長野に帰ってこの地の生活をはじめ、その中で地域のスポーツジムで
の運動も始めた。そこでのメニューの一つに太極拳があった。先生は中国人の
女性であった。
彼女は日本人と結婚し、この地に住んでいたが、中国のお母さんが病気で帰国したので太極拳のレッスンは中断し、他の先生に代わることになった。
太極拳は本来は太極拳専用の音楽があるのだが、彼女はよく一般の音楽を伴奏に使って指導してくれた。そんな音楽の一つが、アメイジング・グレイスであった。
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  またこのころ、本田美奈子が亡くなる直前まで、よくこの歌をテレビで歌っていたので、彼女の想い出としても強い印象が残っている歌である。
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この曲は後にマンドリンでも演奏することになったので、記憶に残る曲となった。
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48.雪山賛歌
  57歳で、実家の父の状況から早期退職し、長野の実家に戻った。
  長野は温泉が多いこともあって、あちこちの日帰り温泉なども楽しんだが、子供の頃からの想い出
の深いのが、鹿沢温泉の一軒宿である紅葉館。
  今は、道路も整備されて車で峠を越えることが出来るが、当時は細い、曲がりくねった登山道を歩いて登るしかなく、朝、家を出て烏帽子岳の麓の峠を越えて山道を登り、夕方に旅館に着いた。
  ここは今も昔も山を愛する山男たちが「雪よ岩よ我等が宿り」と口ずさむ「雪山讃歌」  の発祥の宿。大正十五年に京大山岳部部員たちが、スキー合宿に訪れましたが、吹雪  で閉じこめられ、その時、部員だった西堀栄三郎氏らが、退屈しのぎに作詞した歌が  この歌。
       ♪、♪、雪よ 山よ 我らが宿り
           俺たちゃ 街には 住めないからに、、、♪、♪
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  家の北側の標高2066mの死火山、烏帽子岳の北、群馬県の山間の古い温泉、ここは子供の頃
からよく行った温泉で、昔から宿は一軒しかないが、今はこの温泉宿の少し下ったところに国民休暇
村ができて、よく出かけるようになった。
 退職した翌年に、千葉から会社の同僚だった多田君夫妻が我が家を訪れてくれて、夫妻をこの
国民休暇村に案内したこともあった。
社宅で同じ階段の山崎君夫妻もここに案内し、一緒に一泊したこともあった。
このころ、千葉の会社で同じ仕事をしていた沢山の友人たちが我が家を訪れてくれ、あちこちを案内した。

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