季節の記録

家のまわりの自然の移り変わり

イタリアの想い出

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51..帰国の途について(エジプト)        
4月から始めたこのシリーズはこれで最後の記事になりました。長い間読んで頂きありがとうございました。
3年半のイタリアでの業務を終えて帰国することになり、タラントで業務終了の式を終えた後、隣の工場の担当のK君、通訳のS子さんの三人でスペインのマドリード、エジプトのカイロを経て成田に無事帰国しました。

今から6000年前に栄えたピラミッドの國、エジプト。
まずは有名なギザのピラミッドである。タクシーを雇って行くと砂漠の中に二つの大きなピラミッドが現れた。近くによるとそれは滑らかな四角錐ではなく、巨大な石を積み上げた岩山であった。
完成時にはあった表面を覆っていた大理石の表皮が剥脱してしまったためである。
その岩山の下辺に小さな入り口があり、これがピラミッドへの入り口になっている。しかしこれは正規の入り口ではなく後世に盗賊が開けた入り口であるという。
ここから中に入り狭い石で囲った曲がりくねった通路を通り、急な石の階段を登り息がきれたころようやく王の棺の納められた部屋についた。
ピラミッドの南側には砂漠の中にかなり風化されたスフィンクスが座っている。
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昼からはその他のピラミッド、サッカラのピラミッド、メンフィスのスフィンクス、などを見学した。砂漠の中にこんなに沢山のいろいろな形のピラミッドがあるのはおどろきであった。
メンフィスで土地の民族衣装を買って、、、、、、、。
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夜は砂漠の中の大きな天幕の中に設置されたキャバレーでベリーダンスのショウを見て夜遅くホテルに帰った。
翌日の朝、カイロ空港を発って一路成田に向かった。
3年半に及んだ長期イタリア出張の終わりであった。

50..タラントのゴルフ場               
ホテルから車で約30分ほど行ったタラントの郊外にゴルフクラブがあり、休日にはよくマイクロバスをチャーターして皆で出かけたものであった。
当時日本では一日2万円近くしたものであるが、ここではタクシー代を含めても日本円にして2〜3千円で日本の9〜10分の一程度の料金でゴルフが出来た。
日本やアメリカのようなデラックスなクラブハウスがあるでなく、簡単な着替えが出来るロッカールームと簡単な食事を提供してくれる小さなレストランがあるだけの簡単なクラブハウスでキャディもなくセルフでバッグをかついで回るという気楽なコースであったが結構楽しんだものであった。
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長期間の外国出張で単身者の多いグループにとっては格好のレジャー施設であった。
コースも9ホールだけのものであったがいちおうゴルフコースの体をなしており、それなりに難易度の高いホールもあり、楽しめた。
プレイのあと、レストランの中庭で飲むローカルワインもなかなかのものであった。
娯楽の少ない外国出張のなかでの重要な娯楽施設であった。
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49. M氏宅に招かれて       
滞在中はいろいろなイタリアの友人達から夕食やパーティの招待を受けることが多かった。レストランでの会社の仲間同士の懇親会とはまた違って各家庭での奥さんの家庭料理でのおもてなしもまた格別であった。
ある日のこと、カウンターパートナーのM氏のお宅の夕食に招かれた。
ホテルの近くのゴールデン通りのマンションの一室であったが、丁度ローマ大学に在学中の二人のお嬢さんも帰省中で奥様のお手料理で暖かい歓待を頂いた。
今はこのお嬢さんたちも可愛い子供をもうけ、やさしいお母さんになっていることだろう。
M氏とは帰国後も毎年クリスマスカードの交換が続いていたが、残念なことに数年前に亡くなられてしまった。
情熱的な工場長で親日家でもありわれわれ日本人の仕事に理解を示し完璧に協力、バックアップしてくれた。 3年半のイタリア滞在の思い出の中心の人物である。
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48..懇親パーティ                 
イタリア側と日本側との懇親会は幹部レベルや仲間レベルなどいろいろな形で行われた。
大体が招待の形を取るので、一方が一度やると招待された方がそのお返しのパーティを計画するということで自然と回数が多くなるわけである。
イタリア側が招待するときは市内のレストランが多く、日本側が招待するときはホテルのレストランが多かった。イタリア人とのパーティで苦戦するのは出てくる料理の多さと時間の長いことである。
フルコースとなると4時間くらいの間、食前酒に始まってアンチパストからワインが出て、プリモ(パスタ、リゾットなど穀類料理が普通であり2種類、3種類となることが多かった)、セコンド(メインディッシュで肉類または魚介類が普通であった)、野菜類、フルーツ、菓子、ジェラートとつぎつぎと料理が出てくる。パーティの開始時間は普通夕方の8時が標準であり、終わるのが12時が普通のパターンであり場が盛り上がると夜中の1時2時になることも多く翌日結構きつい思いをすることも多かった。
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.滞在したホテルの部屋            
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我々が滞在したホテルHOTEL DELHINOはタラント市の海岸通りに面して建てられたホテルであった。
私の部屋は最上階の6階で結構広いバストイレ付きのツインの部屋があてられた。部屋の調度品といえば、ベッドの他は小さな机と二つのソファー?だけであった。
仲間達との打ち合わせなどに使うテーブルはなかったので赴任した時の荷物の木箱をテーブルにしていた。
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ホテルは海岸に沿って建てられていたので、窓からは南側に静かな内海(マーレピッコロ)
が見下ろされ、近くには小さな漁港があり朝早くからここで漁ををする漁船の姿が見下ろされた。
夕暮れには真っ赤に燃えるような夕日と対岸の製鉄所に輝く灯光が美しく見えた。
殺風景な部屋なので、街で小さなテレビを買ったり花を買ったりして少しずつ飾り立てていた。毎日メイドがベッドメーキングや部屋の掃除をしてくれるので、休みの日などは彼女たちを相手にしてのイタリア語の勉強にかなり役立った。

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