季節の記録

家のまわりの自然の移り変わり

地域の古寺

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はぎの寺・・・・津金寺(つがねじ)
 美ヶ原高原の北、千曲川との中間あたり、旧中山道芦田宿の北西300mあたりに萩の寺として知られる津金寺がある。
 今の時期には境内に無数に植えられている白やピンクの萩が咲き乱れている。
 近くには日帰り温泉施設、「権現の湯」があり、我が家でもお気に入りでよく出かける温泉である。
                        
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 この寺は、702年、大和薬師寺の僧、行基により聖観音を本尊として開かれた。それ以後、信濃の国の地方学問所として今日に至っている。
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建物は天正10年に織田信長の戦火にみまわれ全山ことごとく灰燼に帰してしまったが江戸時代に入ってようやく復興にきざしが見え、今日の建造物が次第に建立された。
観音堂の前の楓はもう紅葉が始まっていた。

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また裏山には広い区域にカタクリの群生地があり、広い斜面にカタクリが咲き乱れる景観を楽しむことができる。4月にはカタクリ祭りが行われ、阿弥陀堂では献茶が行われる。
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興善寺・・・真田幸村一族の本家、海野氏の菩提寺

 我が家から2kmほどのところにある、この地区の重要なお寺の一つである。  
来年のNHKの大河ドラマ「真田丸」にもひょっとしたら登場するのではないだろうか、、、、。
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近くには江戸から越後に通ずる旧北國街道の宿場町、「海野宿」が保存されている。
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北国街道は江戸幕府によって整備された脇街道で、追分で中山道と分かれ、善光寺を経て直江津で北陸道に合流する。

興善寺は16世紀当時この地の豪族で真田一族の本家でもある海野氏の海野幸明の開基により1506年に創設された曹洞宗(禅宗)の寺であり、釈迦牟尼仏像を本尊としている。
今でも海野氏の菩提寺として伝えられているが、海野氏は天文10年(1514年)武田信玄との戦いに二十八代海野小太郎幸義公(真田幸隆の兄)が破れ、ここに海野家は滅亡した。
現在はこの地区の重要な寺として地区の人たちの多くがこの寺の檀家として墓を持っている。今は亡き私の母の実家もここの檀家である。
残念なことにこの寺は1686年、1764年、近くは1871年と3回の大火にあい、その建物の他多くの重要文献、寺宝とうを消失してしまった。
今の山門は平成3年に再建されたものである。
普段は訪れる人もなく、静かな本堂と樹齢4百年という百日紅を抱えるゆったりとした前庭を見ることが出来るが、特に壮大な山門が印象的である。
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(3)鹿教湯温泉の文殊堂

  美ヶ原高原の北麓の鹿教湯(かけゆ)温泉の町はずれにあり、行基の弟子園行が創立したものと伝えられています。現在は天竜寺(曹洞宗)に属しています。
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お堂は元禄14年(1701)に着工し、宝永6年(1709)に完成したことのほか、大工棟梁が諏訪郡下之原村(現下諏訪町)・牛山平左衛門であったことなどがわかります。
江戸時代中期、すなわち元禄時代の仏堂の作風が明らかな、県内でも数少ない貴重な建物とされています。

この温泉は我が家も好きで、車で40分くらいのところにあり、よく一泊で出かけるのですが、、、、、、
鹿教湯温泉の由来
昔、猟師が一匹の鹿を打ちそこない、山深く入って見つけたところ、傷を負った鹿がいたので矢を向けると逃げてしまいました。不思議に思って、そこへ行ってみると温泉が湧いていました。
この湯が傷にきいたのだと思っていると、急に文殊菩薩が空から獅子に乗ってあらわれ「よいかな、汝、日頃信仰が深いので、この霊泉を広く世の人のために知らせんがために、鹿に化けてあなたをここに連れて来た」とお告げになられました。
鹿が教えてくれたということから「鹿教湯」または「文殊の湯」と呼ばれてきました。

お堂の周りは秋には紅葉が美しく、境内では野点席が設けられ、参拝客にお抹茶がサービスされます。
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また冬には、1月いっぱい(だったかな?)毎晩、街の商工会の皆さんが作った氷灯籠が参道に並べられ夕刻から商工会のメンバーや訪れた湯治客によって蝋燭に火が入れられて幻想的な光景が繰り広げられます。
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浄楽寺のお寺フェスタ

上田市の市街地の中心を少し外れた一角にお寺が数軒建ち並んでいる地区があります。
その中の一軒がこの浄土真宗本願寺派淨楽寺です。
今日、この淨楽寺で上田市仏教会の青年僧の皆さんによる第3回目の宗派を超えてお寺を開放する「お寺フェスティバル」が行われました。
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お寺では、写経、写仏などの体験や本堂では座禅体験などが行われていました。
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私も座禅体験に参加しましたが、わずか15分ほどの座禅でしたが、結跏趺坐の座禅には恥ずかしながらすっかり足がしびれてしまって、、、、、(涙、涙、、)
でも静かな本堂で音一つない世界で、雑念にとらわれながらも、静寂な一時を味わってきました。
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また、境内では夕方から護摩祈祷が行われる準備がされており、精進料理も夕方からサービスされるそうです。
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以前、勤めていたころ勤務地の関係で、5年ほど大阪に住む機会があり、この時に特に奈良平安時代に建てられた奈良、飛鳥、京都の古寺をたくさん訪ね歩きましたが、それは観光の場所という以上に癒しを求めての場所でもありました。
しかし、永年の勤務を終え、この地に引退してからはそのような古寺を訪ねるということは絶えてなくなりました。
しかし、気が付けばこの地にもたくさんのお寺があり、歴史的にも繋がりのある、例えば真田幸村一族の菩提寺とかこの地の豪族であった海野氏の菩提寺、鎌倉時代に鎌倉幕府から派遣された地方官たちが作った信州の小鎌倉といわれる別所盆地の諸寺,、また萩の花で知られる「萩寺」などの他、地元の人しか知らない小さなお寺の中に歴史的にも由緒あるお寺がたくさんあることに思い当りました。
そんなことで、この近くの車で1時間以内くらいに存在するお寺を時間を見つけて訪ねてみようかと思い立ちました。

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まず最初は、今まで何回もお茶会の記事で紹介しました、合併以前の真田町にある真田幸村一族の菩提寺の真田山 種月院 長谷寺 (曹洞宗)(「ちょうこくじ」と読みます。)です。
上の画像は長谷寺のシンボルともいえる山門です。一風変わったアーチ型の門で、アーチ頂上部には六文銭が彫られております。                     

  天文16年(1547)に真田幸隆公が領地回復の時に上州(群馬県安中市上後関)の長源寺より「伝為晃運和尚」を招き、一宇を建立して「真田山 種月院 長谷寺」と称しましたのが始まりとされています。
 
御本尊様はお釈迦様で、長谷寺創立当初は十一面観音が本尊であったと思われます。
 長谷寺は度重なる火災によりすべてを焼失しており、現在の本堂は昭和53年に再建されたものです。
お寺の裏山には、歴代の真田一族のお墓が残されています。
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↓ 前の記事で紹介しましたように、ここでは毎年春と秋にこの地区で石州流のお茶を習っている方々による「山寺の茶会」が催されます。
特に春の境内のしだれ桜は見事です。
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