蘇る日本! 日本を良くすることができるのは、わたしたち日本人です

素晴らしい国日本の再生を!自主憲法制定、靖国神社参拝、万世一系の皇統(男系天皇)護持を望みます。

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ご報告が遅れましたが、
『正論』(4月号)に拙稿「インドネシアは歴史戦争の同盟国だ」が掲載されました。
学生時代に従軍世代の先生方から学ばせて頂いたこと、そして、ここ数年間何度も自ら現地に足を運んで調査した内容を8000字にぎっしり盛り込みました。
渾身の論文です。
ご高覧賜れれば幸甚です。






本ブログにて筆者がいつも申し上げていることですが、本当に悲しく思うのは、同じ日本人でありながらグローバル化を掲げ、グローバル化の名の下に同胞を売り、貶める行為を堂々と行っている方々を見るにつけ、本当に同じ日本人なのかと考えさせられる時です。この国に生まれ、この国の恩恵によって生かされ、守られている人生の現実を思う時、先人たちの血と涙と汗によって築かれて来た歴史の重さを感じざるを得ません。どれだけ多くの血と汗の犠牲と苦労の上に私たちは今日があるのでしょう。
戦後、我々の祖先が行った大義、道義は隠され、ありもしないことを押しつけられた祖国日本。
我々の祖先、先人に汚名を着せられ、その汚名を雪ぐことなく他国の思惑によって歴史がねじ曲げられ、それらを正論のように振り翳す心ない日本人。
我々日本人はこれでよいのでしょうか?





掲載させていただきました動画の大東亜会議「大東亜共同宣言」も覆い隠された歴史の一つです。極東国際軍事裁判を知っていても大東亜会議「大東亜共同宣言」を知っている日本国民はどれだけいるでしょうか?
正しい日本の近代史を知り、我々の祖先を顕彰し、汚名を雪ぎ、戦前、戦後の連続性を回復し、民族の誇りを取り戻し、世界平和を目指すことではないでしょうか?





「大東亜共同宣言」は、昭和18(1943)年11月6日、つまり大東亜戦争のまっただなかで、日本、支那、タイ、満州、フィリピン、ビルマの6カ国に、自由インド仮政府を加えた実質7カ国の共同声明として出された宣言です。

【大東亜会議共同宣言】
昭和18(1943)年11月6日

(現代語)
世界各国が、民族毎に自分たちの土地を持ち、お互いにたすけあって、ともに国家として発展し、みんなで明るく楽しみをともにするためには、まず世界平和の確立がその根本です。

けれども米英は、自国の繁栄のためには、他国や他の民族を無理矢理押さえつけ、とくに東亜諸国に対しては飽くなき侵略と搾取を行い、東亜諸国の人々を奴隷するという野望をむきだしにし、ついには東亜諸国の安定そのものを覆(くつがえ)そうとしています。
つまり、東亜諸国の戦争の原因は、そこにその本質があるのです。

そこで東亜の各国は、手を取り合って大東亜戦争を戦い抜き、東亜諸国を米英の押さえつけから解放し、その自存自衞をまっとうするために、次の綱領にもとづいて、大東亜を建設して世界の平和の確立に寄与します。

1 東亜諸国は、協同して東亜の安定を確保し、同義に基づく共存共栄の秩序を建設します。
2 東亜諸国は、相互に自主独立を尊重し、互いに助け合い、東亜諸国の親睦を確立します。
3 東亜諸国は、相互にその伝統を尊重し、各民族の創造性を伸ばし、東亜諸国それぞれの文化を高めあいます。
4 東亜諸国は、互いに緊密に連携することで、それぞれの国家の経済の発展を遂げるとともに、東亜諸国の繁栄を推進します。
5 東亜諸国は、世界各国との交流を深め、人種差別を撤廃し、互いによく文化を交流し、すすんで資源を解放して、世界の発展に貢献していきます。

「大東亜共同宣言」がきっかけとなって、翌月、米英支の三か国(中心的役割は米)が共同宣言というカタチで「大東亜共同宣言」に対抗的に出したのが「カイロ宣言」であり、これを受けて作られたのが「ポツタム宣言」で、「大東亜共同宣言」は、歴史上、たいへんに重要な位置を占める重要な宣言なのです。しかし、これほど重要な歴史の一幕も意図的にこの宣言が、歴史から抹消されているのです。
動画をご覧いただいた方々は感じておられると思いますが、参加した諸国の指導者が、この共同宣言に興奮し、大歓喜をしているのが事実です。

しかし戦後、GHQや反日勢力は「日本が侵略戦争を起こした、すべての悪は日本だ」の宣伝、プロパガンダを展開しました。
しかし、歴史の真実は消し去ることはできません。
戦前の日本人が何を考え、どう行動したのかは「大東亜共同宣言」ほ見ればはっきりわかるのです。
わが国が国富の60%までも失い、母体を損ない乍らも、その犠牲のおかげで西洋諸国はアジアより一掃され、わが国によって独立心を植え付けられたアジア諸国はわが国の敗戦後、植民地を再構築しようとした諸国と戦い独立を勝ち取りました。

明治以来、わが国は欧米列強に抗し、アジアでただ一国、白人の支配を受けなかったことを見ても我々の祖先がいかに国を護ったかが窺われます。
日本人が真実に目覚め、史実に向き合う刻がようやくやってきたのだと、筆者は思うのです。


天皇彌榮(すめらぎいやさか)
聖寿万歳





転載元転載元: 美し国(うましくに)

桜よ 〜大好きな日本へ〜
 
 

 
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【歌詞】
 
 
 
 
平成23年(2011)年5月1日、日曜日。
東日本大震災被災者の方に少しでも心が近づけるようにと、インドネシアで日本語を学ぶ学生が、大好きな日本のために歌を作り、その歌を500人のインドネシア人学生たちがのびのびと心をこめて歌いました。
大合唱の会場となったのは、ジャカルタ・ビンタロにある日本人学校の体育館。30を超す大学からの参加でした。
参加者は大合唱メモリーピンバッジを購入(5000ルピア以上)し、売上金は義援金として日本赤十字社に送られました。
都ジャカルタにある20の大学の学生たち90人で構成される日本語ミュージカル劇団en塾。
en塾とは、en(縁)あってめぐり会った学生たちが、目標を年に1回の公演という目標を目指してen(円)となり、半熟からen塾(円熟)を目指すという主旨から名づけられたそうです。
もともと新作ドラマのために3月の初めに作った歌だそうですが、練習開始日の3月11日に東日本大震災があり、後半の歌詞を加えられたそうです。
 
安倍総理が1月18日インドネシア訪問でジャカルタで行う予定でおいでだったスピーチがあります。
「開かれた、海の恵み ―日本外交の新たな5原則―」
残念ながらこのスピーチは、安倍総理がアルジェリアでの邦人拘束事案について直接指揮をとるため、予定を早めて帰国することとなったことによって、行われませんでした。

しかし、スピーチの内容は、日本の公式書面としてインドネシア政府に届けられています。
従って、この書面は、安倍総理が直接スピーチしたものと同じ意味を持つものです。
全文閲覧される方は、首相官邸HPをご覧いただければと思います。URLを記載します。
 
 
en塾に関して安倍総理が触れられています。
以下に関係文を抜粋いたします。
 
III 日本を強くする
 みなさん日本には、世界に対して引き受けるべき崇高な責任があり、なすべき幾多の課題があります。しかしおのれの経済が弱まるなかでは、どんな意欲も実現させることができません。
 わたくしにとって最も大切な課題とは、日本経済をもういちど、力強い成長の道に乗せることであります。
 伸びゆくASEANと結びつき、海という海に向け、自らをもっと開放することは、日本にとって選択の対象となりません。必要にして、欠かすことのできない事業だからであります。
 日本には、資本があります。技術がありますし、社会の高齢化という点で歴史の先端を行く国ならではの、経験も増えてきました。不況が続き、一昨年は、千年に一度の災害に見舞われ、多くの犠牲を生んだにもかかわらず、社会の安定は、まだびくともしていません。
 いままで、育てることを怠ってきた人的資源もあります。日本女性のことですが、わたくしはこれらのポテンシャルを一気に開放し、日本を活力に満ちた、未来を信じる人々の住む国にしたいと考えています。
 いま日本人に必要なものがひとつあるとしたら、それは「自信」です。夏に咲いて、太陽を追いかけるひまわりのような、「向日性」です。かつて日本に、あふれるほどあったものが、いま、欠乏しています。
 だからといって、わたくしはなにひとつ悲観しようと思いません。わたくしたち日本人が「自信欠乏症」にかかっているとすれば、それをなおしてくれる人があり、歌があるからです。ここからわたくしの話は、みなさんへの感謝に焦点を移します。


IV インドネシアにTerima kasih
 すでにみなさん、インドネシアの人々は、日本人にたくさんの自信と、勇気を与えてくれました。そのおひとりが、この場にいないのはとても残念に思えます。
 インドネシアと日本が結んだEPAは、多くの看護師を日本へ送りました。日本の資格を取ろうとする人も少なくありません。
 それには、難しい試験を突破する必要があります。
 2011年の資格試験は、地震が起きた直後に、結果発表の日を迎えました。難関を突破したおひとりが、兵庫県の病院で働くインドネシア人の女性、スワルティさんでした。
 合格発表を受け、病院でスワルティさんが記者会見をしていたときです。喜びの顔が突然くもり、彼女はこう言い始めました。
 「福島県で、宮城県でも、津波がきました」
 声を詰まらせたスワルティさんは、病院の医師に向き直り、涙で声を震わせながら言ったのです。
 「私もできれば行かせてください、先生。みなを手伝いたい。お願いします」。
 スワルティさんは、被災地の、避難所へ入りました。家屋の半分が流され、500人以上の人が命を落とした町の避難所です。そこで、彼女は不思議な能力を発揮します。
 ショックのせいで泣いてばかりの少女が、スワルティさんと話し始めると笑顔になりました。年老いた女性が、まるで孫に接するように、彼女にほほえみをみせました。不自由な避難所で、そんな光景が生まれました。
 「大丈夫です。これからみなさん、ピカピカの未来がくるので、一緒にがんばりましょう」
 避難所を去るときの、それが、スワルティさんのあいさつでした。
Wahai sakura,(ワハイ、サクラ)
mekarlah.(メカルラー)
mekarlah dengan penuh bangga,
(メカルラー、ドゥンガン、プヌー、バンガ)
di seluruh pelosok Jepang.
(ディ、スルルー、プロソック、ジパン)
Mari Jepang,(マリ、ジパン)
bangkitlah.(バンキットラー)
bangkitlah, dengan percaya diri,(バンキットラー、ドゥンガン、ペルチャヤ、ディリ)
di dunia ini.(ディ、ドゥニア、イニ)

 わたしの下手なインドネシア語は、大目に見てください。この歌は、歌詞がもともと日本語なのです。
 「桜よ」という、歌の一節です。「桜よ、咲き誇れ、日本の真ん中で咲き誇れ」「日本よ、咲き誇れ、世界の真ん中で咲き誇れ」と、歌ってくれています。
 ジャカルタに、大学生たちによる、日本語でミュージカルを見せる「エン塾」という劇団があります。
 2011年3月11日の悲劇を知り、心をいためたエン塾の学生たちは、日本よがんばれ、桜のように、世界で咲き誇れという歌を、美しい曲に乗せてくれました。
 そして5月1日、30を超す大学から500人の学生がつどい、すばらしい合唱をしてくれたのです。
 わたくしは彼らの合唱を見、声を聞きました。そして、深く、感動しました。いまから1分20秒だけお見せします。どうかご一緒にご覧ください。
 ご列席のみなさま、この歌を作曲した青年がいます。JCC、ジャカルタ・コミュニケーション・クラブで、広報を担当している、ファドリ君です。
 そして、JCCを創立し、エン塾の指導に努めてこられた先生、かいきり・すがこ(甲斐切清子)さんです。
 ファドリ君、ありがとう。やさしいインドネシアのみなさん。みなさんと日本人は、みなさんが好きだという日本の歌、五輪真弓の歌がいう、「心の友」です。
 そのことをスワルティさんや、ファドリ君たちが改めて教えてくれました。Terima kasih(テリマ・カシ)。
 
 
 
わが国が、インドネシアのオランダからの解放をした事実、オランダの酷い植民地政策とは違う日本のインドネシアに対する教育・インフラ整備や独立に協力した日本兵たち。感謝される内容は多くのブロガーによって紹介されています。
民族主義者で名高い、近野滋之様がその全容を紹介されていますので以下にURLを記載します。

昭和天皇の大御心を代わりに果たしてインドネシアの独立の礎となった日本軍将兵は美徳ある日本の武士道精神だ、オランダの350年の植民地支配から開放した大東亜戦争の真実

 
 
今尚、国父としてインドネシア国民に敬愛されているスカルノ、インドネシア元大統領は次のように述べています。
「インドネシアの独立戦争では、約3,000名の日本兵がインドネシアの為に戦ってくれました。私たちはその『心』を大切にし、同じアジアの民族として伝えなければなりません。その『心』は日本とアジアばかりではなく、世界の平和にも繋がるのです。ところが、インドネシアの独立で通じ合った日本の犠牲的精神を、今の日本の若い人達はほとんど知りません。残念でたまりません。私達の独立の為に戦ってくれた日本兵の事を、きちんと日本で語り継いでほしいと思います。そしてインドネシアに来られたら、ジャカルタの英雄墓地に眠る日本兵の奥城にお詣りして下さい。その墓標には、みなイスラムの名前と日本人の名前が彫られています」
 
また戦後賠償の交渉に当たったアルジ=カルタウイナタ氏は「独立のお祝いというつもりで賠償金をください。日本が悪いことをしたから賠償しろというのではありません。」と発言をしました。
インドネシアタイムスのジャマル・アリ会長は「我々には、日本を批判するだけの韓国や中国と違って歴史とプライドがある。」とも述べています。
今でも、独立記念パレードで日本への感謝を忘れない律儀な国インドネシア。
桜よ 大好きな日本へ、インドネシアより親愛を込めて、日本人よ誇りを持とう。
そして、親愛なるインドネシア国とわが国の友好が深化することを願ってやまないのです。

 

転載元転載元: 美し国(うましくに)

敬天愛人大兄を偲ぶ

西郷南洲翁 座右の銘「敬天愛人」
 

「道は天地自然の物にして、人はこれを行うものなれば、天を敬するを目的とす。天は我も同一に愛し給ふゆえ、我を愛する心を以て人を愛する也。」

(現代訳)「道というのはこの天地のおのずからなるものであり、人はこれにのっとって行うべきものであるから何よりもまず、天を敬うことを目的とすべきである。天は他人も自分も平等に愛したもうから、自分を愛する心をもって人を愛することが肝要である。」 

詳(つまびらか)らかに解釈すると、「人それぞれには、天から与えられた「天命」というものがあり、それに従って、人は生きています。だからこそ、人はまず天を敬うことを目的とするべきです。天というものは、「仁愛」すなわち人々を平等に、かつやさしく愛してくれるものであるので、「天命」というものを自覚するのであれば、天が我々を愛してくれるように、人は自らも他の人に対して、天と同じように、「慈愛」を持って接することが何よりも必要である」
 
筆者はここにいう、「天」とは我国の畏くも天皇陛下の「大御心」であると解釈しております。
畏くも今上陛下におかせられましては、すべての人々、目に見えるすべての物に対し、慈しみ、愛を注がれておられます。
陛下の「大御心」をもって人と接せよと、南洲翁は説いておられるのです。
 
筆者が尊敬し、目標とさせていただいておりました敬天愛人大兄様が逝去されたのが平成23年10月13日、享年56歳、あれから2年の刻をきざんでいます。

敬天愛人大兄様が南洲翁遺訓よりハンドルネームとされていたことは皆様ご存知だと思います。
筆者がブログを初めてから、さくらの花びら大兄様と共に、拙ブログへご訪問いただき、ご指導くださいましたのがつい最近のように思えてなりません。
「天」即ち、國體(こくたい)であられる畏くも天皇陛下の神聖さ、偉大さを両氏にご教授いただきました。
敬天愛人大兄様の絶筆となった、月日だけがいたずらに過ぎて行く 役人とは人の役に立つから役人であるなどの秀逸記事を折をみては繰返し拝読させていただいております。
、故郷「福島」を心より愛し、荒廃してしまった政治家の資質、国の怠慢さを憂い、警鐘を鳴らすべく発信されておられました。
風評被害に苦しみ、死活問題となっている「福島」の現状をも、切実に訴えておられた志半ばの逝去でした。
震災直後、被災地の皆さんは、全世界からも賞賛されました。
今もなお、厳しい状況下におかれながら、立ち上がろうとされている被災地の皆さんの姿を素晴らしく思います。
最悪だった民主党政権も去り、自民党が政権を担っています。
しかし一朝一夕にわが国を取巻く厳しい状況は好転するわけでもなく、一進一退の攻防が続いています。

 
敬天愛人大兄様の肉体は滅びても、氏の「魂」は永遠に生き続けます。
敬天愛人大兄様の「天」を敬い、人を愛し、故郷「福島」を愛する崇高な「魂」は生き続けています。
どうか、祖国「日本」をお護りください。
 
そして、心ある人々は、敬天愛人大兄様のご遺志を引継いで行って欲しいと思います。「敬天愛人」の「こころ」を・・
筆者も人間である限り、いつか辞世の刻を迎える時がきます。
黄泉の国で敬天愛人大兄様に会えるでしょう・・・

あの頃に比べ、「日本はよくなった」・・・・
そう敬天愛人大兄様に言ってもらえるよう遺志を継承し、日々精進を重ねていく所存であります。
 
 
 
 

転載元転載元: 美し国(うましくに)

アンパンマンの作者やなせさんが亡くなられました。
子どもの頃楽しませていただいたことに心から感謝し、ご冥福をお祈りいたします。
 
 
震災の時にアンパンマンマーチが多くの人を励ましたと聞いて、改めて歌詞をよく見てみると、大変深い意味のある歌であることに気づきました。
 
やなせさんの弟が大東亜戦争中にフィリピンで特攻隊として戦死されていることも重ねて、アンパンマンマーチの歌詞を読むと、なるほど、こんなに深い意味が込められていたのか・・と感じます。
 
確かにやなせさんは大東亜戦争を否定するような発言もされていますが、アンパンマンを通じて、正義、優しさ、思いやり、愛、勇気、自己犠牲の心の大切さを子供たちに伝えたかったのではないかと思います。日本人らしい、素晴らしいアニメだったように思います。
 
 
以下、インタビュー記事から転載。
 
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やなせ もう一つの意味は、自分の顔をちぎって渡すヒーローということ。なぜかというと、正義を行うときには、自分が傷つかずにはできないという考えが、ぼくの中にあるからです。つまり、自分はまったく傷つかないままで、正義を行うことは非常に難しいということなんです。
 線路でひかれそうになった人を助けようとして死んでしまった警官がいました。子どもが川で溺れているのを助けようと川に飛び込んで死んでしまった先生もいました。人助けは死んでしまうこともあるんです。しかし、正義のために、それをせずにはいられなかった。そういうことなんです。
 正義というのは、そうした覚悟なしにはできないんです。もっと簡単なたとえでいうと、あなたが、電車に乗っていて隣の人がタバコを吸っていたとします。「ここは禁煙ですからタバコを吸ってはいけませんよ」と言うと「なんだテメェ、余計なことを言うな」と殴られることだってあるんです。
 
丁野 なるほど、そうですね…。
 
やなせ 何故殴られたのか、それは正義を行ったから。正しいことをする場合、必ず報いられるかというと、そんなことはなくて、逆に傷ついてしまうこともあるんです。傷つくかもしれないけれど、それでもやらなければいけないときがある。
 そして、正義というのは、非常に情けないところもある。ある会社が不正をしていたとします。社員がそれを内部告発すると、会社の不正はあばかれて正されますが、その告発した人はどうなるか。正しいことをしたのに、あいつは密告するといわれて、全部の業者から阻害されてしまうかもしれません。それで、まったく仕事がなくなってしまった人がいます。ですから、アンパンマンは、顔を渡すたびにエネルギーが落ちていくんです。落ちていくけれども、それをせずにはいられないんですね。自分が犠牲になることもあるけれど、困っている人を助けずにはいられない。そういうことなんです。
 ところが、アンパンマンを作ったときには、ほとんどの人から、こんな話は今の子どもにはウケない、やめた方が良いと忠告されました。絵本は5年間、描かなかったですね。アニメにも、3年間、なりませんでした。ところが出してみたら、子どもたちには、すごくウケてしまったんです。では、子どもたちはどこに感動したのか。
 今の大学生や大人になっている人、例えば、ぼくの手術をしてくれたお医者さんが、幼稚園の頃、アンパンマンを読んでいました、と言うので「どこがおもしろかったですか」と聞くと、「アンパンマンが自分の顔をあげるところです。すごいショックを受けて、それがずっと心に残っていて、非常にひきつけられました」って。ほとんどの人がそう言ってくれます。

丁野 一見、残酷にも思えるところですが、子どもたちには、やなせさんの考えがストレートに通じたのでしょうか。

やなせ 当時、顔を削るのは残酷です、やめてくださいという抗議をもらいました。だからぼくはすぐに返事を書いたんですよ。「アンパンが食べられなかったら、それはまずいパンです。アンパンが食べられるのは当然のことです。少しも残酷ではありません」(笑)。今はそんなことを言う人はいませんけどね、はじめはそうだったね…。
 
 
 
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「アンパンマンマーチ」

そうだ!嬉しいんだ生きる喜び
たとえ胸の傷が痛んでも

何の為に生まれて 何をして生きるのか
答えられないなんて そんなのは嫌だ!
今を生きることで 熱いこころ燃える
だから君は行くんだ微笑んで。

そうだ!嬉しいんだ生きる喜び
たとえ胸の傷が痛んでも。

嗚呼アンパンマン優しい君は
行け!皆の夢守る為

何が君の幸せ 何をして喜ぶ
解らないまま終わる そんなのは嫌だ!

忘れないで夢を 零(こぼ)さないで涙
だから君は飛ぶんだ何処までも

そうだ!恐れないでみんなの為に
愛と勇気だけが友達さ

嗚呼アンパンマン優しい君は
行け!皆の夢守る為

時は早く過ぎる 光る星は消える
だから君は行くんだ微笑んで

そうだ!嬉しいんだ生きる喜び
たとえどんな敵が相手でも

嗚呼アンパンマン優しい君は
行け!皆の夢守る為

 

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