続・よねちゃんの車中泊旅行記

4月22日、はてなブログ「よねちゃんの花日記」に移行しました。車中泊旅行記もそちらで継続しています。

全体表示

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全693ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 前のページ | 次のページ ]

    2014年9月30日(火)
 
  今、新潟県湯沢町の湯沢町歴史民俗資料館「雪国館」にいます。場所は上越新幹線越後湯沢駅の北約400メートルです。
 
  唐箕です(写真①)。17世紀の終わり頃から普及し、農家によっては今も現役という優れものです。唐箕は籾の選別機です。構造はごく簡単なもので、子供のオモチャにもなりました。とはいえ、本気で選別するとなると風量の調整が難しいようです。
イメージ 1
 
  見たことがないようなのが登場しました。「籾がちきね」と呼ばれ、千歯扱きなどで脱穀をしても取りきれなかった籾があるとき、これで稲束を突いて籾を外したということです(写真②)。
イメージ 2
 
  これがその千歯扱きです(写真③④)。これも江戸時代中期に登場し、脱穀能率を飛躍的に向上させた優れものです。大正時代に足踏み式脱穀機が普及するまで長く使われました。現在でも種籾用やごく小規模な農家で使われています。
イメージ 3
 
  これがその足踏み式脱穀機です(写真⑤⑥)。発明されたのは明治末期ですが普及するには時間がかかりました。
イメージ 4
 
イメージ 5
 
  これはいつ頃の写真でしょうか。右後方にあるのは石油発動機で、ベルト駆動により脱穀機を回しています。戦後の写真と思われます(写真⑦)。
イメージ 6
 
  サトイモなどを入れて川に入れて固定しておくと、水車のように回って芋を洗いました。きれいな用水のある所なら今もやっているところがあると思います(写真⑧)。
イメージ 7
 
  米俵です(写真⑨)。米を貯蔵するのに最適の袋でした。
イメージ 8
 
  米俵1俵、つまり60キロを背負う人です(写真⑩)。重かったでしょうね。  
  流通倉庫のようなところでは女性でも2俵背負って歩いたようです。さすがに骨粗鬆症にはならなかったでしょうが、腰痛、ヘルニアなど他の骨の病気にはなったと思われます。  
  昭和35年頃に流通単位が現在のような30キロの紙袋に変わりました。米の需要が減ったことも一因ですが、60キロは重すぎるというのも原因の一つだったでしょう。
イメージ 9
 
  右から籾、もみ殻、玄米、米ぬかです(写真⑪)。一番始末に困ったのはもみ殻だったでしょう。米ぬかは漬物などでつかえ、現在のコイン精米機でも持ち帰りが可能です。
  以前、米屋で玄米を精米すると何キロか米屋にピンハネされるという話がありました。もちろん事実無根で、精米すれば大量のヌカが出るので精米の重量はその分減ることになります。
イメージ 10

  往時の米の出荷の様子です(写真⑫)。
イメージ 11
 
  奥で何をしているのでしょう。一旦俵に詰めてから台秤で計量し、過不足を調整しているように見えます。手前は軽量が済んだものを俵締め機で荷造りしているところです(写真⑬)。
イメージ 12
 
  俵に米を詰めるときはこの漏斗を使いました(写真⑭)。
イメージ 13
 
 
  続く
 
    2014年9月30日(火)
 
  今、新潟県湯沢町の湯沢町歴史民俗資料館「雪国館」にいます。場所は上越新幹線越後湯沢駅の北約400メートルです。
 
  背負子です(写真①)。左の方はかなり細長い感じです。
イメージ 1
 
  「背中いち」という名札が付いています。背当てのことで背負子と体の間に挟んで背中を保護します。あるとないとでは大分違ったでしょう(写真②、②の2)。
イメージ 2
 
イメージ 3
 
  「たす」と呼ばれる小籠です(写真③)。ワラ製で農作物や山菜を入れました。
イメージ 4
 
  ワラ製の宝船です。米俵を積み、松竹梅で飾り立てています(写真④⑤)。目を凝らしましたが七福神は乗っていなかった様な気がします。
  舷側に亀がいるのが分かるでしょうか。鶴はどこでしょう。
イメージ 5
 
イメージ 6
 
  では、次に行きましょう。こういう展示になりました(写真⑥)。例によって詳しく紹介しましょう。
イメージ 7
 
  手鉤(てかぎ)です(写真⑦)。荷役現場で広く使われている現役です。
イメージ 8
 
  名札は扇風機ですが、農業用の手回し式送風機です(写真⑧⑨)。取っ手と羽は歯車で連結されているのでとても円滑に動かせたでしょう。この風で脱穀した籾とゴミなどとを選別したのです。
イメージ 9
 
イメージ 10
 
 一斗枡と枡かき棒です(写真⑩)。米一斗は約15キロ、重いので斜めに持ち手が付いています。取引の公正を期すためにすり切り用の棒も使われました。
イメージ 11
 
  土臼です(写真⑪⑫)。江戸時代に発明され、戦前まで普通に使われた籾摺り器です。
イメージ 12
 
イメージ 13
 
  同じ籾摺り用の臼ですがこちらは木臼です(写真⑬⑭)。木臼を作るには大きな木が必要だったとか、土臼の方が重量があって使いやすかったというような理由から土臼の方がよく使われたようです。
イメージ 14
 
イメージ 15
 
  土臼を使っているところです(写真⑮)。
イメージ 16
 
  続く
 

2019年元旦

    2019年1月1日
 
  明けましておめでとうございます
  今年こそいい年でありますように
 
  0515時、ふと窓の外を見ると二十六夜の月がかかっていました。下にあるのは金星でしょうか。手持ちなので二十六夜には見えませんが。
 
  江戸時代は旧暦7月二十六日の月を「二十六夜待ち」として眺める習慣があったそうです。
  今日は残念ながら旧暦11月26日、本来の二十六夜様ではありませんが、見た感じは大体同じでしょう。
 
 
  今年1年がいい年であるように祈りました。
イメージ 1
    2014年9月30日(火)
 
  今、新潟県湯沢町の湯沢町歴史民俗資料館「雪国館」にいます。場所は上越新幹線越後湯沢駅の北約400メートルです。
 
  今いる展示室の様子です(写真①)。
イメージ 1
 
  一番上は「ぱいすけ」と呼ばれる運搬具の天秤棒です。この写真からははみ出していますが、竹製の浅くて丸い竹の籠に土や砂利を入れて運びました。中央は重量級の竿秤です(写真②)。
イメージ 2
 
  右端が写真②の「ぱいすけ」の籠です。こういうの、どこかで見たことがありますね。フルイ、小型の竿秤と分銅、下の方の棒は「ばい棒」と呼ばれ、収穫した豆やソバを叩いて脱穀しました(写真③)。
イメージ 3
 
  この写真の上は「ばい棒)、下の棒きれは「豆突き棒」と呼ばれ、田の畦に豆を植えるときにこの棒を土に突き刺して穴を開け、そこの豆をまきました(写真④)。
  左手にはフルイがあります。フルイは今でも重要な農具です。籾とゴミの選別や目の粗さを換えて穀物の選別などを行いました。今でも家で花を植える際、鉢の土作りの作業に欠かせません。
イメージ 4
 
  唐箕です(写真⑤⑥)。 ハンドルを回せば簡単に作業ができそうですが、実際に選別をするときはそれなりの慣れが必要です。やみくもに風を起こせばいいというものではありません。
イメージ 5
 
  さて、実りの秋を迎えました。
  「はって架け」という作業をしています。稲架(はざ)と呼ばれる木組みに収穫した稲の束を掛けて乾燥させます。
  稲架は横一列のものもありますが、こういう上に高いものもあります。頑丈に作らないと強風で倒伏します(写真⑦)。常設したものもあり、子供の遊び場にもなりました。
イメージ 6
 
  昭和15年に撮られた写真で、収穫した稲を運んでいます(写真⑧⑨)。
イメージ 7
 
イメージ 8
 
  稲架の前の女性達です(写真⑩)。
イメージ 9
 
  子供達も手伝いました(写真⑪)。
イメージ 10
 
  いい顔してますね(写真⑫)。
イメージ 11
 
  簑とスゲ笠です(写真⑬⑭)。
イメージ 12
 
イメージ 13
 
  壁際にあるのは小型の稲架です(写真⑮)。
イメージ 14
 
  米俵です(写真⑯)。下段2個は60キロ入りですが、上の方は少し小さいと思います。
イメージ 15
 
  中央はワラ細工の敷物、左下は鉄瓶敷き、右下は鍋敷きです(写真⑰⑱)。今はこういう大きな敷物が作れる人も減ったことでしょう。
イメージ 16
 
イメージ 17
 
  続く
 
    2014年9月30日(火)
 
  今、新潟県湯沢町の湯沢町歴史民俗資料館「雪国館」にいます。場所は上越新幹線越後湯沢駅の北約400メートルです。
 
  真綿を木綿の一種と思っている人がいるかもしれません。真綿は蚕の繭そのものを綿状に引き延ばしたものです(写真①)。
イメージ 1
 
  これが真綿です(写真②)。
イメージ 2
 
  さて、これは滅多に見られない道具です。まずは蚕種付け用具です(写真③)。種紙を台紙で上下からはさんで台紙の上だけ丸くくり抜きそこに黒い紙の輪を差し込みます。その中に蚕の成虫を入れて産卵させます。
イメージ 3
 
  産卵後の蚕はその後潰して伝染病の検査に回されます。その検査用の箱です(写真④)。この一連の作業は一般の民家でやるのは困難なため、専門の業者が行います。農家はそこから種紙を買うのです。
  この工程はとても重要で、怠ると伝染病が蔓延して蚕が全滅することがあります。1854年頃にフランスで現実に起こったことです。このときは日本からフランスに大量の蚕種を輸出したのです。
イメージ 4

  さて、養蚕の話はこれで終わりです。
  油搾り器が登場しました(写真⑤⑥)。テレビのダッシュ島では椿油を取るときに潰した椿を布にくるんで手で絞っていましたが、その程度では全部は絞れません。テコの原理を応用するかネジを使って圧搾するとよく搾れます。
イメージ 5
 
イメージ 6
 
  往時の食品加工機です。粉挽きをしたりミンチを作ったりで結構な汎用機だったようです。肉を挽いた道具でコーヒー豆を挽きたいとは思わないかもしれません(写真⑦)。
イメージ 7
 
  「いざりばた」という名札が付いた織機です(写真⑧)。「腰機(こしばた)」の一種で、手元付近にある取っ手に着いた帯に腰を通して経糸の張り具合を調整します。
  普通に見かけるような高機と違い小振りで簡単に動かせるため現在も世界各地で使われています。
イメージ 8
 
  筬(おさ)です。綜絖(そうこう)と並んで経糸を制御する重要な部品です(写真⑨⑩)。
イメージ 9
 
イメージ 10
 
  糸車や座繰りです(写真⑪)。
イメージ 11
 
  中央は桑切機です(写真⑫、⑫の2)。養蚕が小規模な頃は桑切包丁でも間に合うのですが、製糸工場ができて大量に繭が必要となるとこういう機械が必要です。右端から桑を押し込み、押し切りで切って右の箱に溜めます。
イメージ 12
 
イメージ 13
 
  この写真は切った桑を蚕に与えているところです(写真⑬)。
イメージ 14
 
  自動式の座桑機なるものも発明されたようです(写真⑭)。いつ頃のものでしょうか。大量生産となると必要に迫られて機械化、省力化が飛躍的に進みのはいつの時代も同じです。
イメージ 15
 
  残念ながら現在の日本の養蚕は壊滅状態です。もう一度産業として復活できたら日本中が元気になると思うのですが。
 
  では次に行きましょう。
 
  続く
 

全693ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 前のページ | 次のページ ]


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事