続・よねちゃんの車中泊旅行記

4月22日、はてなブログ「よねちゃんの花日記」に移行しました。車中泊旅行記もそちらで継続しています。

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    2014年9月30日(火)

  今、新潟県南魚沼市の塩沢にある牧之通りにいます。場所は上越線塩沢駅の東約300メートルです。

  こう言っては何ですが、向こうからやっと人がやってきました。雁木通りの機能がこれではっきりします(写真①)。
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 これはとても大きな建物です(写真②)。看板と暖簾が掛かっているので商家か旅館かと思われます。真壁造りの家は魅力的です。
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 右から2件目は「厠」という看板がありますので公衆トイレです(写真③)。観光地ならトイレと駐車場は必需品です。土産物屋と飲食店もできれば欲しいところです。後でわかりますが一応あることはありました。
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 いい雰囲気です(写真④)。よく見ると先に紹介した信用組合でした。
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 これは同じ信用金庫を横から見たところです(写真⑤)。
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 これも商家です。中央に薄荷圓という看板があり、左手の入り口には酒樽が置かれて酒店になっています。入り口は一つしかありません(写真⑥)。堂々たる造りです。
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 店は「越光玄米蔵」なのですが、ソフトクリームや塩沢コシヒカリビールなるものを売っています(写真⑦⑧)。
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 うっかり通り過ぎましたが、この写真の右から数軒目のところに鈴木牧之生家という看板が掛かった家がありました(写真⑨)。
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 いい眺めです(写真⑩)。
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 さて、1055時になりました。これでここの見学は終わりです。駐車場に戻り出発、国道17号線に戻り北上します。途中でスーパーを見つけました(写真⑪)。
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 ついでに昼食も買いました(写真⑫)。私は稲荷寿司が大好物なのです。
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 食べ終わるとすぐに出発、再び国道17号線を北上、小出で国道252号線に入りました。しばらく進んで只見線の魚沼田中駅から北東約2キロメートルほど進んだところを左折し、在所の中の道を地図を見ながら進むと旧佐藤家住宅です。重要文化財です(写真⑬)。このあたりは新潟県魚沼市大倉というところです。
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 こういう標柱がありました(写真⑭)。元文3年(1738年)の竣工です。1800年代建築の古民家はたくさんありますが、1700年代となると多くありません。
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 そう思ってみると威厳と風格を感じます(写真⑮)。
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 一見して東北地方によくある曲屋のように見えますが、こういうように突出部に出入り口があるのを中門造りと呼ぶのだそうです(写真⑯)。
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 では、次回で詳しく紹介しましょう。

 続く


  日差しはすっかり春ですが、2、3日ごとに降る雨が少し鬱陶しいです。

  これは去年挿し芽にしたアジサイです。前二つは妻が友人からもらってきたコンペイトウというガクアジサイを挿し芽にしたもの、奥は我が家の庭にあるカシワバアジサイから作った挿し芽です(写真①)。
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  3月になったので定植します(写真②③)。まあ、こんな具合です。穴を掘って鶏糞、堆肥を入れ土と混ぜたところに鉢から抜いてそのまま植え付けます。
  幸いにも4鉢とも根を張っていました。特にコンペイトウは育ちが早いという感じです。
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  結局、本宅南側には。本日定植したものを含めてアジサイが9株になりました。種類は普通の丸いアジサイや品種不明のガクアジサイです。数年後が楽しみです(写真④)。
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  最初に葉を出したのは丸い花のアジサイでした(写真⑤)。
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もう枯れたと思っていたカシワバアジサイの挿し芽ですが葉が出てきました。まだ生きているようです。もう1年鉢で育てることにしましょう(写真⑥)。
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  花壇に直植えのシャクヤクです(写真⑦)。今年も元気に赤い芽が出てきました。
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 これは鉢植えのシャクヤクです(写真⑧)。これも元気そうです。
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 ボタンも負けじと芽を出しました(写真⑨)。
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 さて、ヒイラギの花が満開になりました。40年ほど前までは家を建てると南天と柊(ヒイラギ)を植える人が多かったのです。
  南天は「難転」に通じ、正月の飾りにも使えました。ヒイラギは木の葉を見ればわかるように鬼も嫌がるような形状をしているため魔除けになったのです(写真⑩)。南天も柊ももう迷信の部類に入ったのでしょう。
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  去年はいつまでも暑くて種まきが遅れました。プリムラ・マラコイデスがやっと咲き始めました(写真⑪)。
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  ノースポールも遅れ気味です(写真⑫)。1月から2月にかけて入院していたときの水不足の影響かもしれません。
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 左は去年、高知に遊びに行ったときに買ってきた雪餅草、右は裏山から採ってきたウラシマソウです。どちらも里芋の仲間です。もう芽が出ても良さそうなのですが芋が腐ったかもしれません。心配になってきました(写真⑬)。
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 花壇や鉢でたくさんの花が芽吹き始めました。風はまだ寒いですがもう春真っ盛りという感じです。

  完

    2014年9月30日(火)

  今、新潟県南魚沼市の塩沢にある牧之通りにいます。場所は上越線塩沢駅の東約300メートルです。

  ご当地は元三国街道の塩沢宿でした。明治以降は次第に衰退し、昭和から平成にかけての中心市街地の衰退化の荒波もかぶって町は往事の町並みを失いかけていました。
 転機になったのは平成11年に始まった往時の町並みを取り戻す運動が始まったことです。その中心になるのがこの「まちなみ景観協定」です。
  この協定は任意のものですが、時により私有財産権を制約することがあるため、簡単に作れるというものではありません(写真①)。
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 右の建物は病院ですが、病院らしくありません。やはり景観協定を守っていることだと思います(写真②)。
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 このあたりはなかなかの景観です(写真③)。
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 消雪パイプというのをテレビで見たことがあるでしょう(写真④)。
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 電柱電線のない景色がどれだけさわやかなものか体感できます(写真⑤)。
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 これも雁木通りです(写真⑥)。
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 塩沢宿は江戸時代にはじめにはもうできていたそうです。街道の町屋の税金は間口を基準にかけられたので、ウナギの寝床のような間口が狭くて奥が広い敷地になっているところが今も多いです(写真⑦)。
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 これは典型的な切妻妻入(きりづまつまいり)の町屋造りです(写真⑧)。
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 こういう風景、各地の重要伝統的建造物群保存地区でも見かけましたね。多くは観光客で賑わっていましたが、ここは残念ながら通過車両はあっても人はまばらです(写真⑨)。
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 これは塩沢信用組合です(写真⑩)。1953年の創業です。多くの信用組合はバブル後消滅したと思います。しかしここは健闘していました。一階の壁に色々な資料が貼られていたので紹介しておきましょう。
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 今いる牧之通りの地図です。歩きやすいところです(写真⑪)。見学できるところといえば塩沢つむぎ記念館と鈴木牧之記念館です。
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 現在のような牧之通りが完成したのは平成22年でした(写真⑫)。
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 2年後にはこういう認定証をもらっています(写真⑬)。
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 3年後には都市景観大賞ももらいました(写真⑭)。
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 この受賞の際の広報ポスターのようです(写真⑭の2、⑭の3)。
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 平成25年には日本雪工学会から表彰状をもらっています。「雪国の歴史と文化を活かすまちづくり」ですか、なかなかいいですね(写真⑮)。
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  さて、問題はここからです。ここを訪れた平成26年でも人はまばら、土産物屋や飲食店はあることはあります。まちなみは素晴らしいのですが、まだ何かが足りないのでしょう。
  ただ、ご当地は道路改良や消雪対策、雁木などで住みやすさは格段によくなったことでしょう。そうなると、できれば冬に観光客を呼びたいところです。
  重要伝統的建造物群保存地区でも来る日とはまばらということろがたくさんありますから特別不思議というわけではありません。折角の町並みなのでもう一段上をめざしたいところです。

  続く

   2014年9月30日(火)

  今、新潟県湯沢町の湯沢町歴史民俗資料館「雪国館」にいます。場所は上越新幹線越後湯沢駅の北約400メートルです。

  さて、前回までで資料館の見学は終わりです。この道のすぐ先に湯沢高原ロープウェイの山麓駅があります(写真①)。
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 1006時、車に戻り出発、国道17号線に入り北上、しばらくすると南魚沼市塩沢の鈴木牧之記念館に来ました。1041時着(写真②)。場所は上越線塩沢駅の東約300メートルです。
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 記念館の解説です(写真③)。雪も十分に勉強したし、こういうところは撮影禁止のところも多いということで入館はしませんでした。いつものことですが、行っておけばよかったですね。
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 近くの公園ですが、面白い動物の作り物があります。左半分は滑り台、右半分は洞窟探検というところです(写真④)。
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 こういう看板がありました(写真⑤)。三国街道は江戸時代、三国街道中山道の高崎(群馬県高崎市)から北陸街道の寺泊(新潟県長岡市寺泊)へ至る街道でした。上越国境の道が難所として有名でした。
  三国街道の現在の国道17号線の基礎になったのですが、三国トンネルが開通したのは昭和になってからでした。
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 塩沢宿の現代の絵図がありました(写真⑥⑦)。この絵図の上の端を国道17号線が通っています。国道が旧市街地を避けたのが昔の町並みが残った要因の一つです。
  しかし、全国的に起こった中心市街地の衰退化はご当地にも押し寄せました。商店主は高齢化し、空き店舗は増え、町は活力を失ったのです。
  そんな中で道路改良を機会として平成11年に往時の町並みを取り戻そうという気運が高まり、雁木のある和風のまちづくりが始まり、現在に至っています。この努力がなければ今の塩沢はなかったのです。
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 これは旧三国街道を北に見ています。左側の通りが雁木造りになっています(写真⑧)。
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 家の庇(ひさし)が歩道までせり出し支柱で支えています。これが雁木で威力を発揮するのは雪の時です(写真⑨)。
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 このあたりは何とか雁木通りと呼べる状態になっています。全体でアーケードのような通り道になっています(写真⑩)。
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 昔の道はこんなに広くなかったと思います。道路改良の折に歩道も含めて広げたのでしょう。雪害対策が重要な目的です(写真⑪)。
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 この薬局、永禄11年(1568年)創業となっていました(写真⑫)。
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 三国街道と塩沢宿の解説です(写真⑬)。
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 江戸時代に現代と肩を並べるほど発達したものの一つが飛脚です(写真⑭)。米や大豆の相場情報も運ばれたというから高度に発達した社会だったことがわかります。
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 この位置から雁木通りを見ると見るとそれほど狭くないですね。冬でも雪を気にせずに歩けました(写真⑮)。
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 人通りはほとんどありません。向こうから近くの保育所の子供たちでしょうか、賑やかにやってきました(写真⑯)。
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  続く

    2014年9月30日(火)

  今、新潟県湯沢町の湯沢町歴史民俗資料館「雪国館」にいます。場所は上越新幹線越後湯沢駅の北約400メートルです。

  ご当地湯沢には、江戸時代に三国街道の宿場がありました。これは宿札で、今も和風旅館などに継承されています。左は1830年のもの、右は明治初め頃のものです(写真①②)。
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  人力車立場の看板がありました。今でいえばタクシー乗り場です(写真③④)。
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  江戸時代から大正時代にかけて湯沢にあった旅館です(写真⑤)。
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  明治4年に作られたご当地、湯沢村の絵図です(写真⑥⑦⑧⑨)。街道に沿って短冊のような細長い屋敷が連なるという典型的な造りです。
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  いつ頃のスキーでしょうか(写真⑩)。
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  スキー場のリフトかと思いますが、いささか危険な乗り方です(写真⑪)。もっとも、子供一人の方が却って危ないかもしれません。
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  スキーを滑りやすくするロウ塗り用の道具です(写真⑫)。
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  スケートに近いものです。凍った池か田んぼで竹を割って先端を曲げた「スケート」を踏み、竹で押して滑ります。私の故郷でも昭和30年代まで見かけました(写真⑬)。
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  大正から昭和初期にかけてのスキー事情です(写真⑭)。
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  湯沢町とスキーとの関わり合いの歴史です。本式にスキーが普及するのは大正に入ってからのようです(写真⑮)。
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  その一つがこのスキー講習会です(写真⑯⑰)。
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  現在は湯沢というとスキーのリゾート地という印象が強いでしょう。もっと本式の温泉地の方がいいと思う人もいるでしょう。
  上越新幹線の東京都の距離感が大きな要素となります。これで当資料館の見学は終わりです。

  続く


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