続・よねちゃんの車中泊旅行記

4月22日、はてなブログ「よねちゃんの花日記」に移行しました。車中泊旅行記もそちらで継続しています。

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    2014年9月30日(火)

  今、新潟県湯沢町の湯沢町歴史民俗資料館「雪国館」にいます。場所は上越新幹線越後湯沢駅の北約400メートルです。

  乗馬用の鞍です(写真①)。ご当地を通る三国街道で身分の高い人を乗せていました。
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  これは三国街道の様子です(写真②)。東が左側ですから下が北になります。左には谷川岳、一の倉沢、右手には赤倉山、苗場山とといった蒼々たる山が鎮座しています
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  客そりなるものが登場しました(写真③④)。
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  これが客そりです(写真⑤)。
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  こういう解説もありました(写真⑥)。雪道用の人力車か、なるほど。
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  もちろん駕籠もありました(写真⑦⑧)。明治5年には人力車に押されて姿を消したようです。駕籠は最低二人で担がないといけないから無理もなかったでしょう。
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  ご当地はスキーのリゾート地として知られますが、豪雪地帯でもあります(写真⑨⑩)。
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  写真⑪は昭和初期の雪道、写真⑫は現在の雪道です(写真⑪⑫)。
  現在の除雪能力は飛躍的に向上しました。しかし、車の数も爆発的に増え、峠道などで数日間立ち往生するのは年中行事になっていました。
  今年は去年の経験があったからか、雪が少なかったのか、そういう大渋滞は発生しなかったようです。
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  旧暦に大の月と小の月があったのはご存じでしょう(写真⑬)。
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  小の月の場合はこういう看板を出しました(写真⑭)。今の感覚では対した役に立たなかったように感じますが、昔はこれで便利なことがあったのでしょう。
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  続く

  去年9月の台風で損壊した我が家のガレージの屋根、やっと工事が完成しました。現代的なものでとても気に入りました(写真①)。
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  工事の際に避難していた鉢類も元に戻しましたが、大きなマーガレットの鉢には閉口しました。まあ、みんな元通りの位置に戻れてよかったね(写真②)。
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  カランコエが満開です(写真③)。
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  キンギョソウが咲きました(写真④)。
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  今は一番花の少ない時期、ミニバラが存在感を示しています(写真⑤)。
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  エリカも負けじと咲いています。これは去年植えたばかりの株です。来年の今頃は大きくなってもっとたくさんの花を咲かせるでしょう(写真⑥)。
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  アネモネも咲きました(写真⑦)。
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  春の定番、ストックです(写真⑧)。
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  さて、2月ももう終わり、苗の植え付けの時期がやってきました。今日はこれです。
  左と中央はハコネウツギの挿し芽苗、右端は万両の市販苗です。ハコネウツギはたまたま通りかかった家の庭先にあったのを見つけ、頼んで挿し芽にする枝を切ってもらったものです(写真⑨)。
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  鉢と同じ大きさの穴を掘り、鶏糞を入れました。まずは万両です(写真⑩)。  
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    次はハコネウツギです(写真⑪⑫)。去年の6月に挿し芽をした苗なのに鉢一杯に根が広がっていました。かなり成長が早いと思われます。
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  もうすぐ3月、と言っても、1月から2月にかけて5週間入院していたのであったかなかったかわからないような冬でした。もう当分、入院はしたくありませんね。無理をせずに花壇の世話をするのが一番というところでしょう。

  完
    2014年9月30日(火)

  今、新潟県湯沢町の湯沢町歴史民俗資料館「雪国館」にいます。場所は上越新幹線越後湯沢駅の北約400メートルです。

  ツキノワグマの剥製です(写真①)。
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  もう一頭の熊とカモシカです(写真②)。
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  石白古銭が登場しました(写真③)。全部で27万枚余あった内の一部が展示されています。
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  石白古銭の解説です(写真③の2)。
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  こういう木箱に入れた状態で出土したようです(写真④)。
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  木箱の解説です(写真⑤)。
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  他にも遺跡の出土品が展示されていますが省略します。
  東京から今いる湯沢町までの旅程です。江戸中期は5日かかったのが1961年に国道17号が開通すると5時間半、1982年の上越新幹線開通後は1時間46分に短縮されました。国道と鉄道の実力を感じます(写真⑥)。
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  1854年に発行された寺の往来手型です(写真⑦)。今で言うパスポートのようなものでした。行き倒れになったら現地の作法で葬ってとあるので当時の旅の大変さが分かります。
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  慶応4年の通行手形です(写真⑧)。慶応4年は明治元年ですが、社会はまだ江戸そのものでした。廃刀令が出た1876年(明治9年)、武士は実質的にも存在しなくなり、刃物を持ち歩く殺伐の気風も一掃されてこれが江戸時代の本当の終わりだったでしょう。
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  伊勢暦です(写真⑨)。江戸時代に隆盛を極めた伊勢参りを勧める御師が伊勢神宮の御札と一緒に配ったものです。1871年に廃止されて神宮暦に変わっています。
  神宮暦は占いや迷信を極力排除したものでした。戦後は誰でも暦を発光できるようになりました。今、古風なもので一番有名なのは高島易断製ですが、内容は旧暦に関する記述をのぞけばほぼ俗説迷信の塊です。
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  先の大戦の際の金属供出は知っていましたが、1856年にも外国船の侵略に備えて寺の鐘を差し出せという話があったのは知りませんでした(写真⑩)。
  実際に供出した寺があったのでしょうか。寺はこの15年後に廃仏毀釈という中国の文化大革命のような狂気の事態に襲われることになります。
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  高札がありました。今で言うと政府や自治体の告示に当たります。何かと封建時代の象徴のように思われがちですが、実際は違います(写真⑪)。それは次を見れば分かります。
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  写真の⑪の上の長いのを解説文で紹介しましょう。天和2年(1682年)の日付けです。(写真⑫⑬)。
  「不忠不幸の者は重罪」というのは時代の制約からきています。2番目の「万事奢いたすべからず」などは役所から言われる筋合いはないという人がいることでしょう。しかし、忠孝も質素倹約も時代を超えた人の徳目なのです。
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  これは数ある高札の中でも有名なものです。日付けは慶応4年3月、出したのは太政官です(写真⑭⑮。
  慶応4年9月に明治と改元したのですが、強引にもこれを1月1日に遡って適用するとしました。もしかしたら改元の詔勅を書き違えたか読み違えたかもしれません。いずれにして既に発行したものは書き換えられません。
  太政官は明治新政府最高位の官名で、慶応4年閏4月に設置されています。慶応4年3月の太政官とは昔の律令制の太政官だったかもしれません。
  これを読むと写真⑭の内容が分かります。「多数で申し合わせて強訴するな、居場所を逃散するな」となっており、こういう高札が必要な時代だったのでしょう。
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  続く

    2019年2月18日(月)

  前回から大分時間が経ちました。1月11日から緊急入院していたのです。
  実はかなりの重傷でした。入院中はもちろん酒は飲めず、途中の一週間は断食もありました。辛い毎日でしたが、過ぎてしまえばいい経験になりました。2月15日に退院しました。

  さて、花壇はどうなったでしょう。妻や息子に水やりを頼んでおいたのですが、そう期待はできません。まあ、真冬だったので全滅するようなこともないでしょう。

  2月15日

  退院してみると屋根の工事がこの日終わるところでした。手前の駐車場の屋根も支柱が立てられて養生しているところです(写真①)。
  この被害は去年の9月4日の台風の際のものです。和歌山市では瞬間風速57メートルを記録しました。幸いにも火災保険をかけていました。
  急いでと頼んだのですが、高いところに上る人の段取りがつかないとか、そもそも部材が手に入らないということで延び延びになっていたのです。日本中で被害が起きましたから無理もないでしょう。
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  玄関横の花壇に足場を組んでいました(写真②)。
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  5週間も放っておくとプランターは雑草が一杯です(写真③)。
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  奥のマーガレットは枯れ死寸前、手前のゴデチアは茎がグニャグニャに曲がってお婆さんのようです(写真④)。危ない危ない!
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  2月18日

  昨日の午後、屋根工事の足場は撤去されました(写真⑤)。まずは全体に肥料を施します。その後で全体に水まきです。
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  では花壇を復元しましょう。あちこちに散らばっていたプランターを集めてきました(写真⑥)。大体復旧したという感じです。
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  枯れ死寸前だった寸前だったマーガレットも息を吹き返したようです。満6年以上経ったマーガレットだから強いのかもしれません(写真⑦)。
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  ここは駐車場の工事が終わらないと完全復旧はできません。今週中には終わるようです(写真⑧)。
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  本宅玄関です(写真⑨)。ノースポールとプリムラ・マラコイデスの花が咲き出しました。種をまくのが遅れたので例年よりもかなり遅いです。
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  この鉢はキキョウ、ウラシマソウ、ケマンソウですが、多分、息子は茎が出ていないから水をやらなかったと思います。湿り気がないと球根がだめにある可能性があります。多少は雨のかかるところなので大丈夫と思いますがどうでしょうか(写真⑩)。
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  オミナエシの鉢で大きな赤い目が出ていました(写真⑪)。
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  さて、カランコエが見事に咲きました(写真⑫)。
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  カランコエのこの古風な赤がとても気に入っているのです(写真⑬)。
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  シャクヤクの鉢にも赤い目がたくさん出ていました(写真⑭)。
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  カリフォルニアローズ(フィエスタ・グランデ)がまだ生きていました。日本では冬越しは困難で1年草扱いですが本来は多年草です。うまく冬を越せたかもしれません。もう少し様子を見ることにしましょう(写真⑮)。
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  これは新テッポウユリの苗床です(写真⑯)。後1ヶ月くらいはこのままにしておいて定植しないといけないのですが植える場所がありません。これは困りました。   
  何とかしないといけません。新テッポウユリの清楚な姿も見たいですね。
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  5日週間の遅れを取り戻すために頑張りましょう。おっと、やり過ぎると再入院ということになるかもしれません。
  とはいえ頑張りすぎには十分注意します。しばらくは病院には行きたくありませんから。

  完

    2014年9月30日(火)

  今、新潟県湯沢町の湯沢町歴史民俗資料館「雪国館」にいます。場所は上越新幹線越後湯沢駅の北約400メートルです。

  炭焼きで使ったフルイです。竹で編まれています(写真①)。
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 これも炭焼きで使った箕です(写真②)。対象が炭なので目が粗くなっています。
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 かんじきとスゲ帽子です(写真③)。
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 これを使って雪踏みをしていたと思われます(写真③の2、③の3)。
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  カモシカの皮の腰当てです(写真④)。熊猟に行くときなどに使いました。今、一番困っているのはイノシシの食害ですね。イノシシは箱猟で捕まえることの方が多いでしょう。
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  熊の皮のタバコ入れです(写真⑤)。昔は熊の皮の敷物が珍重されました。
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  狩猟銃です(写真⑥)。
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 熊獲り名人が登場しました。写真の右から二人目の帽子をかぶった人がそれです(写真⑦⑧)。
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  角巻きです(写真⑨)。イメージ 11

  角巻きと言っても今ではすぐには思い出せません。この写真を見ると分かるでしょう(写真⑩)。四角い毛布で作った肩掛けです。
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  解説も付いていました(写真⑪)。川端康成康成の小説「雪国」はご当地を舞台にしたものですが、文中の「マント」というのが角巻きだということです。
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 角巻きの別の解説です(写真⑫)。要するに毛布をかぶっているのでとても暖かかったことでしょう。
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  往時のスキーです(写真⑬)。
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  昭和34年頃の雪踏みの様子です。かんじきの先端に着いた紐を引っ張って歩いているのが分かります(写真⑭)。
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  雪踏みを終えて帰ってきたところです(写真⑮)。お疲れ様でした。
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  続く



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