続・よねちゃんの車中泊旅行記

4月22日、はてなブログ「よねちゃんの花日記」に移行しました。車中泊旅行記もそちらで継続しています。

過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

    2014年9月30日(火)
 
  今、新潟県湯沢町の湯沢町歴史民俗資料館「雪国館」にいます。場所は上越新幹線越後湯沢駅の北約400メートルです。
 
  唐箕です(写真①)。17世紀の終わり頃から普及し、農家によっては今も現役という優れものです。唐箕は籾の選別機です。構造はごく簡単なもので、子供のオモチャにもなりました。とはいえ、本気で選別するとなると風量の調整が難しいようです。
イメージ 1
 
  見たことがないようなのが登場しました。「籾がちきね」と呼ばれ、千歯扱きなどで脱穀をしても取りきれなかった籾があるとき、これで稲束を突いて籾を外したということです(写真②)。
イメージ 2
 
  これがその千歯扱きです(写真③④)。これも江戸時代中期に登場し、脱穀能率を飛躍的に向上させた優れものです。大正時代に足踏み式脱穀機が普及するまで長く使われました。現在でも種籾用やごく小規模な農家で使われています。
イメージ 3
 
  これがその足踏み式脱穀機です(写真⑤⑥)。発明されたのは明治末期ですが普及するには時間がかかりました。
イメージ 4
 
イメージ 5
 
  これはいつ頃の写真でしょうか。右後方にあるのは石油発動機で、ベルト駆動により脱穀機を回しています。戦後の写真と思われます(写真⑦)。
イメージ 6
 
  サトイモなどを入れて川に入れて固定しておくと、水車のように回って芋を洗いました。きれいな用水のある所なら今もやっているところがあると思います(写真⑧)。
イメージ 7
 
  米俵です(写真⑨)。米を貯蔵するのに最適の袋でした。
イメージ 8
 
  米俵1俵、つまり60キロを背負う人です(写真⑩)。重かったでしょうね。  
  流通倉庫のようなところでは女性でも2俵背負って歩いたようです。さすがに骨粗鬆症にはならなかったでしょうが、腰痛、ヘルニアなど他の骨の病気にはなったと思われます。  
  昭和35年頃に流通単位が現在のような30キロの紙袋に変わりました。米の需要が減ったことも一因ですが、60キロは重すぎるというのも原因の一つだったでしょう。
イメージ 9
 
  右から籾、もみ殻、玄米、米ぬかです(写真⑪)。一番始末に困ったのはもみ殻だったでしょう。米ぬかは漬物などでつかえ、現在のコイン精米機でも持ち帰りが可能です。
  以前、米屋で玄米を精米すると何キロか米屋にピンハネされるという話がありました。もちろん事実無根で、精米すれば大量のヌカが出るので精米の重量はその分減ることになります。
イメージ 10

  往時の米の出荷の様子です(写真⑫)。
イメージ 11
 
  奥で何をしているのでしょう。一旦俵に詰めてから台秤で計量し、過不足を調整しているように見えます。手前は軽量が済んだものを俵締め機で荷造りしているところです(写真⑬)。
イメージ 12
 
  俵に米を詰めるときはこの漏斗を使いました(写真⑭)。
イメージ 13
 
 
  続く
 

全1ページ

[1]


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事