続・よねちゃんの車中泊旅行記

4月22日、はてなブログ「よねちゃんの花日記」に移行しました。車中泊旅行記もそちらで継続しています。

第23回大旅行(2014年9月)

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    2014年9月30日(火)

 今、新潟県魚沼市須原の須原公園にいます。場所は只見線の須原駅のすぐ北西のところにあります。公園の中にある守門民俗文化財館を見学中です。

 カンテラがありました(写真①)。手提げ用の灯火具です。光源はロウソクでした。
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 六角形の手提げ提灯です(写真②)。一般の折りたたみ提灯よりは使いやすかったでしょう。行灯というのは動かせる灯火と言うことでしょうから、このまま取っ手の付いた行灯と言った方がいいかもしれません。
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 炭火アイロンがありました。見た格好が蒸気船かラッセル車に似ていてお母さんが使わないときは子供のおもちゃになりました(写真③)。
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 炭火アイロンが普及するまで使われた火のしです(写真④)。先端のさらに炭火を直接入れてアイロンがけをするというものでした。
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 火のしよりも歴史の古い火ごてです(写真⑤)。先端が尖っているため使い勝手がいい場合があり、熱源が電気になった今でも同型が使われています。
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 燭台がありました。先端に釘のような突起物があり、ロウソクを刺しました。ロウソクをできるだけ高いところに置くと部屋が明るくなるからなのですが、転倒の危険も高くなります。おまけにロウソクが無いときは目を突く危険もありそうです(写真⑥)。
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 さて、これは何でしょう。精巧に加工された石です。男根信仰のご神体、すりこぎ棒、ただの飾り・・・、見当も付きません(写真⑦)。
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 こういう展示になりました(写真⑧)。
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 裃(かみしも)と呼ばれる服です(写真⑨⑩)。江戸時代は武家の正装にもなりました。写真のものは上と下が違う生地で作られていますが、こういうものを継ぎ裃と言うそうです。
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 美しい色の小袖です(写真⑪)。和色の呼び方は様々で、この色が何と呼ばれるか言い当てるのは困難です。
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 洗濯板と盥(たらい)です(写真⑫)。電気洗濯機が登場すると出番が無くなりました。昨今、その洗濯機も持っていない人が増えているそうです。そういう人は洗濯をしないわけではなくコインランドリーを使っているそうです。
 確かに洗濯機は重いし大きいしうるさいしで、独身ならそれも合理的かもしれません。
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 同じ盥でも、これは味噌桶です(写真⑬)。味噌を仕込むとき、煮た大豆をつぶしたものをこの中に入れて塩を入れながらかき混ぜたのです。中にある木の杓文字はその際に使うものです。
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 「味噌カイギ」という名がついた手桶です。味噌を汲むときに使ったとあります。大きな桶から小分けするときに使ったものでしょうか(写真⑭)。
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 面取り機がありました。一般に面取りとは木材などの角を丸面に加工することを言いますが、この道具の上の金属部のどこが刃になっているのでしょう。素人目には分かりません(写真⑮)。
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 往時の火鉢です(写真⑯⑰)。陶器製の染め付け文様の火鉢もありますが、こちらの方が衝撃に強くて丈夫です。見栄えという点では陶器製の方が勝るでしょうか。
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 鍛冶屋が使っている鞴(吹き子、ふいご)です(写真⑱)。今でも一部で現役のようです。
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 では次に行きましょう。

 続く

    2014年9月30日(火)

 今、新潟県魚沼市須原の須原公園にいます。場所は只見線の須原駅のすぐ北西のところにあります。公園の中にある守門民俗文化財館を見学中です。

 蠅取り器がありました(写真①)。くみ取り式の便所が当たり前だった頃、蝿は身の回りにたくさんいました。今は一見、どこにもいないように見えますが、試しに賞味期限の過ぎた肉を外に放置するとたちまち蝿が集まってきます。昔ほどではありませんが、蝿もちゃんと命を繋いでいるのです。
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 中央は徳利、両側は銚子です(写真②)。
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 これは何だったでしょう。鰹節削りでしょうか(写真③)。
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 再び櫓付きの行火です(写真④)。
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 ダルマ様がこちらを見ています(写真⑤)。
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 ダルマ様の後ろに回るとこうなっていました。火鉢だったのです(写真⑥)。
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 火鉢とも行火(あんか)とも言えそうな感じです。名札は行火となっています(写真⑦)。上に覆いがあるのはすべて行火と言うことかもしれません。
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 典型的な行火です(写真⑧)。
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 これは覆いがかなり進化した行火のように見えます(写真⑨)。
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 これは何でしょう。名札が横を向いていて読めません。小さめの鋳物製コンロだと思います(写真⑩)。
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 灯油ランプです(写真⑪)。
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 これもよく分かりません。魚焼き器でしょうか(写真⑫)。
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 「穀用18リットル」という焼き印がある円筒形の枡です(写真⑬)。いわゆる一斗枡です。
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 中央は純良氷醋酸20リットル入りの甕です。工業的に作られたもののようですが、用途は何だったでしょう。調味料ではなさそうです(写真⑭)。奥には甕があります。
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 焼酎を入れる甕です(写真⑮)。焼酎、おいしいですね。
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 「月花催茶席」と彫られていて、茶釜で湯を沸かす火鉢だと思われます(写真⑯)。
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 続く

    2014年9月30日(火)

 今、新潟県魚沼市須原の須原公園にいます。場所は只見線の須原駅のすぐ北西のところにあります。公園の中にある守門民俗文化財館を見学中です。
 中央は蒸し器です(写真①)。
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 こね鉢です(写真②)。そば、うどん、団子などをこねるのに使われました。
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 大小のこね鉢です。大きいほど使いやすいですが、ものや量によっては小さい方が便利なときもあります(写真③)。
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 各種ザル、うどん上げなどです(写真④)。
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 羽釜と釜敷きです(写真⑤)。
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 羽釜の中に入っていたのは大きな杓文字でした(写真⑥)。こういう大きな釜で炊きあげたご飯、おいしかったでしょうね。
 今の電気釜もとても性能が向上しましたが、その分、これが炊飯器かと思われるくらい高価なものになりました。一時期、中国人に大変な人気があったようです。
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 これは移動式の鋳物製かまどです。コンロと言った方がいいでしょうか(写真⑦)。こういうものも災害等に備えて備えておくといいでしょう。石油コンロの方が使いやすいかもしれません。
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 これは手桶の底です。桶の部分は無くなり、何か書かれている底だけ残ったようです(写真⑧)。
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 わざわざ、書かれていた詩の解説までありました(写真⑨)。どうも俳句が3句書かれているようです。
 江戸時代は俳諧がとても盛んでした。今、テレビのプレバトの夏井先生が人気ですが、これで多くの人が古い俳句も鑑賞できる教養を身につけることができれば素晴らしいことと思います。
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 飾り気の無い昔のラジオです(写真⑩)。
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 一種のザルです(写真⑪)。
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 これは箕のような格好をしていますが、使い勝手がいいので台所まで進出したと言うことでしょう(写真⑫)。
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 湯たんぽです(写真⑬)。
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 一斗枡です(写真⑭)。俵には4斗入り、現在通用している紙袋には2斗入ります。米の一斗は約15キロ、昔の人にもさすがに重かったので取っ手が付いています。
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 行火もありました(写真⑮)。行火は移動式なので櫓炬燵の中に入れたり、就寝の時に布団の中に入れたりしました。今だと身の危険を感じそうです。
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 右の行火は小さい櫓に入っています(写真⑯)。これだと安全という感じがします。電気が登場すると、この行火、熱源を電気に変えて昭和40年代まで使われることになりました。豆炭行火の方が小さくて使いやすかったと思います。
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 続く

    2014年9月30日(火)

 今、新潟県魚沼市須原の須原公園にいます。場所は只見線の須原駅のすぐ北西のところにあります。公園の中にある守門民俗文化財館を見学中です。

 こういう展示になりました(写真①)。例によって詳しく紹介しましょう。高いところにあるものもあって、名称不明のものもあります。
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 まずは手桶です。  左の黒い箱は名札が向こうを向いています(写真②)。
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 樽、右は角樽です(写真③)。蓋があって密閉できるのが樽です。恐らく酒を入れたと思います。こういう樽詰めの酒、おいしかったことでしょう。
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 楕円形をした蓋と足のついた桶です。両側に付いている耳に紐を通して持ち運んだと思います(写真④)。
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 箱膳と思われます(写真⑤)。
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 こういうお櫃は今も旅館などで現役です(写真⑥)。
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 この白木の箱は何を入れるものだったでしょう(写真⑦)。右は重箱の一種でしょう。
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 曲げ物細工の容器です。フルイだったかメンパのような弁当箱だったか、横から見ただけでは分かりません(写真⑧)。
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 黒塗りのお櫃だと思うのですが違うかもしれません(写真⑨)。
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 左は菓子鉢でしょうか(写真⑩)。右は豆腐箱という名札が付いていました。
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 右は今で言う小さい整理タンスです(写真⑪)。
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 これも整理タンスです(写真⑫)。もう少し大きいと百味タンスになるでしょう。
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 左端は赤鍋というから銅鍋です。それ以外のものは鍋のように見えますが、注ぎ口が付いているためどれも「片口」と呼ばれるようです。
 これがあるとこの容器から直接注ぐときに便利です。しかし、どこかにぶつけてすぐに壊す可能性も大きいでしょう(写真⑬)。
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 色々な什器で一番変わっていないのがこのすり鉢です。残念ながらこのくらい大きなものはもう一般家庭に居場所はないと思います(写真⑭)。
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 すりこ木、柄杓入れ、今川焼きか何かのお菓子を焼く道具です(写真⑮)。
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 手提げ箱です(写真⑯)。同様のものは現在も新品が手に入ります。遊山箱と呼ばれることもあります。
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 岡持ちです(写真⑰)。元々は遊山用ですが、飲食店が発達すると出前用にも使われました。
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 続く

    2014年9月30日(火)

 今、新潟県魚沼市須原の須原公園にいます。場所は只見線の須原駅のすぐ北西のところにあります。公園の中にある守門民俗文化財館を見学中です。

 囲炉裏のある部屋にいます。羽釜がありました(写真①)。テレビではこういうかまどで焼いたご飯が特においしいとか、我が社の電気炊飯器はかまどに負けないなどと喧伝されています。
 まあ、素人では判断がつかないでしょう。それにしても電気炊飯器が高くなりすぎましたね。今のが壊れたときは安いのを試してみようと思います。
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 鉄瓶と柄杓です(写真②)。
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 右は付け木、左は木を薄く削って付け木を作るカンナのような道具です(写真③)。
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 付け木の解説です(写真④)。明治以降はマッチが普及していくのですが、田舎では戦前までこういう付け木も併行して使われたようです。
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 棚の上には提灯箱、横木を付けて紐と木の枝で色々なものを吊せるようにしてあります。今だと百均店で売っていそうですが、往時はこういう鈎を自然の木の枝で作りました(写真⑤)。
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 柴がありました。左の黒いのは自在鉤です(写真⑥)。
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 燭台とハエ叩きです(写真⑦)。今は普通ではハエを見かけることはありませんが、鶏糞などを庭に放置するとすぐにハエが寄ってきます。今でもどこかにいることはいるのです。 
 鶏糞の一部を地上に露出したままにしておいたところ、ウジがたくさんわいてびっくりしたこともあります。
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 見たことがないという人も多いでしょう。裁縫の道具でくけ台といいます(写真⑧)。
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 優雅な感じの鉄瓶です(写真⑨)。
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 これが何であるか分からなくなりました。餅箱かな。上の甕には何を入れたのでしょう(写真⑩)。
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 「袖無し」です。半纏のような大きな筒袖がないので動くのにとても便利でした。今でも同型のものが普通にありますが、多くはベスト、チョッキなどと呼ばれ、袖無しと呼ばれることは稀のようです(写真⑪)。
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 草履の一種だと思われます(写真⑫)。ワラ製だと降雪時の防寒用には間に合ったでしょう。
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 こういうわら靴、魅力的です。時々雪国の行事の中継でこれを履いた女の子が登場しますが、そのときだけは寒いところだというのを忘れて、こういうものも履きたいなと思います(写真⑬)。
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 煤(すす)で真っ黒になった神棚です(写真⑭)。
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 須原村と書かれた提灯箱です。高張りとは長い柄の先に付ける提灯のことです(写真⑮)。どうも消防の装備品だったようです。
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 囲炉裏の部屋の紹介はこれで終わりです。次に行きましょう。

 続く

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