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市民公開講演会「アフガニスタンに命の水を」を聴講して
顧問 野田芳隆
1984年パキスタンのペシャワールにてハンセン病診療に携わって以来30年に亘るアフガン難民と「ともに生きる」をモットーに艱難辛苦に耐えながら辿ってきた中村医師の足跡の一端を拝聴できて強く感動しました。1988年ソ連軍のアフガンからの撤退後戦争が鎮静するどころか反政府勢力の活発化と300万人以上の難民であふれる中、日本の良心的な人々の支援での難民キャンプ中心の診療活動をしながら、1991年には山岳無医地区に3つの診療所を立ち上げ1998年にようやく基地病院PMS設立した頃、タリバンがアフガン全土を制圧した為にアメリカと国連による経済制裁が発動され、増々国土が荒廃していった。更に2000年6月未曽有の大干ばつが重なったので水源確保のため井戸掘削と地下水路復旧を開始するも難民の命と生活を守るためには大地に緑を取り戻す必要があり、雪解け水の流れるクナール河の水を、日本の先人の知恵である「斜め堰」に学んで取水することに腐心したとのことであった。導水路建設にあたっては、住民が数百人規模で古来の石垣構築法を駆使してお互いが助け合っての事業となり2009年には全長25kmに及ぶ灌漑用水路を完成させ、草一本もない荒涼たるガンベリ砂漠を3000ヘクタールの緑地に変える大事業を成し遂げたのであった。完成の暁には、日本人と現地の労働者が「同志」として屈託なく笑い合う映像を見て感動で胸が一杯になった。これこそが「真の現地協力」であり「共に生きる現場」であってその根底にあるものは「異質な文化への理解と畏敬と包容力」以外のなにものでもない。中村医師のいう「日本人の心意気」は、本人の母方の伯父の芥川賞作家火野葦平氏の「戦争と平和の相克に悩んだすえに自決した」生き様に相通じるものがあるのではないだろうか。
市民公開講演会講師に長年招聘をお願いしていた中村哲医師が超多忙なスケジュールの中、佐賀の地に来ていただいた事に深謝して稿を終えます。 佐賀県保険医新聞2014年9月号 掲載 野田芳隆記
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感謝の気持ちは赤に近いオレンジ色です☆
何言ってんだ??となってますよね(汗)
私なりにどうにか感謝の気持ちは伝えられないものかと思って考えてみた言葉だったんですが…
ぽかーんとさせてたらすみませんm(__)m
でも本当にyonoda7さんが書いたブログにぽかぽかにしてもらえたんです(○^▽^○)
光さえ届かない部屋に閉じ込められていた…は言い過ぎなのかもしれないんですが、
心境的にはそんな感じで無理やり笑うことさえ出来ない状態だったところから救われました☆
本当に突然ですみません。
ただ私の中でちゃんと感謝の気持ちを伝えないと今までのように立ち止まったままになってしまうかもしれないって危機感があったもので
あの…メールでお話してもらうことって出来ませんか?(´ェ`*)
grape.sao@i.softbank.jp
メール楽しみにしてますヾ(´▽`*;)
でも迷惑だったら抹消してください。
2015/9/25(金) 午後 1:06 [ ind***** ]