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11月20日、21日の1泊2日で、宮城県の秋保温泉にとまりながら、石巻市の震災復興状況を見たり、当時の、地域の状況を石巻市の民生委員の人に、バスでガイドしてもらいました。
私はクリスチャンですので、この旅行の安全と、民生委員の皆様と楽しく旅行できるように、祈っていました。
また、震災の年の5月、1日ボランテイアで、石巻市の、1軒のお宅の泥だしなどしたこともあり、この1年8か月でどう、変わったか、興味がありました。
バスでの見学でしたが、沿岸部では、ガレキが高く積み上げてあり、60年分のゴミだそうです。
門脇小学校の前は、住宅があったのですが、全部、流されて、空き地になって、草がはえていました。
この地域は、火災がでて、流れてきた車のガソリンが燃えて、そこにガレキが一緒になって燃え、門脇小学校につっこみ、学校が燃えたようです。
まだ、学校が残っていて、、黒くなっているところもありました。それを、震災の貴重な建物として、残すか残さないか検討中だと言っていました。
屋上にSOSを書いて、助けを呼んだ、小学校などもみることができました。
門脇小学校のすぐ裏手は、小高い山になっていて、ほとんどの生徒は、先生に誘導され、逃げることができたそうです。
しかし、下校時間が過ぎていたので、家に帰る途中に亡くなった生徒も多かったようです。
北上川を逆流して、6メートルの津波が市外にはいり、道路は、川のようになり、家が流され、車が流され、多くの人がなくなりました。
缶詰工場が被災し、ガレキの中から光るものが見つかったとき、それが、くじらの缶詰だとわかって、避難所にもっていって、被災者に配ったそうです。私たちは、昼食を石巻市内で、食べました。そこは、結婚式場にもなっていたようですが、2階は大広間があって、私たちは、そこの丸テーブルに9人掛けで座りました。天井には、すばらしいシャンデリアがありました。
ウエイトレスさんにお話しを聞きましたが、1階は天井まで水で覆われたとのことです。再開まで、いろんな苦難があったでしょう。
私たちが、そこに行って、地域で取れた、魚や野菜やコメで作った料理を食べたり、お土産を買う事が被災者支援につながるという事で、お土産も、たくさん買ってかえりました。
1泊目に泊まった秋保温泉では、地震後、大勢のボランテイアの人がとまって、そこから、被災地にバスで通ったといっていました。
人と人との、絆、連携が今の被災地の復興につながっているんだと感動して、かえってきました。
もう、1年8か月になりますが、あの時、全国の大勢の人たちが、被災した人々の必要を自分たちのできる範囲で支援してきた思いが、今の、被災地の復興に通じているんだと思います。
フオークリフトがいたるところで見ました。「ふんばろう東日本プロジェクト」で失業したり、漁業ができなくなり、仕事に就けない人にフオークリストの資格を取ってもらおうという、主旨で、1口3000円を寄付したことが、今、この復興の為に役だったと思いました。
人の思いは通じます。
私たちの一人一人のできることをして、支えた結果、当時、食べるにも、着るにも、何もなかった人たちに、心の励ましになったと思います。
東日本大震災の主な被害状況
現在、石巻市の人口は、1万に減少したとのこと。震災が原因。
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お疲れ様でした。
実家の墓は門脇小学校のすぐそばにあります。
菩提寺の本堂も被災しました。
石巻への援助に感謝します。
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2012/11/23(金) 午後 0:11
ミックさん、門脇小学校のそばだったんですね。
みんな、流されてしまっていました。大変な1年だったんでね。
2012/11/23(金) 午後 0:28 [ nojimapark ]
突然のコメントで失礼します。
あの震災からもう2年経とうとしていますが早くも首都圏の人間の意識には風化しているように見えます。そもそも復興が遅れているのは「我々首都圏の人間のせいではないか?」と私は今でも贖罪意識があります。それは我々首都圏の人間が便利な生活を求めたが故に「原発」を地方に押し付けてしまった「罪」です。あの津波のニュース映像を見たとき「ノアの大洪水」の神話が脳裏をよぎりました。そして思ったのです。「あの津波は本来であれば原発を押し付けた傲慢な我々首都圏人が受けるべき唯一神ヤハウェの天罰である」と・・東北の方々には本当に申し訳なく思っています
2013/8/23(金) 午前 3:51 [ マクシミリアン・テルミドール ]