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私たちが、3月11日、大きな揺れを感じました。
その揺れが、日本の端の、九州までとどくのに、5分かかったそうです。
地震のあと、30分で、津浪がおしよせ、家や、車が津波に流され、そ
こにいた、人々が、壮絶な生死の戦いをされていた、本をよんだ。
津波からの生還 東日本大震災石巻地方 100人の証言 旬報社
天井近く水位上昇 両親と階段目指してもぐる。
震災当日は、女川町の得意先に着物を届ける予定で、午後2時ごろに店
をでるはずでした。
たまたま、お客が来会し、話しているうちに、地震に会いました。
激しい揺れが続き、展示用の着物や小物が倒れ、照明がくずれました。
揺れが収まり、店の外に出たら、歩道に段差ができ、近所の人が「大津波
がくるから日和山に逃げる」と言って、目の前を通っていきました。
父が正面玄関の鍵をかけ、私は半信半疑で着物を2階に上げました。
店内から、アイトピアの通りを見たら、喫茶店の看板がサーという津波の
音と共に流れていきました。
黒い水が渦をまいた状態で50センチの高さになっているのを目撃した時、
店内にいた父と母(80)に向かって、「だめだ、早く上に上がろう」
といいました。
必死にもがく
その瞬間です。東側のガラス戸ガ「ドーン」という音とともにくずれ、津波が
一気に流れ込み、天井近くまで上がりました。
三人とも、体は浮いて首から下は水につかり,足をバタつかせながら、必
死にもがいていました。
近くに、備え付けのかがみがあり、「鏡のへりに手をかけなさい」と両親に
言いました。
皆でどうにか浮いた状態で手をかけました。
その後どうするか、一瞬考え、店の裏階段に逃げる以外助かるてだては
ないと思いました。
その為に1メートルほどの先のかもいの下をくぐって、進むしかありませ
ん。
しかし、その時、すでにかもいの下まで、水が上がっていました。
「助かる道は潜るしかない。」三人で、潜って顔を出すと、流しがあり、その
先のかもいの下をくぐらないと裏階段にたどりつくことはできません。
まず、私がかもいのしたをくぐり、泳いで階段にたどり着いたとき顔の出
る、場所を確認しました。泳いで、両親のもとに行き、「潜る時は、少し長く
息を止めなさい。」と言いました。
かもいの下から階段まで、2メートルくらいでしたが、母は泥酔を飲んでしま
いました。
次は父ですが、2回目に成功して、階段まで引っ張ることができました。
ずぶぬれのまま、3階に上がると、地震の激しい揺れで食器がくずれてお
り、足の踏み場もありません。
夜は、サーサーという気味の悪い津波の音が何十回も聞こえ、南側の窓
から日和山の向こうが真赤に、燃えているのが見えました。
翌朝、水が引いた店内はヘドロまみれで、畳がおおきくめくれあがり、あら
ゆるものがなぎ倒されていました。
流れてきたがれきがぶつかったり、壁やガラスもくずれており、とにかく手
のつけられない惨状でした。
悲惨さに絶句
アイトピアは、津波で流された車が愚かさなり、店の向かい側の空き地店
舗には車が突き刺さっていました。
店にものすごい勢いで津波がおしよせ、必死で水にういている時、「なんで
ここに」と考えました。
今でも信じられませんが、津波の恐ろしさを知り、「想定外」もありえるのだ
と理解した。
津波によって、旧北上川がモンスター化し、自然の恐ろしさを痛感しまし
た。
思い込みは危険です。「とにかく、逃げる」万一の際の対処法はこれしかあ
りません。 安部紀代子(50) 八幡家代表取締役
。
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