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ヨセフとマリヤには、ベツレヘムの街の灯が、賑わいが、
もう目の前に迫っている。
身重のマリヤの疲労がピークに達してていることだろう。
ふたりは皇帝アウグストの住民登録をせよという勅令に従って、
ベツレヘムへと旅立った。
イエスの誕生はある時、突然、誕生したということではない。
それは前から告げられていたこと。
神の救いの計画の中にある出来事として。
それも救い主キリストの誕生として。それがイエスだった。
その現れが救い主の誕生を祝うクリスマス。
それが預言者たちを通して、聖書において前から約束された、
御子に関すること。
肉によればダビデの子孫として生まれると。
その誕生の地はベツレヘムと定められていた。
ついに住民登録のためにそこにいて、マリヤは月が満ちて、
イエスを産んで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。
ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子
が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思
議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。その
主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、
その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これを
ささえる。今より、とこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し
遂げる。イザヤ9:6〜7
この預言はキリスト・イエスが「今より、とこしえまで」と、
このクリスマスだけではなく、後の世のことにも及ぶのだと。
それもキリストは私たちと何も変わることがなく、
女から赤子として誕生する。神の熱心が実行された。
いまの時代、多くの人々はクリスマスを楽しみの日としている。
けれども、それが本当の喜びの日とはしていない現実がある。
それは救い主がイエスとして誕生したことを知らないゆえに。
その日、人は言う。「見よ。この方こそ、私たちが救いを待ち望
んだ私たちの神。この方こそ、私たちが待ち望んだ主。この御救
いを楽しみ喜ぼう。」イザヤ25:9
ここには、イザヤのこころからの喜びが現わされている。
羊のようにさまよい、自分かってな道に向かっていた私たち。
そんな者を神は愛し抜いて、必ず、迷った羊を見つけ出すお方。
神の熱心が失われた羊を捜し求めてくださる。
神は罪を犯して隠れたアダムとエバに、あなたはどこにいるのか
と呼びかけてくださった。
神は選びの民を決して忘れもしないし、無関心でもないお方。
こう言っては何だが、私たちの神はお熱いのがお好きだ。
イエスは失われた人を捜して救うために来た。
今は、たましいの牧者であり監督者である方のもとに帰っている。
私たちはもう、救い主キリストを待ち望む必要がない。
キリストはすでに来ているから。
私たちはイエスを信じ、救われた御国の民となっている。
死からいのちへと移された。さあ、大いに喜ぼう。
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