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音読、朗読の練習を少しずつ粘り強くやっております。 先日は、大きな声を出す練習をしました。 一光社から出ている「音読の練習帳」を使ってやることにしました。 そこには、大きな声をだす音読遊びがたくさんのっています。そのなかに、応援団のセリフものっていました。 もうすぐ音楽会ということで、とくに緊張している子どもたちに「エールを送ろう!」と持ちかけ、応援団のセリフで名前のところを変えてやりました。 フレーフレーたかし!フレフレたかし!フレフレたかし!オー!!!(仮名) ってな要領です。 大きな声を出すのが目的では気合がはいりません。現実に大声を出す意味があってこそ、気持ちが入るものです。 応援された子達は、照れくさいやら勇気付けられるやら、嬉しそうな顔をしていました。 音楽会まで毎日、何人かずつエールを送って、大きな声を出すことの楽しさを味わわせていきたいと思います。
来年の1月に、国語の授業公開をすることになりました。 読む力を伸ばすことが学校の研究テーマです。 そんなこともあって、もう一回原点に立ち返って「国語を学ぶのはなぜか?」を、いろんな人の本を読みながら考えました。 「16歳の教科書」という本の中で、金田一秀穂さんが書いていたことが印象に残りました。 いわく、 国語というものが情緒的になりすぎているところがあります。つまり、美しい文章や感受性豊かな文章を書けることが国語力の証のようになっている。ベタベタした、甘ったるい文章が「美文」と思われるようになっている。でも、言葉にとって大切なのは、見た目の美しさではありません。何よりも先に「正しさ」なのです。(中略)もう少しピュアな言語能力を磨く訓練というものを、もっとやっていいんだろうと思いますね。とにかく情緒を切り捨てること。事実と論理だけで文章を組み立てること。それこそが、ほんとうの国語力を高めていくポイントなのかもしれません わたしは、たしかにそうだなと考えました。子どもの話や感想文を聞いたり読んだりしていて「うわーって思った」「きれいだった」「楽しかった」という情緒的な表現でまとめられてしまうことが多い。 そんなときもあっていいが、気持ち一つを表すのにも、風景ひとつを表すのにも、 語彙を精一杯使って、言葉に変換していくということは大事だと思います。 で、さっそく授業でやってみました。△や☆、□など組み合わせた簡単な図をみて、それを文に表し、友だちにどんな絵か再現してもらうのです。 うまく再現してもらえたら、相手にきちんと伝わったことになります。 どの子もゲーム感覚で楽しめた授業になりました。 と、偉そうに書いている私も、文章表現が苦手です。短気なので、ついつい省略して、飛躍した文になりがち。このブログもそうなっていることと思います。 いつも、読んでくださる皆様。私の意図を上手に汲み取っていただき、いつも本当にありがとうございます。
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