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続き。
いきなり、
「旅順口」
でた、「旅順口」です。
これが、「旅順口」です。
日本の命取りになりかけた「旅順口」です。
広瀬武夫少佐の眠る「旅順口」です。
猛烈な感動でした。
旅順港内の「ロシア旅順艦隊」と「バルチック艦隊」が呼応させない為に、軍令部は「旅順湾閉塞作戦」を施行。旅順湾の幅は273ml。実際に艦が航行できる深さのある幅は91ml。そこに日本の老朽艦を沈めて封鎖させる作戦です。
1904年2月24日、3月27日、5月2日に3度にわたって作戦実行するが、いずれも不発。2回目の作戦にて、広瀬武夫少佐(死後中佐へ)が命を落とした。
まさに、その場所にたっていたのでした。
「第二次 旅順口閉塞作戦」
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/8b/Attempt_of_blocking_Port-Arthur.jpg/200px-Attempt_of_blocking_Port-Arthur.jpg
向こうに、旅順口がみえます。
「広瀬武夫軍神」
豊後高田出身です。今度いってみなくては。
この、広瀬武夫少佐の「死」から旅順の戦い、旅順の悲劇が始まったのです。
そして、ついに、ついに、ついに、その「白玉山」から、あの「二百三高地」を拝むことができました。
それが、
続く。
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