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福知山(6)

続き。
で、ようやく、
イメージ 1「七の滝」
 
後半は、ほとんどスタンプラリーでした。
あんまり、滝本来のだいご味を感じずに
ただ、ひたすら写真をとるだけ。
 
ただ、流石に「七の滝」は少し感動しました。
 
 
 
 
 
 
で、ここで、もうほぼヤケクソ状態。
どうやら、この道は、福知山登山道らしいというのは気づいていたので、
てやんでい、乗りかけた船だ! 頂上を目指そう。
 
ミス③。僕は「福知山」はせいぜい500-600ml級の山だと考えていました。
以前、この「福知山」の横の「尺岳」は登った事があり、そこまできつくなかったので、軽い気持ちで登山開始となりました。だが、実際は900mlの立派な山。
繰り返しますが、シャツ・ズボン・靴は通勤用。かばんはリュック。中には書類。かばんの横のポッケには、半分のんだ後の「綾鷹」1本。しかも、その前日、痛飲をしてしまい、朝、気持ち悪くて、朝食・昼食を食べてないと来ています。
登山愛好家なら、「山をなめるなぁー」って感じでしょうか。
ただ、こういう体力には自信があったので、本当に、軽い気持ちで歩を山頂へと向けました。
後で、地獄が待っていようとは。
 
イメージ 2
「登山案内看板」
 
ぁーー、「尺岳」にしておけば良かったー。
 
 
 
 
 
 
 
ただ、この頃はまだ余裕で、「あー、スピリチュアルないい感じだぁー。」なんて。
イメージ 3「福知山登山道」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
登山道の途中で、たまたま
イメージ 4
「下関要塞の石碑」
 
??
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
帰って調べたのですが、「下関要塞」は明治19年に、陸軍省が、西日本方面では、特に関門地区防衛のため下関・門司地区に砲台などの要塞施設を構築しました。当時、世界屈指の巨大戦艦といわれた「定遠」、「鎮遠」を保有する清国北洋艦隊の来襲が大きな脅威となっていたからだとの事です。関門海峡を挟むように、下関・彦島・門司・小倉地区に砲台および保塁が構築されました。「砲台」とは敵艦船と砲戦することを目的とした陣地で、「保塁」とは砲台の背面防御を目的とした近接戦用の小口径砲を備えた陣地。ただ、この「福知山」にその「砲台」「保塁」があったとの記載はありませんでした。何だろう。何か、観測所みたいなものがあったのでしょうか。
 
で、この頃より実は、急激に体力が低下してきました。脱水症状、もしくは低血糖症状です。本当にだんだん目の前が少し白くなってゆく感じでした。本当に、このまま引き返そうかとまで考えましたが、なんとか登ろう。登って休もうと考えました。 本当に、山頂後半は少しフワフワした感じでした。体力に自信はあったのに、30歩、歩いては歩をやすめ、30歩、歩いては、歩をやすめ。下山中の人に何か分けてもらおうと考えましたが、なかなか下山の人に会えず。しかも、信じられない事に、なんかその登山道でランニングレースをやっていて、登山道を走って降りてくる人には4-5人会いました。
そんなこんなで、ふらふらになって山頂へ。
 
で、景色を見る前に、山頂で、本当に30分くらい爆睡をしました。
本当に熟睡して、目が覚めるとかなり体力は戻っていました。
そして、写真を撮りまくり。
 
続く。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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