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またまた、写真の整理
北九州市在住なmので、またまた北九州市ネタを。
北九州市、もともと、小倉市、戸畑市、八幡市、若松市、門司市の5市が1963年に合併して、現在の北九州市になりました。ちょうど、今年が合併して市制50周年ということで、色々なイベントがあったようですが、今一つ盛り上がりに欠けていたようです。
その原因の一つに、今一つ、北九州市民は、市民全体の一体感にかけるところにあると思います。その原因は、所詮、ライバル同士であった5市が合併したからまとまりがないのかと思っていましたが、もっと根が深いようです。
原因は、もともと北九州市を構成している地区が、まったく違う国だったということです。それどころか、敵対する国同士の一部が同じ市民になってしまったところに悲劇?があるのです。
つまり、北九州市の半分から東は、旧豊前藩。西は、旧筑前藩。豊前藩は細川氏の後、国入りしたのが小笠原氏。豊前に入国したのは小笠原忠真。播磨国明石藩より入封しました。忠真は徳川家康の外曾孫で、母親は松平信康の娘であり、バリバリの譜代大名なのです。というか、ほぼ親藩です。一方、筑前・福岡藩は、言わずと知れた、外様の中の雄藩、黒田藩なのです。譜代と外様の藩。かつての藩は、ほぼ異国ですから、その住人が一つの「市」という狭い自治体の中にいるのです。いくら現代は、人の出入りが流動的とはいえ、まったく違う風土が100万(弱)都市を形成しているのは、日本広しと言えども、北九州市だけなのではないでしょうか。
では、豊前と筑前の境目はどこなのでしょう。
ということで、物語探しをしました。
例によって、僕の愛車の自転車「璞号」で。
戸畑区と小倉北区の境目。
その戸畑区側です。
この小倉川に、境川という、まさに豊前と筑前の境目になる川があります。
境川の一番海側です。
こっから物語が始まります。
向うに見えるのが新日鉄八幡の戸畑工場。
「お汐井汲みの場」という碑が立ってます。
「境川」
上ってゆきます。
「境川橋」
都市高速下にある橋です。
そして、その「境川橋」の少し上流に
今回の物語の主人公ともいうべき「国境石」です。
「従是西筑前国」
と書いております。
福岡藩が天保12年、1841年に建てたものだそうです。
銘文の筆者は、福岡藩の書家、二川方作という方だそうです。
これはレプリカで、本物は、北九州市立「いのちのたび博物館」にあるそうです。行ったことがありますが、気づきませんでした。
もくぐってゆきます。
上流を目指します。
なごみます。
何の鳥かはしりません。
いい天気です。
でも、このあたりの「中原地区」が豊前と筑前の大紛争地帯だったそうです。
昔は、これより大きい川だったのでしょうが、目と鼻の先ですね。
これを、川と呼んでいいのでしょうか。ほぼ、溝です。
「両国橋」
境川にかかる小さな橋です。
豊前国と、筑前国の両方にかかる橋だから、両国橋???
「境川」
その後、境溝、もとい、境川は、3号線バイパスの手前でついに、姿を隠します。
ただ、おそらく、川の流れであろう方向に向かってゆくと・・・・
「金毘羅池」
非常に整備された池に出ます。
池の周りはちょっとしたランニングコースになっており、家族連れや、アベックが池を眺めながら、楽しんだり、くつろいだりしていました。
その中、黙々と、調査したら・・・・
ありました。今度はなんと、池の中に
2個目の国境石です。
金毘羅池にある事は知っていましたが、この池が以外と大きいので、探すのに以外に時間がかかりました。
だれも、見向きもしてません。
それを写真で撮るのは、ちょっと気持ちいいです。
「金毘羅池の国境石」の案内板に、他の国境石の情報が、地図付きで載ってました。
ここで、さらに情報ゲットです。
なんだか、昔やった、テレビゲームのドラゴンクエストみたいです。
物語はまだまだ続きます。
「おそらく国境であろう道」
この辺は、どこが国境かはわかりません。
ただ、次の国境石を目指すための、最短路を走っているだけです。
でも、200年も前の国境を想像しながら、現代の道を走るのは本当に楽しいです。
豊前国からみる、筑前国の山です。
今まで、「皿倉山」をこんな見方をして眺めたことはありません。
なんて新鮮なんでしょう!!
楽し過ぎます。
そして、
「高見3丁目の国境石」
本日3個目の国境石です。
ドラゴンボールにも似てきました。
第2話につづきます。
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