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行橋紀行5

つづき。
 
豊津といえば、豊前の国府が置かれていたところ。
前回の旅で、国府跡は行ったので、国分寺跡に行ってみました。
 
「国分寺」1
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
国分寺は、奈良時代に聖武天皇の勅願(741年)により、全国の国ごとに設置された国立寺院です。僧寺と尼寺の二院制がとられましたが、当時各地で疫病が流行し、不作が続く中で、仏の力にすがって平安な国家にしてゆきたいという願いが込められていました。
国家から手厚い保護を受けました。当時最先端の技術で造営された国分寺は建物の先進性はもとより、仏教の教義を説き広める意味から、その地方の文化の中心的な役割も果たしました。
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「三重塔」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
九州にいて奈良気分が味わえるなんて、素敵ですね。
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「三重塔」2
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
美しいです。青い空に映えます。
イメージ 3
「三重塔」3
 
 
 
天平の
屋根の向こうの
うろこ雲
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
青と朱のコントラストが絶妙です。
 
続いて、育徳館高校の思永館講堂です。
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「育徳館黒門」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
小笠原藩が、長州戦に敗れ、豊津に移った後、ただちに藩勢再興を子弟の教育に託すため、藩校を設けました。
この門は、その藩校(育徳館)の校門です。
育徳館からは、優秀な人材を輩出しています。
藩校時代には、岩垂邦彦(日本電気−現NEC−創業者)、奥保鞏(陸軍元帥−日露戦争では第2軍司令官として活躍。戦後は参謀総長に。)、小川又次(陸軍大将−に奥保鞏の盟友、日露戦争では、奥司令官のもとで、第4師団長として活躍。)など。
それ以降も、小宮豊隆(夏目漱石の弟子、小説「三四郎」のモデル。)や、杉山元(陸軍元帥、陸軍大臣、教育総監、参謀総長を歴任。)、堺利彦(社会主義思想家)、などなど。
校風がなせる業なのでしょうか。
イメージ 5「思永館」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
育徳館校内にあります。
イメージ 6「小笠原神社」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
小笠原家藩主をまつる神社です。
長州人の僕がお参りしてもよいのでしょうか?
 
つづく。
 

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