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連日の快晴で、テンション上がり、また、自転車たびをしました。
13日に馬ヶ岳城跡に行ってきたので、官兵衛シリーズとして中津にいってきました。
昨日散策した長峡川の河口です。
大きな立派な川ですね。
ひたすら南へ。
注目してみると、馬ヶ岳山って、どこからでも見えます。
本当に要衝の山なんだなぁと、あらためて思いました。
「八景山」
昨日登った、八景山です。頂上付近に護國神社が見えます。
「築上町」
どうですか?この景色!
北海道ぽくないですか?
いつもは中津に行くときは、国道10号線を通るのですが、今回は県道58号線を通ってみました。
58号線、最高です。
車通りは多いのですが、直線で、舗装されているし、なによりも景色がいい!
「城井川」
2週間前、上流までいった、「城井川」です。
青、緑、そしてまた青。
「築上町」2
58号線最高!
いままで損をしてました。10号線、さよなら。
「県道58号線」
この道を、天気の日に車で通るなんてもったいないです。
絶対、自転車で通るべきです。
「築上町」3
本日の僕のベストショットです。
「築上町」4
こんな景色が続くのです。
そんな58号線も終わり、豊前市へ。
「宇島駅」
ここ豊前市には、小笠原藩の支藩の千束藩があったところです。
「千束」
ということで、千束まで行ったのですが、1万石の風景はありませんでした。でも、帰って調べてみると、千束神社というところに城の跡を残しているそうです。しまった。今後、リベンジに訪れます。
そして、いよいよメインの中津城へ。
「山国川と中津城」
5回目の訪問ですが、なんど来ても、きれいな城です。
官兵衛効果で、兎に角人が多い。人、人、人。
で、ついて真っ先にいったのが、お城の横にある、「城井神社」。
「城井神社」
官兵衛のライバル、宇都宮鎮房を祀る神社。
城井谷城主、宇都宮家は、信房より鎮房に至る16台、およそ400年の間、豊前国主として徳政を布きました。
1587年5月、豊臣秀吉は九州平定にあたり、豊前6郡を官兵衛に、2郡を毛利勝信にあたえ、鎮房には四国今治(12万石)移封の命令を出します。鎮房は累代の墳墓の地の安堵を願い、命に背いたため、宇都宮一族は官兵衛、長政と豊前の地で死闘を繰り返すこととなり、黒岩山合戦では長政を敗走させます。
そこで、秀吉は官兵衛と謀り、所領安堵を条件として長政と鎮房の息女、鶴姫との婚を約し、和睦します。
ところが、1588年4月20日、鎮房は、中津城に酒宴に招かれるのですが、その席で謀殺されます。
そのまた、鎮房の父・長房も城井谷城に攻め寄せた黒田勢に殺害されます。嫡男の朝房は一揆鎮圧のために官兵衛と同行して出陣中であった肥後で暗殺。鶴姫は長政によって13人の侍女と共に、山国川の畔、広津の千本松河原で磔にされ殺害されます。
おのれー、官兵衛です。
2週間前、城井谷を訪れてからは、宇都宮一族ファンですので、まさに、悪!官兵衛、あっかんべーです。
1891年、長政は深く感ずるところがあって、場内に守護紀府、城井大明神として鎮房を祀り、福岡移封後は、その地に警固大明神として祀ったそうです。
一節には、鎮房の霊が夜な夜な中津城に現れ、長政を悩ましたそうで、このような神社を建てたとか。
まずは、そちらからお参りをしました。
「中津城」3
本当にきれいです。
さすがは、官兵衛、といいたいところですが、今のは模擬天守で、昭和39年に、萩城天守を参考に作られたそうです。残念。でもきれい。
「中津城」4
秋空に
天守をのばす
中津城
「中津城最上層」
行橋方向を望みましたが、残念ながら馬ヶ岳山は確認できませんでした。
貫山、平尾台は確認できましたが・・・
鎮房の霊も確認できませんでした。
つづく。
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